秋です。夜、仕事を終え、東京・渋谷にある我がいせフィルムのオフィスを出たら、冷んやりした風を感じた。

そして虫が鳴いていた。季節が巡ったことを知らせに、虫たちがコーラスを歌いに来てくれたようだ。


今年の夏は長く暑かった。もしかしたらこのまま夏がずっと続くのでは、と思うほどに。

でも大自然の営み、というやつはすごいもんだ。

どんなことがあっても、ちゃんと約束通り季節は巡り、秋は、やってくるのだから。


九月に入って最初のロケは、現在撮影中のドキュメンタリーの主人公が暮らす庭に咲く、一輪の向日葵を撮ることだった。

一月遅れで花が咲いたと聞いて駆けつけたその日は、生憎の大雨。

けれども「こんな日に向日葵を撮るような奴はいないだろう・・・だから撮影しよう」とカメラマン共々、ノリにノッて撮影した。

ちょっとヘソ曲がりに、ただただ思い入れだけで撮影を繰り返してドキュメンタリーを創ってきた。

ずっとこんな感じだ。極めて冷静でない。熱い奴、というわけでもない。冷静でないだけだ。

次のロケでは日頃の不摂生が祟って発熱、咳、鼻水タラタラ・・・。

朦朧としながら、それでもボンヤリ撮影現場に佇んだ。

いつまでこんな具合にドキュメンタリーを創り続けるのだろうと考えないわけではない。

「俺がやらなきゃ、誰がやるんだ!」とムキになって映画を創り続けてきたけど、

他の人は「アンタがやんなくたっていいよ、別に・・・」と思っているのかもしれない。そうにちがいない。


何故創るのだろう・・・。

ずっと考え続けてきた問いが頭をもたげる。

大自然の営みが約束を守り、季節が巡るように、ただただカラダとココロの奥の方から突き上げてくる衝動で、

創りたいと思ううちは、その衝動のようなものに寄り添い、創り続けよう。

もしも誰も望んでいなくても、大自然の営みのように衝動がうごめき始めたら、素直に従うことにしよう。

逆に言えば、そおいう衝動無しに創ることは止めよう。


創らないわけにはいかないという思いにかられて創ってきた。

そして観てもらわないわけにはいかないという思いで上映に取り組んできた。

劇場上映や自主上映だけでなく、阿倍野、日比谷、大倉山、花巻で仲間たちと小さな映画祭のようなものも毎年やってきた。


映画は創ることも観てもらうこともお祭りのようなものだから、

まずは御輿を担ぐ私やスタッフが目一杯映画を遊び、楽しまなければ、やっている意味が無いと思う。

創りたい、観てもらいたい、という衝動にかられ、誰に頼まれたわけでもなく、勝手にやってきた・・・。

ようするに、やりたいからやってるんだ。


「遊びをせんとや生まれけん・・・」

(「梁塵人詩抄」から)


9月26日(土)東京・日比谷図書文化館で「ヒューマンドキュメンタリー映画館 日比谷」の20回目の記念イベントをやる。

阿倍野13回、大倉山7回、花巻15回、どのお祭りもよくぞ続いてきたものだ。


20回目の「日比谷」は11時から、新作『ゆめのほとり−認知症グループホーム 福寿荘−』の先行上映会、

13時30分から、画家・絵本作家のいせひでこさんを招いて「こころの木−未完の物語−」のトーク&スライドショーです。

遊びに来て、楽しんでください。






 

遊びをせん

伊勢 真一