@ 少しおかしなスクランブル幕末維新ミュージアム・京街道を往く 守口・門真
T 残された景観
守口・門真地域に残された大塩の乱ゆかりの史跡を訪ねてみました。
茨田邸跡は、乱に参加した豪農「茨田軍士」の屋敷跡で現在公園になっています。
守口宿中枢部所在の白井孝右衛門邸は、大塩を助けて活躍した白井孝右衛門ゆかりの屋敷です。大塩
平八郎の講義などが行われたという書院が現存しています。
守口宿中枢部
@ 本陣
A 問屋場
B 白井孝右衛門邸(大塩書院)
C 高札場
※地図 東海道分間延絵図「東京国立博物館蔵」
数値記載は現代マンガ資料館です
U 草莽のエネルギーと心意気
@ 草莽の心意気
白井孝右衛門、茨田軍士 いずれも身分は武士ではありません。
大塩を支えた人々は多彩ですが、茨田軍士や白井孝右衛門のような豪農層の参加
が目立ちます。般若寺村(現旭区清水5)庄屋「橋本忠兵衛」もそのひとりです。
やがて、治安維持から兵制にいたるまで在野の人々(草莽)に依拠せざるをえない時
代が到来しますが、大塩の乱に積極的に参加した白井孝右衛門、茨田軍士、橋本忠
兵衛などの動きに来るべき時代の兆しが見られるようです。
A 白井孝右衛門・茨田軍士、白石正一郎、そして佐藤彦五郎
「その出身を論ぜず、老幼を問わず、一片殉国の志ありと思わん者は来り投ぜよ」
奇兵隊(長州藩)創設にあたっての高杉晋作の呼びかけです。新選組の母体となる浪士組の結成に際し
て、発案者清河八郎は「身分を問わない」ことを前提に「優れた人材を集める」という趣旨を標榜していま
す。
新選組も奇兵隊も期待されたエネルギーが同質であるところに時代が示されています。そして、それぞ
れに、幕末維新の激動を駆け抜けた存在でした。
草莽の人々に支えられ、さらに軍役も含めて草莽の力に依拠しようという動きを内包した大塩の乱は、新
選組そして奇兵隊とこの点で共通しています。
1 奇兵隊・高杉晋作と白石正一郎
白石正一郎は下関の豪商(回船問屋)。
高杉晋作は奇兵隊の構想をまず白石正一郎に相談したが、白石はこれに賛同して、資金援助ばかり
か、自ら真っ先に入隊。また、奇兵隊の屯所を自宅に設け隊士募集の看板を掲げるなど積極的に活動
して高杉を支援。
2 新選組・近藤勇と佐藤彦五郎
佐藤彦五郎は甲州街道「日野宿」の名主。
佐藤彦五郎の妻「のぶ」は新選組副長土方歳三の実姉で、彦五郎は土方歳三の義兄にあたる。
近藤勇の父近藤周助の門下生でもあり、新選組に対しては資金援助など支援を惜しまなかった。
立場や歴史的役割が違うものの、ひとつの大きな動きを支える役割という点で草莽の心意気を遺憾なく
示しています。
V スクランブル空間と可能性
宿は、人と情報が交錯するスクランブル空間でした。
白井孝右衛門邸・大塩書院が守口宿中枢部に所在しています。佐藤彦五郎屋敷は甲州街道日野宿所
在。白石正一郎邸は水運陸運の要衝下関所在。いずれも交通運輸と深くかかわる地点に所在しています。
スクランブル空間をさまざまなファクターの交錯から新しい可能性が引き出される場と定義しましたが、い
ずれもこのような役割を果たし得る空間といえるでしょう。
大塩の乱、奇兵隊、そして新選組は、スクランブル空間が提示した可能性というものだった、と考えること
もて゛きるでしょう。つまり、時代が生み出した可能性が形になったものです。
ちょっと休憩
大塩の乱、奇兵隊、新選組の共通性を時代が生み出した可能性が形になったものと考えてみました。すると、
京街道は、奇妙な出会いを用意しました。
たとえば、鳥羽伏見戦争は奇兵隊と新選組の衝突という形で、また、旧幕府軍撤退後大坂に進出した長州軍
は屯営を川崎の東照宮(建国寺)におきます。大塩の乱に際して兵火で焼けた所ですし、大塩の挙兵地でもあり
ます。
交通と観察
お願い 本ページは、幕末維新大坂散歩「大塩が往く」の続きです。あわせてご覧下さい。
@ 茨田邸跡(門真市堂山町)
現状は公園。
交通 京阪電鉄線 西山荘駅 歩7分 守口宿大塩書院から歩15分
A 白井孝右衛門邸(守口市竜田通)
交通 京阪電鉄線 守口市駅歩5分 地下鉄線守口駅歩3分
B ミュージアム 門真市立歴史資料館 (門真市柳町)
「茨田軍士」関係特別展開催が過去にありましたが、資料所蔵。
交通 京阪電鉄線 門真市駅歩10分
※ 守口・門真関連ミュージアムは、守口門真ミュージアムエリアのページをごらんください。