猫退治(ねこたいじ)
三代目三遊亭金馬
御婦人が恋の
為に
棄れている姿はまた別段風情のあるものでございます。もっとも同じ御婦人でも、
容貌の悪いお方は、あまり
恋煩いはないようで、というのは、御自分の
容貌に
耻、たとえ
想う男があっても、とても駄目だと諦めますから
恋煩いまでには及びません。
ある
大家のお嬢様ま至って美人で、一日お花見に行って帰って来ると、何となくお気が
欝いでしまって、それからドッと
床に就きました。旦那様が大層心配をして、
主「番頭や。
先刻お医者様がお帰りの時に
仰るには、
家の
嬢の病は、あれは
普通の病でない、早くいうと、何か胸に思った事があって、それが腹へ固まってしまったのだ、物に
譬えてみたら、マア腹の中へ徳利が出来たようなものなんで、その徳利に
栓がしてあるから、幾ら薬を
服んでも、その薬が徳利の中へ納まらないというようような形だ。胸に思った事が晴れれば、徳利の
栓が抜ける、それから薬を
服めば、
忽ちその薬の
効験があって、病が全快するという訳だ。何でもこりゃァ徳利の
栓を取るようにしなければならない。それから今
婆ァさんと相談をして、
嬢にいろ/\聞いてみたが、どうもいわない、
執拗聞くとただ下を向いて泣いてばかりいるので、実にどうも困った。どうかお前の智恵を借りて、
嬢の胸に溜まった事を一つ聞いてみたいんだ」
番「
成程、それは
貴郎方がお聞き遊ばしてもお嬢様が
仰りは致しますまい、また私が改まってお尋ね申したところが、なかなかお嬢様が仰りはしません。それよりお嬢様のお気に入ったものをお
側へ置いて、それとなく聞くようにすれば、お嬢様もお気に入った人だから、実は
斯々いう訳だがどうしたら
宜かろうと御相談をなさるに違いありません」
主「
成程、
宜いところへ気が付いた。それでは誰か
嬢の気に入った者を
側へ置いて、その人から聞いて貰おう…誰が
宜かろう」
番「左様でございますな、見渡したところどうも店の
中にはお嬢様の気に入ってるような者もございません。ただ私の考えでは、お嬢様が
何方へ
入っしゃるにも、横町の薮医者の
竹庵を連れて
入っしゃいます。あれは誠に面白い男で、医者は下手でございますが、俗にいうお
幇間医者で、大層お嬢様がお気に入りでございますから、あの
竹庵をお
側へ呼んで、
竹庵から聞いて貰うようにしたら
如何でございます」
主「
成程それは
宜かろう。早速
竹庵の所へ人を
遣って呼んでくんな」
番「実は
竹庵は
先刻からお店へ参っております」
主「それは幸いだ、
此方へ
遣しなさい…オイ
竹庵や、
此方へおいで…」
竹「イヤどうも御無沙汰をいたしました、ツイ私もチョット
昇らなければならんのでございますが、どうも忙しいものですからツイツイ御無沙汰をしておりました」
主「ハア、お前の忙しいのは不思議だ。しかし病人はあるまいな」
竹「イヤ、ところが病人が沢山ございまして、なかなか忙しゅうございます」
主「ヘエ、お前にかゝって病気が
癒る人があるかえ」
竹「御冗談仰っっちゃァ
可けません。私はこれでも医者でげす。先だって病人を二人
癒しましてから大層評判が宜
しくなって、引き続いて忙しゅうございます」
主「ハアそういう病をお前が
癒したのだ」
竹「ナニ
貴郎風邪を
癒したので」
主「風邪を…
余程しくじらせでもしたのか」
竹「イヽエ水ッ
洟で、
葛根湯を以って
癒しました」
主「そんならお前の手を借りないでも
癒る。しかしまたお前も
剛いところがある。こういっては失礼だが医者は誠に下手だけれども、
幇間が上手だ」
竹「どうも恐れ入りました」
主「ところが
家の
嬢がお前を大層
贔屓にして、
何処へ行くにもお前を連れて行くようにしておるが、その
嬢の事についてお前に少し頼みがある」
竹「ハア
成程、お嬢様は
先達からお
煩ひ遊ばして
在っしゃるように伺いましたが、さぞ御心配で…ところが他の医者に掛かっても
癒らんというので、実は
竹庵でなければならんというところから私へお頼みになるのでございましょうな。ヘエ
宜しゅうございます。私も日頃の腕前をこういう時に現す事の出来るのは誠に
仕合せで、しかし至って貧乏でございますから、良い薬の持ち合わせがございませんが、お嬢様のお脈を拝見して、こうという
病根が分かれば、良い薬を取り寄せて、それを以って
屹度御全快という事にいたして御覧に入れます。そうなると
先ずお嬢様の命を繋ぎ留めたというので
此方の
御身代の半分を私に下さる…」
主「馬鹿な事をいうな、お前に薬を盛られたら三日とは
保たない。お前に頼みというのは決して薬を盛ってくれというのではない。今お願い申しているお医者があるんだ。このお方が今日お入来になって、お帰りの時に仰には、
嬢の病というのは、胸に思った事があって、それが固まって、物の
比喩で見ると、徳利に
栓を宛てたようなものだから、幾ら上から薬を
服んでもその徳利の中へ薬が通らない。それ故
効験がなっくて、病も
癒らないのだから、何でもその胸に思った事をいって、徳利の
栓を抜いてしまえば、薬も中へ入って
効験がよく現れるというお話しがあったから、早速
嬢にその思っている事を尋ねたが、どうしてもいわない。デお前に頼むのは、始終
嬢の
側にいて、どうか気長に
嬢の胸に思っている事を聞いて貰いたいのだ」
竹「ハア成程、それでは私が今日から徳利の栓抜きに雇われますので」
主「先ずそうだ」
竹「ヘエー、一ツ抜いたらどの位頂けましょう」
主「病が癒りさえすれば幾らでも上げる」
竹「幾らでも…成程、幾らでもというのが少々気に入りませんが、如何でございましょう、確と定て頂きたいもので、当今は徳利抜きの相場が大層上がっておりまして…」
主「馬鹿な事をいいなさんな、徳利の栓抜きに相場があるか、それではお前の望みをいいなさい」
竹「望みといっても大した事はございません、如何なものでございましょう、栓を一ツ抜いたら十円頂戴」
主「宜しい。十円でも二十円でも栓さえ抜けばお前の望みだけやりましょうから、気長に聞いておくれ。急に聞こうといっても容易にいうまいから」
竹「宜しゅうございます。それでは一つが十円でございますよ。そう事が定ればお嬢さんに願って十ばかり抜かして頂きます。そうすれば先ず此処で百円になる。私も百円の金に有り付けば一寸楽ができます」
主「欲張んなさんな。マア貰う事ばかりいわないで、嬢の所へ行って聞いてくれ」
竹「畏まりました。では早速お嬢さんの所へ参ります」
主「あんまり側へ寄って大きな声を出しては可けないよ」
竹「宜しゅうございます。万事私へお任せを願います」
これから竹庵がお嬢さんの寝ている居間へ参りまして、
竹「ヘエ今日は、大きに御無沙汰いたしました。オヽ、大層お窶れになりましたな。貴嬢はお気が小さいから可けませんよ。何でもお気を大きくお持ち遊ばせ。そうして貴嬢がお一人で考えて在っしゃると徳利の栓が殖るばかり、貴嬢の御病気というは、他の病ではない。徳利病といってお腹の中へ徳利が出来てしまって、それに栓がしてあるので、この栓がどんな医者が来ても抜けません。お前に限るというので相談が纏まってその栓抜に雇われて一ツ抜くと十円という事に定って抜きに参りました。貴嬢だって私を御贔屓にしてくださるんでございましょう。竹庵やお前が商売になる事なら、勝手にお抜きと私の所へ徳利を出して下されゝば抜きますよ。十抜けば百円頂戴が出来ます」
嬢「何だね竹庵、お腹の中へ徳利が出来る奴があるものかね」
竹「それが貴嬢のようにそう考えていると徳利が出来ますよ。何か貴嬢はお胸に思った事がございましょう。その胸に思った事が段々固まってしまって、それが徳利になったので、それに栓が付いている。どうすれば栓が抜けるというと、貴嬢が胸に思った事を二ツ仰れば一ツ抜けます、三ツ仰れば二ツ抜けます。貴嬢が阿父さんや阿母さんに言い難い事でございましょうから、私だけに仰れば、竹庵がどんなことでも叶えて差し上げます。何か貴嬢思った事がございましょう」
嬢「マア大きな声だね。静かにおしよ。それは胸に思った事があるけれども、この事ばかりは私はどうしてもいえない。誰にも云えない。死んでもいわれません…」
竹「ヘエ―、貴嬢死んでも仰いませんか、死ぬと命が亡くなってしまいますよ」
嬢「五月蠅いね。彼方へ行っておくれ」
竹「五月蠅いとは厳しゅうございますね。私は貴嬢のお為なればどんな事でもいたします。竹庵、其処で鯱鉾立ちして御覧と仰れば、直ぐに行ります。壁立でも何でもいたします。竹庵お前命をくれないかと仰れば、私は命を差し上げます」
嬢「竹庵、お前大層親切だね」
竹「エヽ貴嬢の為ならどんな親切でも尽くします」
嬢「じゃァ何かへ竹庵、お前は私に命をくれるというのかへ…ほんとに屹度私に命をくれるかへ」
竹「エヽ、それはお話しの次第によって差し上げます」
嬢「それだから私は話が出来ないんだよ。かえって五月蠅いから彼方へ行っておくれ」
竹「それじゃァ何でございますか。貴嬢は私の命をくれるとなれば取らなければ話が出来ないので…」
嬢「お前が私に命を話すかも知れない」
竹「ヘエーそれでは命懸けだ。当年一ぱいい位は日延べへ出来ますまいか」
嬢「それが今日取るか明日取るか分からない」
竹「心細い命でございますな。少々お待ちなすって…宜しゅうございます。差し上げましょう」
嬢「お前本当にくれるかへ」
竹「本当に差し上げます」
嬢「屹度くれるね」
念を押されて竹庵ブル/\震え出して、
竹「ヘヽ差し上げます」
嬢「お前が私に命をくれるなら全く話しをするから、モウ少し此方へお寄り」
竹「ヘエ」
嬢「其処をピッタリ閉めて此方へお出で」
竹「ヘエ…この位で…」
嬢「モット私の側へおいで」
竹「ヘエこの位で…」
嬢「モットお寄り」
竹「ヘエモウこれで一ぱいでございます」
嬢「何だへ遠慮をおしでない。モッとズッと私の側へ…」
竹「ヘヽヽヽ、お嬢さん御冗談仰っては可けません。貴嬢は飛んだ心得違いで、よく考えて御覧遊ばせ。貴嬢は何も私のような者の為に恋煩いを遊ばさないでも宜しゅうございましょう。私はとても御当家の養子にはなれません。とてもこれは納まりません。お諦め遊ばせ…」
嬢「何をいっているんだねえ」
竹「ヘエー誰で」
嬢「お前が私に命をくれるというか話しをするが。モット此方へ寄っておくれ」
竹「誰だか当てて見ましょうか。日外貴嬢が私と乳母ァと歌舞伎座へ行きました。あの時、前に二人いた左の方の男は好い男でござましたね。あれを貴嬢が一目御覧遊ばすと、お顔がポーッと赤くなりました。それからお宅へお帰り遊ばすとお病気、どうかアヽいう人と夫婦になりたいが、何処の人か知れないというので、此処へ固まってしまったんでしょう」
嬢「イヽエそうではない」
竹「ヘエー違いましたか。それじゃァ貴嬢と私と向島へお花見に行きました。あの時桜餅を食べに寄りましたね、スルと年の頃二十一二でございましたか、幼さな子供を連れて花を見ておりましたのが、少し病身のようではございましたが、あの位の男は滅多にございません。あれを貴嬢チョット横目で睨んでポーッと顔を赤くなすった。それからお宅へお帰り遊ばすとお床に就いたのでございましょう。ありゃァ貴嬢私が知っていますよ。小川町の唐物屋の息子さんで毎度私が御贔屓になります。それなれば貴嬢早く仰れば阿父さんに知れないようにお取り持ちをいたしたものを、あれでございますか…」
嬢「イヽエそうじゃないよ」
竹「オヤまた違いましたか」
嬢「実はお前が私に命をくれるというからお前だけに話しをするが、私とお前と乳母と、ソレお花見に行ったね」
竹「ヘエ/\」
嬢「あの帰りに三囲の処で猫を一匹拾って来たろう」
竹「ヘエ拾って来ました。良い猫でげしたな」
嬢「あれを私が大切にしていたんだよ」
竹「成程」
嬢「するとね、あの猫がこの間死んでしまたんだよ」
竹「ヤレ/\それはご愁傷様で」
嬢「あの猫が死ぬとお前も知っているだろうけれども私の側にいた乳母ァが…」
竹「ヘエ/\」
嬢「夜になるとお前その死んだ猫の通りの顔になるんだよ」
竹「ヘエー成程」
嬢「そうして私の処へ来て、お嬢様この事を阿父さんや阿母さんに仰ると、貴嬢を生かしてはおきません。きっと食い殺すというんだよ」
竹「ヘエー」
嬢「そうしてお前、長い舌を出して、私の手から足から、身体中、ペロ/\、ペロ/\舐めるんだよ…」
これを聞くと竹庵アッというと廊下へ飛び出す途端に目を廻した。この物音に家中の者が驚いた。
主「オイ番頭や、なんだ竹庵が大きな声をして今音がした、目でも廻したんじゃないか」
番「ハイ…やァ定吉水を持って来い。竹庵さんが目を廻してしまった」
主「其処じゃァねえ、此方へ連れて来い」
というので大勢で竹庵を抱え、主人夫婦の居間の方へ連れて参り、水を呑ませる、薬を含ませる、大騒ぎをして介抱をいたし、漸うのことで息を吹き返した。
主「竹庵確かりしろ」
番「どうしたんだ確かりしねえよ」
竹「ヘエモウとても可けません。竹庵は死にました…」
主「馬鹿をいえ、死んだ奴が口を利くか。どうした、嬢の話を聞いたか」
竹「ヘエ」
主「聞いたら話をして聞かせろ」
竹「お話を申すと貴郎も直ぐにこういう風になります」
主「何でも宜いから話をしろ」
竹「それでは申し上げますがお嬢さんと私と乳母ァと花見に行きました」
主「アヽ行った」
竹「あの帰りに猫を一疋、拾って参りました」
主「ウム/\」
竹「家へ連れて来るとその猫が死にました」
主「アヽそうだ、嬢が可愛がっていたが惜しい事に死んでしまった」
竹「あの猫が死ぬとお嬢様の側に付いている乳母ァが…」
主「ウム」
竹「夜になるとその死んだ猫の通りの顔になるんで…」
主「エッ」
竹「そうしてお嬢様の処へ来て、お嬢様、この事を阿父さんや阿母さんに仰ると、貴嬢を食い殺しますよといって、長い舌を出して、お嬢様の手から足から身体中、ペロ/\、ペロ/\舐めるんでございます…」
主「変な面をするな。全くか」
竹「全くでございます。打っ捨っておくと今夜の中にお嬢様は猫のために食い殺されます。殊によると私も序に食い殺されるかも知れません」
主「それは大変だな…番頭聞いたか」
番「どうも困った事が出来ましたな」
主「今時どうもそんな事があろうとは思わないが、こうしよう、幾らか金が費ってもたった一人の娘を猫のために食い殺されでもした日には可哀想だ。猫退治をしよう。今夜鳶頭の処へ行って若い者を五十人ばかり集めて貰って、各自に鳶口を一本づゝ用意をして、宵の中は散々酒を呑まして騒がせて、夜が更けていよいよ猫が出るという時分になったら身支度をして貰って、シーンとさせておいて猫が嬢の側へ来た処を五十人ばかりで突然に跳り込んで鳶口を打ち込んだら、どんな猫でも参るだろう」
番「ヘエ成程、旨い御趣向でございますな。そうしたら殺せましょう、じゃァ一ツ鳶頭の処へ行って相談をして参りましょう」
主「アヽどうか頼むよ」
番「畏まりました」
と、番頭が早速鳶頭の処へ行って頼むと、金の勢いは恐ろしいもので、忽ち五十人ばかりの若い者を集めて参り、宵の中は酒を呑んで騒いでおりましたが、夜中になるとシーンと鎮まり返ってしまった。スルと鳶頭が、
頭「オイ/\皆起きているか。そろ/\支度をしねえ」
○「モウ鳶頭支度は出来てるんだ。支度は出来てるが、まだ猫の大きさを聞かなかった。全体猫の大きさはどの位あるんだ」
頭「そうよな、乃公も見ねえんだが、頭の大きさは四斗樽位あるという事だ」
○「そいつァ恐ろしいな…この中に誰か食い殺される奴があるだろうな」
頭「そうよ、五六人は食い殺される奴があると覚悟をしなくっちゃァならねえ」
○「ヘエー…まだ鳶頭猫は出ませんかね」
頭「モウ出ているんだ、静かにしねえ」
○「モウ出てるったって何処に…」
頭「お前の座ってる唐紙一ツ隔った座敷だ」
○「アッこりゃァいけねえ。道理で何だか忌な風が吹いて来たと思った…頭、私は何だか腹が痛くって仕様がねえ。疝気持ちで腰が痛くなって来た。家へ行って薬を服んで来るから…」
頭「弱い事をいうな。手前だって覚悟をして来たんだろう。大切のお店のお嬢様を助けるんだ、威勢好くやってくれ。そりゃァそうとモウ猫が出ているだろうから覗いてみねえ」
唐紙の透き間からソッと覗いてみると驚いた。その覗いた奴は真っ青になって口も利かずに其処へ尻餅を搗いた。
頭「どうしたんだ」
○「フワ/\/\」
頭「どうしたんだ、確乎しろ」
○「乃公は生まれて始めてこんなものを見た。大きな眼玉がピカ/\光ってる、誰か代わって見ろ」
また一人の奴が覗いてみるとドターリそれへ引っ繰り返ってしまった。
△「各自に弱い奴らだ、乃公なんざァ箆棒め、怖いなぞと思った事がねえ。どうか一つ怖いものに出会したいと思ってるんだ。高が猫だ。出て来りゃァ乃公が一人で退治してやる。腕に筋金が入ってるんだ」
散々威張って覗いてみると驚いた。
△「ワーッ」
というと真っ蒼になって口が利けない。
頭「どうした確乎しろ」
△「ウーン、モウ駄目だ」
頭「馬鹿野郎、手前今何といった、腕に筋金が入ってるといったじゃねえか」
△「こんな怖えものじゃァないと思った。生まれてこの位驚いた事はねえ」
頭「各自に同じような事をいってやがる。そう皆怖がっていた日には退治する事が出来ねえ。いよいよいると定ったらこうしよう。身支度をして、唐紙を威勢よく開けて、一時に鬨の声を揚げて飛び込もう」
△「だって先方がジッとしちゃァいめえ。開けた処を突然向こうから飛び付かれでもした日には堪らねえ」
頭「意気地のねえことをいうな。手前開けろ」
△「乃公ァ開けるのは忌だ」
○「乃公も忌だ」
頭「じゃァ権助が宜い。彼奴に開けさせろ…イヤ権助、お前は大層忠義者だ。お嬢様を助けるんだから一ツ働いてくれ。こうして乃公達も命懸けでやるんだが」
権「ヘエ」
頭「乃公達が鳶口を持って飛び込むから、お前一ツ唐紙を威勢好く開けてくれ、お前がガラリと開ける途端に乃公達が飛び込んで猫を打ち殺すんだ」
権「止すべえ」
頭「何故」
権「何故たって、中に猫が入ってる。その猫が人間に化ける位のものだから、身体が自由に利くに違いねえ。唐紙を開ける処を咽喉笛へでも食らい付かれたらそれッきりだ。大勢いた日には乃公逃げる事がなんねえ…」
頭「じゃァこうしよう。乃公達は両方に立っていて真ん中へ逃げるだけの道を拵えてやろう、唐紙を開けたら直ぐに真ん中を脱けて逃げてしまいねえ」
権「成程、乃公一人逃げてお前達は中へ入るんだな…それじゃァやるべえ。けれどもお前方が同時に逃げたら駄目だよ」
頭「大丈夫だ」
権「そんならやるべえ…もッと此方を広く開けてくれ。邪魔なものを其方へ片付けて貰いてえ…その障子や何か、皆打っ外してくれ」
頭「よし/\…どうだ」
権「その柱も邪魔になる、それも取って貰うべえ」
頭「これを取れば家が壊れてしまう」
権「それじゃァ仕方がねえ…ソレ宜いか開けるぞ。乃公開けると貴郎方中へ入るんだ宜えか。貴郎方同時に逃げると駄目だよ。貴郎方が先へ逃げると駄目だよ。貴郎方が先へ逃げると、乃公ァ跡から逃げる。猫が追っ駆けて来れば乃公から先へ食われてしまう」
頭「大丈夫だ、宜いからシッカリお頼み申すぜ…」
権「サァ開けるぞ」
権助が唐紙へ手を掛けて、自分も怖いから、後ろを振り向きながら、
権「ソレ宜えか、開けると乃公ァ逃げ出すから…」
頭「大丈夫だ」
権「お前等逃げちゃァ駄目でがすよ…ソーレ開けた…」
開けられたから堪らない。五十人ばかりの若者が、逃げる訳にも可かないから、ワーッと声を揚げて中へ飛び込むと、猫も不意を食らって、座敷をグル/\廻って天井裏へ飛び付いたが逃げる処がない。壁へ大きな穴を開けて突き破って逃げてしまった。
頭「だから見やァがれ、手前そんなものを持っていて何故猫の身体を叩かねえんだ」
○「叩こと思ったんだが、何しろ此所へ向かって先方から跳び付かれちゃァ敵わないと思って避けたんだ」
頭「本当に意気地のねえ野郎だ。あの猫を逃してしまったら、この先どんなことをするか知れねえ。しかしマァ此家のお嬢さんはよくこれまで食い殺されずにいたな…オヤ少し待ちねえ、猫の逃げたこの壁に何か書いてある。何、何、何だと…歯があれば食い殺したく思えども、ホンの『はなし』で舐めたばッかり…」