元犬(もといぬ)
七代目三笑亭可楽
もと犬というお笑いを申し上げます。元々落語は
可笑しいのが目的でございますから馬鹿々々しいという理屈を捨てゝ、御覧を願います。仏説にでもありますものか、昔から白い犬は今度の世に人間に生まれ変わるとか云ってあります。すでに徳川様の頃、犬
公方というのがございまして、これは御自分が
戌の年なので、
大層犬を御愛しになり、その頃犬を殺しでもしたら大変、うっかり打つ事も出来なかった。これがためどうも
市中にえらい騒ぎが出来ました。
音羽の一丁目に
護持院という寺がございます。この辺に御住まいの方御存じでございましょうが、白い犬が飼ってございました、今を去る五十余年
前、明治初年の頃に、八十以上の人に聞いてみると、犬公方様以来、
餌料が付いてその護持院に白い犬が始終いた。犬の寿命が十五年のもので、総身
差毛一本ない真っ白の犬というものは
稀だそうでございます。それがために真っ白の犬を人間に近いと云ったものでございましょう。
何年の頃の犬でもその護持院に飼ってある白犬は、
無論当時と違って純粋の日本犬でございますが、人の云う事がよく分かったと云います。そういう所からこの話が出来たものと思われます。
浅草蔵前の界隈、
何処の
家の犬といった所で、マア食い物を
遣るくらいの事で、別に家へ入れておくという訳でもない。つまり町内の共有物みたようなもので、この辺で
可愛がっている白犬、八幡様の境内に始終遊んでおります。通る人
毎に、
「白犬は人間に近いと云うが、真っ白で良い犬だ。貴様に今度の世には人間に生れ変わるぞ。アヽ嬉しそうな顔をしている。人の云う事が分かると見える。そうだろう。モウ半分人間みたようなものだ。今度は人間になるのだぞ。アヽ良い犬だ」
と、人毎に人間になれる/\と云うのを聞いて、犬ながらも今度の世には人間になれる
了簡、今度の世というと死んで生まれ変わるのだ。しかし
生あるものは生まれる時と死ぬ時とこの二度の時に前後を忘れてしまうとか云う。忘れちまっちゃァつまらねえ。形のない事を人が云う訳でもなかろう。もう半分人間になってると云うのだから、いっその事この世から人間になりたいものだと考え、畜生ながらも一心、無理な願いではあるが、八幡様へ
願を
籠めまして、どうぞこの世からなれるものなら人間になさしめ
玉えと、
三七二十一日、
精進潔斎跣足詣り。もっとも犬は下駄や何か履きゃァ致しませんが、堂へ向かって
頻りに祈っていると、丁度満願の日の朝、ソヨ/\
身体へ風が当たって
快い心持ちで拝んでおりますと、フカ/\白い毛が飛び初めた。信心はすべきもので、神の
利益で
忽然と人間が一人出来上がりました。
白「オヤ、アヽ有り難えな。こりゃ
成った人間に……、人の云う事は用いるものだ。有り難うございます。手もチャンとある、アヽ人間だ、けれども人間になってみると
裸体じゃァどうも困った」
今までは
裸体でも平気でノソ/\していたが、
何処も
彼も人間になってみると、
体裁が悪くって
裸体じゃァ歩けない。せめて腰の
周囲だけも
纏うものがなかろうかと、辺りを見ると丁度
浄水鉢の所に納め
手拭という奴が掛かっている、これを二三枚取って腰の辺りへ付け、モウこれで
羞かしい事はない。当今と違って昔の事、
裸体で歩いていても差し支えないから、蔵前通りをノソリ/\歩き初めたが、どうも立つとグラ/\する。這ってみたり、立ってみたり、人間が這うというのは
可笑しなものだ、なるたけ立とうと、ブラ/\歩いて参りますと、向こうから来たのは
桂庵の
主人、
白「ヘエ
今日は」
○「アヽ
肝を潰した。なんだいお前さんは
素裸体で、それも
宜いが、歩いて来たと思ったら
突然這ってどうしたんだ」
白「ヘエ、
今日は」
○「何か私に用ですかえ」
白「ヘエ奉公がしたいんで、
貴所にお願い申し度とうございます」
○「奉公がしたい。
可笑しな人間だな。私はお前さんをまるで見た事がないが、
突然に奉公がしたいと云うのは、私の商売を知ってるのかえ」
白「ヘエ知っております、
上総屋さんで……」
上「アヽ私は上総屋という
人入稼業だ。よく御存じだね」
白「ヘエ始終
御家の所へ行っております」
上「そうかえ。
人出入りが多いので、ツイお
見外れ申した。奉公口は幾らでもあるよ。今も
御華主から催促があったんだが、人がなくって困って、これから心当たりを尋ねようと思って出て来たんだが、お前さん年頃が丁度いい。けれども
親父さんか
阿母さん、それとも親類か何かあるかえ」
白「ヘエ何にもないんで」
上「何にもない。アヽ
裸体でいるところ見ると
遠国者だな」
白「ヘエ遠国者で……」
上「そうかえ。よくある奴だ、宿屋のポン引きとか、悪い番頭なぞが、遊びか何かへ連れて行て、幾らも掛からねえで、これだけ掛かりましたと、金から
衣類まで取ってしまって
一昨日来いと
投り出される。その手が幾らもあるんだよ。土地馴れねえから、そんなものに引っ掛かる。大方そうだろう」
白「ヘエそうでございます」
上「何だか見た様子から
温順そうな人だ。受け人の無い人を
無暗に世話も出来ねえけれども、異国から来た訳でもない、同じ日本人だ。実は人に困ってる所だからともかくも私の
家までお
出で」
白「アヽ左様でございますか。奉公さして下さいますか」
上「世話をして上げるからお
出で」
白「ヘエ有り難うございます」
上「なにしろ
裸体じゃァいかない。私の羽織を貸そう。これをお着……アヽ頭へ
被るんじゃァない、着るんだよ。着物の着ようも満足に知らないのは困ったな、けれどもそういう人の方がまた
質朴でいいだろう。何になっても一生懸命正直一遍、主人を大事に勤めなければいけねえよ」
白「ヘエ有り難う存じます」
上「ここだ私の家は知ってるかい」
白「ヘエ存じております、この間、台所の所におりましたら、
内儀さんに水をぶっ掛けられました」
上「どこの
内儀さんに……エー私の家の……変な事をお云いでないよ、なんだかポッとしているね」
白「ヘエ、ポッとしております」
上「マアお入り……だが
跣足じゃァいけねえ。裏へ廻って上がんなさい。そっちへ廻って/\……何をグル/\廻ってるんだ。台所の方へ廻るんだ、
可笑しな男だなァ」
女「御帰んなさい。大層早かったね」
上「今ここまで行くと色の白い若い男だ。田舎者らしいがポーッとしているんで、ポン引きか何か悪い奴に引っ掛かって、吉原へでも連れて行かれたんだろう。持ってる金は皆な使わされた上、
裸体にして追い出されたんだな。人の良そうな奴だから連れて来たが……アレッ、オイ困ったなァ、台所へ廻って、足を洗わずに上がったぜ。田舎者はゾンゼイだというが、
内も
外も一緒にしちゃァいかねえ。足を洗いねえ。そう板の間へ泥足でクル/\廻っちゃァいけねえ。下へ降りて足を洗って、足を拭いたら板の間をよく拭くんだ。アヽ
手拭で板の間を拭いちゃァいけねえ。こっちに
雑巾がある……そうだ/\その這って拭く所なんぞは、知ってるような所もあるが、なんだが
外はボーッとしているな。ここへお
出で……なんだか座り方が
可笑しいな。チャンと座り。お前は様子が一々変わってるが、どういう所へ奉公がしたいんだえ」
白「ヘエどこでも
宜うございます」
上「どこでもじゃァいかない。お前の方に望みがあるだろう」
白「イエ別に望みという事もございませんが、
好味ものを食べられる所が
宜うございます」
上「変な事を云うな。もっとも随分
吝嗇な家があってな、食い物も満足のものを食わせねえと云う家があるからな。マア
宜い所へ世話をしよう。腹が
空ってるようだ、
飯を
食いねえ。何か出してやんな……
香物ばかりだ……
香物ばかりだと云うがお
前食べるかえ、嫌いの人があるが」
白「お
香物はまだ食べた事がございません」
上「梅干しはどうだい」
白「これも食べた事がないんで……」
上「ウム嫌いだと見える。奉公して苦労をすると、そんな事はなくなる。つまり
我儘だ。どんな物でも食わなくっちゃァいけねえ」
白「ヘエ
左様でございますか」
上「干物があったっけ、くさやの干物を食うかい」
白「ヘエ干物は頭でも何でも食べます」
上「頭まで食わねえでも
宜い。じゃァ干物を二三枚焼いてやれ。くるみ足の膳が
宜い。給仕なんぞしてやらねえでもそこへ出してやりゃァ
宜い、なにしろ
裸体じゃァいかねえな。丁度
丈格好も同じ位だから俺の着物で間に合だろう。何か出してやんねえ。帯と羽織……アヽそれが
宜い。
下帯もねえのか。納め手拭を
褌にするなんて
勿体ねえ。神様へ納めたものだ、そっちのを出してやんねえ……エー
飯を先に食っちまってそれから
支度をするが
宜い……どうした、食べちまったか、遠慮はねえから
沢山お食べ」
白「ヘエモウ皆な頂いてしまいました」
上「ナニ
飯櫃が空だ、そいつァ
些と食い過ぎるな」
白「その代わりこれでもって三日四日食べずにいられます」
上「食いだめなんぞしねえでも
宜い。
飯は毎日三度づつ食うものだ」
白「アヽそうでございますか」
上「そうでございますかとは変だな、幾ら忙しいからって、飯の食い溜めは出来ねえものだが何だか変てこだな。サア着物をお着、
下帯を先へ締めて……立って/\、オイ首の
周囲へ
褌を巻くんじゃァねえよ、厄介だな、下帯を締める事も知らねえ。なんでも
余ッ
程暖けえ国で生まれたんだな、それに違いねえ、待ちねえ、俺が締めてやる……ソレこういう風に締めるんだ」
白「なるほど、
宜い
工合のもので」
上「
宜い
工合じゃァねえ、着物を
碌に着た事がねえに違いねえ、どうも変だ。
先刻表で羽織を着せてやったら、頭から
被ったっけ、お
前衣類を着た事は無えかい」
白「ヘエ」
上「
訝しいなァ……アヽ横丁の隠居さんの所からまた使いが来たっけな。とぼけた男を
遣してくれと云うんだ……どうだいお前さん、
宜い口があるが、先は御隠居さんで、女中が一人に、お前が行けばマアお前共で三人ぎりだ。講釈が好きな御隠居で、毎日講釈場へ出て行ってしまうと後は女中が一人ぎりで、寂しくって
可哀想だから、男きれを一人置いてやりたい。それには
家にいても女中と
対座でいるのも誠に詰まらないものだから、どうか
一寸話対手になる、腹を抱へて笑わせるような
剽軽者を雇いたいと云うので、この間から二人ばかり
目見得にやったけれども、
喋舌り過ぎていけないとか
幇間じみていけないとか云って気に
適られないんだが、お前の
先刻からの様子がなんだが
噴飯すような事が幾らもあるが、そういうのが気に入られやァしないかと思うがどうだい。給金も幾らか割が
宜い。
身体が楽で食い物は
宜いし
先方で気に入るかどうだかそこは行ってみなければ分からないけれども、つまり隠居さんを笑わせるやうな事をすれば、確かに気に入るに違いない」
白「どうでございましょう、お
飯は食べられましょうか」
上「お
飯を食わせねえ奴があるものか、行くんなら早い方が
宜い、催促をされてるんだから……じゃァ俺は
一寸隠居さんの所へ連れてって来るから、伊勢屋さんから使いが来たら、誠に田舎者の女中が当時少なうございますが、今日中には仲間内を探してどうか致しますとこう云っおいてくれ……サアお前さんこっちへお
出で、アヽ下駄がなくちゃァいけない。エー下駄を履いた事がねえ。アー田舎者はそうかも知れねえ、
跣足じゃァいかれねえ。その上の棚に俺の下駄がある。それを履いて行きねえ。アヽ下駄を口で
咬える奴があるか。手で下しねえ……何を見ているんだ。オヤ
唸ってる……どうしたんだ」
白「ヘエ
彼所にチンコロがおりますから、噛み倒してやろうと思って」
上「そんな事をしちゃァいけない。チンコロなんぞ噛み倒す奴があるものか……オイ/\そこらへ
無暗に小便をしちゃァいかねえ。田舎とは違うから、アヽ
匂いを
嗅いでる。変だなァこの人は、そんな事は
先方へ行ってやらなけりゃァ
陰でやっても縁の力持ちでつまらねえ。そういう
可笑しな事を御隠居が退屈でもしていると思ったらやって御覧、きっと喜ぶから……、ここの
家だが、すぐにお前を連れ込む訳にもゆかないから、少しここに待ってお
出で」
白「ヘエ」
上「ここに待ってるんだよ……
今日は……へえどうもツイ
御無沙汰を致しました」
隠「アー上総屋かい。私の方で無理を頼むのだから仕方がないが、どうだえ、あったかえ」
上「ヘエ今度
宜いのがございました、
遠国者でございまして、
当地にこれという受け人もございませんが、当人は確かに正直そうな者でございます。年もまだ若く、
一寸綺麗な男でございます」
隠「田舎者なら
宜いだろう、面白い男かね」
上「なんだか
余程変わっております」
隠「ヘエー」
上「その代わり、少し
大食でございます」
隠「食い物なぞは幾ら食っても
宜い」
上「今
宅で
飯櫃に一ぱいあった御飯を食べさせたら、お腹も
空いてたんでございましょうが、皆な食べてしまいまして、これで三日位食べずにいても平気だと云いました」
隠「ヘエー、
外にまだ変わってる所があるかえ」
上「
総ての事が変わっております、手がある癖に私の下駄を口で
咬えました」
隠「面白いな、そういう奴が
宜いな。とにかく連れて来ておくれ」
上「ヘエ
外に待たしてございます」
隠「それがいけないよ、待たしてなんぞおかないで、こっちへすぐ上げるが
宜いじゃァないか」
上「ヘエ……アッあの通りでございます。待っていろと云いましたら、下駄の上へ
頬杖を突いて寝ています」
隠「アヽ綺麗な男だな。なるほど少しこれは変わり者だ。
宜かろうこういうのが……寝ているかと思うと目を
明いてる、これは
可笑しいな。こっちへお入り……アヽ
肝を潰した、飛び込んじゃァいけない」
上「
突然飛び込む奴があるか。この御隠居様だから、よく気を
着けておいて頂かなくっちゃァいかねえよ」
白「ヘエ」
隠「
狂人じゃァ困るが、様子が変わって、
可笑しい。マア/\置いてってごらん」
上「左様でございますか」
隠「
明日の朝早く来ておくれ。この間来たお
喋舌の奴、アヽいうのは嫌いだが、これは
宜いかも知れない、なんだか横っ倒しに
坐ってるが、足でも悪いか」
上「そんな事はございませんが、
坐りつけないんでございましょう」
隠「アヽ田舎で育っちゃァそうだろうな、とにかく置いてお
出で」
上「左様でございますか。いづれ明朝伺いに出ます」
隠「そうしておくれ。一日一晩いれば大抵分かるから、それだって私の方で置きたいと思っても、当人が辛抱が出来ないと云うのを無理にいてくれという訳にもゆかない。縁づくだから……」
上「左様でございます、女中さんのおもとさんにどうか
宜しく」
隠「アヽ
宜いよ……オイ/\お前の
跡からその男が付いて行くぜ」
上「アレ、付いて来ちゃァいかねえ、そっちへ行ってるんだよ。
明日早くまた伺いに来るから、お前はこちらでお
目見得をするんだ」
隠「サア/\お前こっちへお
出で、初めての奉公かな」
白「ヘエ」
隠「
幾歳だえ」
白「ヘエ」
隠「ヘエじゃァない、
幾歳だと云うんだよ」
白「それはどうも」
隠「それはどうもと云って、自分の年は知ってるだろう」
白「皆なの云うには……」
隠「皆なが云うてえのは
可笑しい、お前の生まれたのは
何時なんだ」
白「それがソノ、よく知らないんでございます」
隠「自分の生まれた年を知らないと言うのは変だな。生まれはどこだえ
遠国だと云うが」
白「蔵前の
酒屋の先に金物屋があります」
隠「ウム」
白「あすこの裏で生まれました」
隠「金物屋というのは私の
倅の
家だ。アノ裏で生まれたてえのは
可怪な。俺も元は
那所にいたがツイゾ見た事がない、お前の方じゃァ私を知ってるかえ」
白「ヘエ知っています」
隠「ヘエーそうかい」
白「
貴所が
彼所にお
出での時分には私がまだ小さかったんで、アノ
頭の長吉さんという人が
可愛がってくれました。ヘエ火の番の時には町を連れて歩いてくれました」
隠「火の番といやァ夜遅く廻るんだ。子供を連れて歩くというは変だな。アノ裏のどっち側にいたんだ」
白「ヘエ突き当たり」
隠「突き当たりにゃァお前長屋はないぜ。両側に長屋があって突き当たりの所には掃き溜めがある」
白「ヘエ、アノ掃き溜めでございます」
隠「掃き溜めで生まれる奴があるものか、掃き溜めみたような
家で生まれたというんだろう」
白「ヘエ、そうでございます」
隠「
親父はどうした」
白「ヘエ」
隠「イヤサ親父はどこへか行ったのかそれとも死んだのか」
白「それがソノ、
種々なものがあるのでよく分かりません」
隠「ハア、シテみるとお前の
阿母という者は浮気な馬鹿女で、亭主が
定まっていないんだな」
白「ヘエ、そうでございます」
隠「それでどうした」
白「横浜から西洋人が
洋犬を連れて来た、その
跡を
匂を
嗅いで、一緒に行ってしまいました」
隠「なんだか変だな。親父の分からない程、散々浮気をしたその上に、目色の変わった西洋人の跡に付いて行くというのは
大変者だな」
白「ヘエが左様でございます」
隠「兄弟はないのか」
白「兄弟
三疋ございます」
隠「
三疋は
可笑しい。土地ッ子を連れて田舎だなんて上総屋という奴は
粗忽かしい奴だ、兄貴か弟か」
白「ヘエ私が一番先に生まれたんですから弟で」
隠「先へ生まれたから弟というのは変わってるな、アヽ
三子か」
白「ヘエ左様で……」
怯「三人ながら男かえ」
白「皆な
牡でございます」
隠「
牡ッてえ奴があるか、それはどうした」
白「小さい
中に石を
付着けて天王橋の上から
投り込まれて死んでしまいました」
隠「それは
可哀想に、乱暴な奴があるものだ。モウ一人はどうした」
白「車に引かれて死んじまいました」
隠「アヽそれは
可哀想な事をした、
外に身寄り便りはないのか」
白「ヘエ何にも無いんでございます」
隠「しかしこれが親父だろうという者が分かりそうなものだな、皆な近所の男なら……」
白「ヘエ、マア
酒屋の
斑に一番耳の所がよく似ております」
隠「ナニ耳が似ているというのは変だな。なんだかお前の云う事は一々
可笑しいよ。幾ら俺が変わった事が好きだって真面目の話の時には真面目に話をしなくっちゃァいけない。また俺が退屈をしているなと思ったら、
傍へ来てとぼけた事を云って笑わせてくんな。もとやもと……これは女中のおもとゝいうんだ。俺とお前と女中と三人きり、
外に誰もいない。
朋輩中が悪いと俺の方で困る。昔から
譬にも、犬も
朋輩鷹も朋輩、何をキョロ/\するんだよ。仲を
宜くしてくんなよ、俺の云う事が分からなくっちゃァ困る。犬も
朋輩鷹も……、オイ/\どこへ行くんだ、オイ/\帰っちゃァいかない。初めての奉公という奴は
家が恋しくなるもんだが、この土地で生まれたものなら、何もそんなに
家を恋しがる事はない。マア
沈着てなさい。
厭なら厭で仕方がないが、
明日の朝上総屋の来るまで待ちなさい。まだ
肝腎の名を聞かなかったが、何という名だえ」
白「
白」
隠「ナニ」
白「白」
隠「
白吉とか
白蔵とかいうのか」
白「何だか知りませんが、ただ
白というんで……」
隠「ただ白は
可笑しいな、ただ白……、
只四郎か」
白「ヘエそうでございます」
隠「変わった名だな。しかし飛んだ面白い男だ、マア茶でも入れよう。お前茶を
喫むかえ……エー
喫んだ事がない、嫌いと見えるな、人間嫌いが多くってはいけない。ソコは
他人の
家へ奉公をすると
豪気なもので、嫌いなぞは
失なる。マア茶を入れて何か菓子でもやろう」
白「ヘエ有り難うございます」
隠「今茶を入れようと思って鉄瓶を掛けておいたが女中がどこかへ行ったようだ。お前
一寸見てくんな、チン/\といってるかどうだか」
白「ヘエ」
隠「チン/\いってるか……なんだいお前にチン/\をしろと云うんじゃァない。鉄瓶がチン/\いってるか見てくれと云うんだ」
白「左様でございますか」
隠「なんだか変だな、私は番茶を
焙じたのが一番好きだ。
茶焙じが焦げてしまったから、お前
一寸その何を取っておくれ、そこに
焙籠が掛かってる。その
焙籠」
白「ワン」
隠「
焙籠だよ」
白「ワン/\」
隠「変だな、
巫山戯ちゃァいけない
焙籠だよ」
白「ワン/\」
隠「オイ飛び付いちゃァいけないよ。困ったなァ、オイ上総屋を呼んで来な。これは
些と変わり過ぎらァ、どこへ行ったおもとは、オイもと〔元〕は居ぬ〔犬〕か」
白「
今朝ほど人間になりました」