天王寺詣り(てんのうじまいり)
五代目笑福亭松鶴
エエ、一席伺いますは、天王寺詣りの、お噺でござります。
「今日は」
「コレ喜さんえろうにこにこ笑うているが、どうしたんや」
「貴郎珍らしい物が好きだすが、珍らしい物見せまヒョか」
「珍らしい物てなんや」
「あんたひがんて、見た事おますか」
「ひがんてなんや」
「サア知りなはれしまへんやろがな、内へきてごらん、裏の小さい穴から、出たり這いったりしてまんね、丈けが五六寸で鼠のチョッと長いようなやつで、キチキチと鳴いて、いまんね」
「ナンや、お前が言うてるのほ、
「ヘエ、ちょっとも違えしまへん、私いも鼬やとばっかり、思うてました、余り出たり這いったりするもんやさかいに、下駄で蹴ってやろと、蹴りかけたら、隣りの藤助はんが這入って来て、コレ何をするわ、ひがんやがなと、言いました、ひがんて鼬によう似てまっせ」
「それは何を言うのや、そら鼬が出たのやがな」
「ンンなら鼬が出たらひがんと言いますか」
「鼬が出たよって、ひがんと言うたのやない、彼岸中やから、これ何をするわ、ひがんやがなと、言うたのや」
「アアさよか、鼬が出たら彼岸なら、鼠が出たら中日だっか」
「ソラどうやしらん」
「ヤッパリ猫が出たら、けちにやんだすか、彼岸て何だす」
「天王寺で七日間、無縁の仏の供養をするのや」
「無縁の仏の供養をするというと」
「天王寺で、引導鐘を撞くと、それが十万億土へ聞えるというのや」
「ナンノカンノと、天王寺のやまこ坊主が」
「やまこ坊主とは、どうや」
「そうだんがな、私し所から天王寺へ、近いのに一寸も聞えまへんのに、十万億土へ迄、聞えそうな事がおますかいな」
「そんな、むちゃを言うもんやない、御出家は、十万億土の道を教えなはるのや」
「ソラあかん、私て此間、心斎橋筋を歩いていたら向うの方から来た坊んさんが、もうし八幡筋はどちらへ参りますと、聞いてました、八幡筋の、わからん坊んさんが、十万億土が、わかりそうな事が、おますかいな」
「コレそんな団子理屈を言うもんやない、御出家の極楽の道を教えなはるのや」
「そんなら、あても撞いて遣りたい者がおますね」
「お前の身寄りかなんぞで」
「イエ宅にいた男でやす」
「コレお前所にいた男なら、私は大抵知っているが、どんな男やええ」
「ヘエ色の黒い、目のちょっと釣った、ソレいつもお宅へ来て、可愛がってもらいましたがなア、ソレ買いたてのさかなを取ってから、憎たらしなったと言うて、あんた怒っていなはったやろがな」
「コレびっくりしたがな、犬かいな」
「サヨサヨ」
「男やというから私しは又、人間かと思うていたがな」
「アレ雄だす」
「なんぼ雄かて、アノ黒見ぬと思うたら、死んだのか」
「ヘエ表へ出るなよと言うてますのに、表へ出て横手の風呂屋の前まで行たら、向うの方から、長い棒を持った人が出て来て、いきなり鼻の上をば、ボン……と殴ったらクワーンと、言うたが、この世の別れアア……、
「コレお前泣いているな」
「ヘエこれから天王寺へ行て、鐘を撞いて遣ります」
「コレ犬の鐘を撞くとは、面白いな」
「ケドあれ犬どう鐘というて、有がたいかしらん」
「コレ啼いていて、洒落を言うやつがあるか、マアマア撞いて遣り、功徳になる」
「如何したら撞いて呉れますやろうか」
「アア銭の二十銭も包んで行たら、撞いてくださる」
「二十銭て僅かでやすな」
「ソヤ僅かや」
「チョト取替えて遣りなはったら、どうでやす」
「マダ誰ぞ、連があるのかえ」
「イイエ貴郎の前にいる、にこにこ笑うてる男に」
「ナンヤお前かいな」
「ヘエお前でやす」
「コレひと事の様に言うているな」
「ツイ吾事は、言いにくいので、一人仲人を頼んだのだす」
「そんな事しいないな、ややこしい、お前に一円三十銭、貸しがあったな」
「ヘエヘエ、あんなもの、だいじおまへん」
「それは、私しが言うのやがな、お前にもの言うたら損がいく、今他所へ持って行くので、包んだのが、此処にある、これ貸してあげる、併し白紙でも持って行けんで」
「何ぞ書きますのか」
「普通ならこれへ戒名を書いて持って行くのや」
「犬の戒名で、ワンワン信士と、どうでやす」
「ワンワン信士とは、おかしいな」
「それなら俗名は、どうでやす」
「俗名ならよかろう、俗名は何んとしとこ」
「俗名“くろ”とな」
「けったいな俗名やな、マアマア書いておいてあげよ、日は何日やえ」
「七月の二十四日でやす」
「オオオオよくせき、なんとか思えばこそや、犬の死んだ日を、覚えているだけ感心や、七月の二十四日俗名黒、もう無いかえ」
「なんぼ書いても、
「なんぼ書いても同じ事や」
「そんならついでに、お親父さんのも、書いて貰いまよか」
「コレちょっと待ちんか、どこぞの世界に、犬の
「ここらが、ハイカラだんな」
「何のハイカラな事があるものか、お親父さんの戒名は何と言うのや」
「ヘエ
「霊龕奇定信士、日は何日や」
「それ忘れました」
「お前は便りない男やな、犬の死んだ日を覚えていて、親の死んだ日を忘れるやつがあるか」
「ヘエ、ここらが現代で」
「何が現代な事があるものか、ちょっと待ちやお前のおとっさんの死んだ日は、エエ……こおつと、なんでも節句やったか、月見やったかと、違うか」
「ソウソウ、団子喰うた日だす」
「コレ喰物のほうで覚えている、八月の十五日霊龕奇定信士と、もう無いかえ」
「ソンナラ、もう一つ、俗名笑福亭松鶴と」
「コレ笑福亭松鶴てなんや」
「ヘエ背の高い口の大きな落語家だす」
「可愛想に、あの男死んだかえ」
「イエ未だ達者で働いています」
「コレ達者でいるのに、引導鐘を撞いてどうするね」
「私しまた、五代目松鶴がヒイキだすゆえ、撞いて遣ろと思うてます」
「それでは、松鶴が災難やがな、書いてしもうた物仕方がない」
「日は、何日にしておきまひょう」
「コレ未だ死んでえへんがな、サア詣っておいで」
「貴郎はどうだす」
「私しは間の日に詣るのはいやや、私の詣るのは中日や」
「中日といいますと」
「今日が三日目、
「翌日詣るやなんて、気の長い、今夜にも死んでみなはれ、詣られまへんで」
「コレその様な、人の気の悪なる様な、ものの言いよをしいなや」
「ソウでやんがな、小野の小町は女でも、好い事を言いましたで、人間は風前の燈火でやすと、風前の燈火とは風の前の火でやすと、翌日をも知れぬ身の終りかなと、言いましたら、一休さんが小町は昔の人間で気が長い、風前の燈火なら、翌日をもどころやない、今をも知れぬ身の終りかなやと、また御開山が何とおっしゃった、翌日あると思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかや、ただ南無阿弥陀仏を」
「コレそんな所で法壇をしなや、人の気を心細うしよった、どうも仕方がない、牛に引かれて善光寺詣りや」
「犬に引かれて天王寺詣りでやす」
「コレ掛合で饒舌りな、コレおさよ、私の羽織を出してんか」
「私のんも出してんか」
「コレお前の羽織というてあれへんがな」
「貴郎のん借って行きますね」
「あんな男や、何なと羽織を貸してやりなされ、大きな方の銭入れ出してんか」
「お金を
「そんな事はっておき、早う外へ出なされ」
「用事のあるのに、引張り出して、気の毒におますな」
「出てから其様なべんちゃら言いなさんな、こんな雲った日に出ると、何とのう
「モシ此所ら坊んさんが沢山と歩いてはりますな」
「早いもんで、ちゃんと下寺町や、急がしい下寺町の坊主持ちと、いうのは此所の事や」
「モシ向うから来る坊んさん、えらい好い風体をしてはりますな」
「ほんに好い風体をしていなさるな」
「好い坊んさんとみえますな」
「好い御出家やな」
「上坊主でやすな」
「コレ上坊主という事があるか」
「アレは二十坊主だっか」
「コレ何を言うているね」
「此所どこでやす」
「此所が逢阪合邦ヶ辻や、この高台の寺が一心寺、こちらに鳥居のあるのが、天神山安居の天神ソレ早いもので、これが天王寺石の鳥居や」
「マアマア」
「コレ大きな声やな」
「マア立派な鳥居でやすな」
「これを日本三鳥居と言うね」
「ヘエ日本三鳥居て何んでやす」
「大和吉野にあるのが、金の鳥居、芸州安芸の宮島にあるのが、楠の鳥居、天王寺石の鳥居と、これで日本三鳥居と言うね」
「ソンナラ皆、同類だすか」
「盗人みたいにいいなな、上を見てみ」
「エライ所へ塵取を、上げよったんやな」
「コレ塵取やない、あれは額や」
「ヘイヘイ百日
「それは核(癌)や、中に書いてある文字が読めるか」
「ヘエ何や知らんが、四字ずつ書いて、四四の十六字、書いてます」
「字数やない、何と書いてあるか判っているか」
「ソレは判って、ない……」
「ソレ、釈迦如来、転法輪所、当極楽道、東門中心じゃ」
「なんにも、わからん、猫のふんじゃ」
「コレ、いらん事言いな」
「誰人が書いたんでやす」
「弘法の、支へ書と言う」
「
「それは、ごんぼのささがきや、誠は、小野の道風の、自筆ともいう」
「古いもんだすな」
「道風を聞いて、古い時代が判るか」
「イエ縁が一ツ取れてます」
「取れてあるのやない、額というても
「私しが此所で、ひっくりかえる」
「コレそんな所で、とんぶりがいりをしないな、頭から着物まで、砂だらけやがな」
「
「コレそんなあほらしい事、言いないな」
「ケド建石が立てます」
「ソレハ建石やない、ぽんぽん石や」
「ぽんぽん石てなんだす」
「あの石の真中に四角な穴がある、石を持ってたたくとぽんぽんと唐金のような音がする、其所へ耳をあてると、吾身寄の者が、来世で言うてる事が、聞こえるのや」
「死んだ者の言うてる事が、聞こえますか、これはおかしい、一ぺんやってみよ(石で叩く其所へ耳をあてる)コレハおかしい、フウン……なんのかんのと、ちょこざいな……」
「コレ何を言うてるのや」
「私の叔父さんは口が上手でやすさかいに、来世へ行ても、うまく
「コレ
「サア
「そんな事が判ってるか」
「ソレ聞てみなはれ、言うてますがな、どうぞこちらへお掛けやす、景色の好い所が空いてます、おでんのあっあっ、何でも出来ます」
「コレそれは隣りの茶店やがな」
「アア左様か」
「あんな
「さいもんてなんでやす」
「西の門を西門と言う」
「ソンナラ東の門は」
「東門やないか」
「南の門は」
「南門や」
「なんもんと言うたらさいもんや(何文やと言うたら三文や)」
「ソンナ余計な事をいいないな」
「アアこんな所に車が、附いたある、アノよう廻る、どなたも廻してごらんなはい、大当りはカステイラが三本」
「コレ、ハッタリ屋やないがな」
「コレなんでやす」
「これは輪宝と言う」
「アア小便の出にくい病気だすか」
「それは淋病や、輪宝……」
「りんぽうてなんでやす」
「天王寺の寺内は、天竺の形を取ったもの、手洗水がない水と言う字が崩して車にしてある、三度廻すと、手を洗うたも、同全や」
「これを三べん廻したら、手を洗うたも同全だすか、一ぺんやってみよ(車を三べん廻して手をかぐ)なんのかんのと、もさひきが」
「もさひきとはどうや」
「ツウでやすが、三べん廻したら手を洗うたも同全や、私さっき尻かいて、コレ何べん廻しても、かざがぐと臭い」
「コレ汚ない事をしないな罰が当るで、コチラへお出で」
「敷居の高い事」
「天竺の形を取って敷居が高くしてあるのや」
「私が家主さんへ行くように」
「家賃を払わぬから敷居が高いのや、コレが義経の鎧掛松や、コレが経堂、経文ばかりで詰まってあるのや、コレが金堂、この格子の内を覗いて見なはれ」
「何やチョン
「アレが淡太郎の木像や」
「コレだすな万さんとこの子を取りよったのハ」
「ナニが」
「ガタロ(河童)の極道だすか」
「淡路屋太郎兵衛という、紙屑問屋の旦那や、天王寺が大火で焼けた時、五重の塔を一建立で、建立しなはった、その木像が残してあるのや」
「五重の塔てどこにおますね」
「前にあるやないか」
「マアマア」
「大きな声やな」
「なんでこれ五重の塔と言いますね」
「五ツ重なってあるから、五重の塔や」
「一イ二ウ三イ四オ、四ツしかおまへん」
「上にもう一ツあるがな」
「あの蓋とも五重だすか」
「重箱みたいにいいないな、コチラへお出で、コレが竜の井戸、天王寺の境内は池であった、竜が主、聖徳太子がこの井戸へ符じ込んで仕舞たので、竜の井という、これが廻廊や、南門仁王さんの立っているのは此所や、西に見えるが神子さん、南のお茶所、虎の門、お太子さん、前にあるのは夫婦竹、太子引導鐘猫の門、左甚五郎作で、大晦日の晩にはこの猫が泣くという、用明殿、指月庵、聖徳太子十六歳のお像、亀井水、経木流す所や、たらりやの橋、俗に巻物の橋、向うに見える小さいお堂が丑さんで、前にあるのが瓢たんの池東に見えるが東門、内らにあるが釘無堂、コチラが本坊、足形の石鏡の池に、伶人の舞の台や」
「れいじんの舞の台てなんだす」
「
「誰が舞うたのだす」
「大晦日の晩に、天王寺の楽人が、舞うたというね」
「ソラ大晦日の晩に舞をまうのは天王寺の、らくにんやな」
「らくにんやない楽人や」
「沢山見に来ましたやろ」
「四方の門を閉めて誰にも見せぬのや」
「何にもならん事をしたもんやな」
「ソヤから何にもならん事をすると、縁の下の舞とこれから言うたのや」
「なるほど、ほんまだすか」
「コレは嘘や」
「うそつきなさぬな」
「お前には少しは嘘をまぜんと便りない」
「天王寺の蓮池に亀が甲干す、はぜをたべる、引導鐘ごんと撞きや、ホホラノホイてなんだす」
「コレそんなけったいな、尋ねかたを、しないな、皆がお前の顔を見てるがな、ソレハ此所や」
「アア向うに亀がたんといてます、向処へ往きまひょうか」
「向うへ行かいでも、手を叩くと、皆亀がこちらへ来るがな」
「ソレ知らぬよって、一遍やってみよ(ポンポンポン)アア来る来る、手を叩くと来るとは、うまい事仕込みよったな、ココの亀以前仲居をしてたのかしらんて」
「コレ其様な阿呆な事があるかいな」
「アア踊ってる、後でステテコ踊ってや」
「踊ってるのやない、何ゾ貰えると思うて、上手しているのや」
「可愛いもんやな、そんな事を知っていたら、空豆なと買うて来てやるのに」
「コレお前に物云うてると腹がたつ、空豆の様な堅い物を囁むかいな」
「ソンなら
「ソンな理屈をいいないな」
「亀、酒好きだんな、あて
「コレお前は訳の分らん、物の云い方をするな、すっぽんの酒、亀に呑ましたてなんや」
「貴郎が、分らん人や、すっぽんという、酒を入れる物、その中の酒を亀に呑ましたのだす」
「ソンナラ、そういいな、すっぽん酒亀にと云うから、分らんのや」
「盃に酒をついで、亀の口の所へ持って行くと、亀こう短いおとがいを突出して、余程酩酊」
「ナンノ
「少し盃に残して向うへ行きますので、オイそんな行儀の悪い酒を残して、皆呑んで仕舞いと
「コレそんな
「なんぞ遣る物が無いかいな」
「お前の前にはぜがある、それを遣り」
「コンナ物があるのを知らなんだ、ソレ遣ろ、
「コレ何程遣るね、一ぱい一銭やで」
「アアこれお金がいりますか」
「アアいう阿呆やがな」
此様に云うてますと、天王寺の境内には、右の男二人限りのようですが、中々彼岸中は、奇進坊主が出るやら、商人さんが沢山に店を出しています。八丁鐘の音がして賑やかな事。御焼香(此処で、ぜんと云う鳴物が這入る)押立うまいのうまいの(箱ずしを押す真似)握りたて握りたて(握りずしを握る真似)巻たて巻たて(巻ずしを巻く真似)本家は竹駒やでござい、ゴオ……(竹駒の音)亀山の媒ン平さん、こちらは覗屋、小さな台に、色硝子の這入って横手に目鏡が附いてある荷物、目鏡を覗くと中に名所の写真が見える、説明を仕ています、あなた御ろうじますは、東海道は鳴海の宿、有松や鳴海絞りの国境ここの名物菜めし田楽、あなた御ろうじますは、阿波の国は立江、
「サアこちらへお
「マアみなはれ、市松人形や着物が沢山吊ってある、あれ売りはりますのか」
「あれは子達を死なしなさったお方が、涙の種になるので持って来てあげてあるのや」
「なんで涙の種になりますね」
「子供があの着物を着て遊んでいたとか、あの人形を持って遊んでいたとか、見る度に涙の種になるから持って来てあげてあるのや」
「それなら私も涙の種になる物がおます、黒が毎日喰うた摺鉢がありますね、こんな事なら持て来て、縄で括って釣って貰うのに」
「そん事が出来るかいな、サア今の包んだのを出して頼み」
「オイ坊んさん」
「坊んさんとはどうやいな」
「一ツお頼み申します」
「なまみだぶなまみだぶ、はいはいはいこちらへお上りなされ」
「上へあがり」
ガン(鐘の音)
「
「イエおんだす」
「これ」
「また願わくば、八月十五日の精霊者、
「ヘエ未だ達者だす」
「
「コレどこを見ているねお前が鐘を撞いてやろという一心で、黒が鐘に乗り移っている」
「どこにだす」
「あの鐘の音を聞てみ、ウウムとうなるとこ、お前所の黒によう似ている」
「南無阿弥陀仏」ポー……ワンワンワン、ウン……。「テヘ……(泣く)黒お前が来ている事を知ってたら、鰻のシャッポンでも、買うて来て遣るのに」
「コレお前は訳の分らん事をいうな、鰻のシャッポンてなんや」
「鰻の頭と言いにくいので、鰻のシャッポンと言うてますね、オイ坊んさん、引導鐘三ツといいますよって、後の一ツ私に撞かしとくなはれ」
「サアサア撞いてあげなされ、功徳になります、こちらへ来て御焼香なされ」
「オイ御焼香しといで」
「御焼香てなんだす」
「むこの香焼へちょっと香をくべてくるのや」
「おしょうこう、今日わいな、御当家に、お金がどっさり儲かって、悪魔払いに数多、稲荷の数を寄せ集め、伏見では、熊鷹稲荷の大明神、権太夫稲荷の大明神、末広稲荷の大明神、白玉稲荷の大明神、人丸稲荷の大明神、数多稲荷を寄集め、御当家へは悪魔は、コンコン」
「コレそんな所で乞食のまねをしないな」
「今のウワンウワンを頼むで、ガンガシンニョ、ニョコロ、テエカネンネン、ボンジョカイジョ、コクヨ」
「コレお前がそんな事をいわいでもよい、早を撞き」
「一イ二ウ三ツ、クワン、ああ
天王寺詣りについて
題目
天王寺詣り
天王寺各所
犬の引導鐘
皆同一なり
この噺の口演者
故三代目笑福亭松鶴
同桂燕枝
同桂南光
同桂小南光
四代目笑福亭松鶴
其の他は略す