四段目(よだんめ) 八代目春風亭柳枝  ェェお馴染のお笑いでごめんをちょうだいをいたしますが、ものに凝るてえことォいいますが“凝っては思案にあたわず凝らずんばその味《あじ》あいがわからない”。あまりものにお凝り遊《あす》ばすてえといけないようでございますが――お芝居なぞがそうでございますな、見ているうちはよろしいのですがそれでは堪能《たんのう》なさらないン、ご自分が役者ンなったつもりかなんかで表を気取って歩いてらっしゃるかたがある。ちょいとこの溝板《どぶいた》なんぞがあるとこれ花道の代《か》ァりかなんかでな、犬が寝てえるとこいつを踏《ふ》ンまいて 「(見えをきる。声を張って芝居調で)ああら、あや、しィやなァ」  手前《てめえ》のほうがよっぽど怪《あや》しいくれえなもんです……こうなった日にゃァ気違いですからなァ。 「定吉がいたら呼ンどおくれ――他の者《もん》ではいけません」 「旦那お呼びでございますか?」 「用があるから呼ンだんだ」 「ェ聞《きこ》いましたからまいりました――」 「なァにをいってる……お前《まい》はどこィ行っておった」 「旦那のご用でもって田中さんのお家《うち》へ行ってまいりました」 「田中さんのお家《うち》へ行ったのは何時頃だ?」 「朝のご飯《はん》食べてまもなくでございました」 「いまは何時だァ?」 「えへェ、午後の、二時ちょいと廻《まあ》ってますゥ」 「田中さんとこまで何|町《ちょう》ある――二町か三町しかない、そんなにかかるわけがない。お前《まい》道草を喰《く》ってたな?」 「いえ道草なぞォ喰やァしません――あッ、お話をすんのがおくれて相すいません、実ァ田中さんの家《うち》を出たァン、そうしたらおッ母《か》さんが跣《はだし》で歩いて来たんで、『どうしたんだ?』と訊いたら、『実は、お父ッつァんが……あのォ……長《なが》の患《わずら》いで腰が立たないン、お前《まい》に話をすると心配するといけないから黙ってたんだけど、一日《いちんち》も早く腰が立つように、金毘羅《こんぴら》さまをお百度|参《まい》りをしてるとこう申しますン、からあたしも一緒ンなってお百度参りをいたしましたのでおそくなっちゃったんでご勘弁を願います」 「そうか――そういうことならなぜ早くいわない。親孝行――小言をいうではなかった勘忍しておくれ。お父《と》ッつァんはいつ頃から腰が立たないン?」 「三月《みつき》ばかり前《まい》からだそうで」 「なんだ三月前《みつきまい》? はァてな、あたしゃァ五《ご》、六日《ろくんち》ばかり前《まい》に東京駅の前《まい》で人力車《くるま》ァ引いてるのォ会ったぞ」 「ああ……悪《わり》いとこで会ったな……あの日|一日《いちんち》ご利益《りやく》で腰が立ったン――」 「なァにをいうン……嘘をつけェ」 「嘘ォつきゃァしません本当ついてるン」 「本当つくてえやつがあるか。そうではなかろうお前《まい》また芝居を見に行ったな?」 「いえあたくしお芝居|大《だい》ッ嫌《きら》い、看板見ても頭が痛くなるン、中ィ入るとぶっ倒れます――」 「たいへんに嫌《きら》いだなァそれは……それは都合がいい実は明日《あした》ァみんなァ連《つ》れて芝居見物に行こうと思うが、誰を留守番さしてもいけないン、お前《まい》|嫌《きら》いなら明日《あした》はお前《まい》留守番だァ。ォォ前《まい》の紙屋の旦那が見ていらしった。なんでも木挽町《こびきちょう》で、いま忠臣蔵を――」 「(せき込んで)ええ、木挽町忠臣蔵だそうです」 「そうだそうだのう。たいへんに今度は狂言の筋《すじ》が変っておもしろいから行ってごらんと薦《すす》められました。お前《まい》に訊いてもわかるまいが忠臣蔵に、高師直《こうのむろのお》というおかたがいらっしゃるか?――」 「執権職《しっけんしょく》で偉いおかたです」 「そうか。そのおかたがなんでも殿中で山吹御前《やまぶきごぜん》てえ奥方《おくがた》を口説いたそうだ。『夫がある身でそういうことはできない』と肘鉄砲《ひじでっぽう》を喰わした――たいへんに腹を立てたそうだ。与市兵衛《よいちべえ》が仲裁に出たがどうしても承知をしない。到頭、定九郎が切腹をしたッてえがそうか?」 「旦那どこの忠臣蔵ですゥそりゃ? ンなこというと笑われますよォ旦那ァ――子供だって知ってますよ。山吹御前だって――はじめっから間違っちゃってんだ。ありゃァ顔世《かおよ》御前てえんですよォ――殿中で口説くんじゃァないんです。鶴ヶ岡八幡宮《つるがおかはちまんぐう》で見初《みそ》めるんです。『夫ある身でそういうことァできない』といって夫の判官さんに、歌を書いて持たしてやります。“さなきだに重《おも》きが上の小夜衣《さえごろも》、我《わ》が夫《つま》ならでつまな重《かさ》ねそ”、こりゃことわりの文句なんだァそうです。それを見るとたいへんに、師直《むろのお》が腹ァ立てます。罪咎《つみとが》のない判官さんを辱《はずか》しめるんです。判官ッてえ人《しと》ァ短気な人ですから、刀ァ抜いて斬りつけるんで。殿中で刀を抜くてえとお家《いえ》が断絶《だんぜつ》その身切腹てえのがこれが規則ンなってるン。ですから腹ァ切って死ンじゃうんですよォ。でェ家来の大星由良之助《おおぼしゆらのすけ》ッてえ人《しと》が忠義な人《しと》で、四十七人を集めて、敵《かたき》を討《う》って本懐《ほんかい》をとげたァッと、これが忠臣蔵の粗筋《あらすじ》ですよォ。与市兵衛が仲裁に出て、定九郎が切腹したなんて、笑われますよォ旦那ァ」 「よくべらべらしゃべるやつだァ、(強く)お前《まい》がなんといおうとも、現在紙屋の旦那が見ていらしったんだ」 「紙屋の旦那ァ知りゃァしないんですよォ」 「お前《まい》がなんでよォく知っているン?」 「えへェあたしゃァいままでェ見てたン――」 「この、こね野郎……これ、利口なようでも子供じゃなァ、わしだって忠臣蔵ぐらい知らんことはない。貴様を一杯食わした――」 「わしまった……はかるはかると思いしに、この家《や》の禿頭《やかん》にはかられたか――」 「なんだ禿頭《やかん》とは……もう勘弁ができない」  たいへんなご立腹で……。 「しばらくのあいだ糾明《きゅうめえ》」  ご大家《たいけ》でございますから蔵がございますゥ。がらがらびしいーん……。 「(べそをかいて、大声で)旦那ァッ、相すいません、明日っから一生懸命《いっしょけんめ》に働きますから勘忍してください。ねえ旦那ァ……気味《きび》が悪《わり》いなァこのォォ蔵ァ――嫌《や》だなァ本当《ほんと》にィ……第一《だいち》ィあのォ朝おまんまァ食べたっきりでお腹《なか》ぺこぺこなんです。こん中ィ入れなきゃァ気がすまないと思ったらば、表ェ出してご飯を食べさして、あらためてこん中ィこうしまってもらうような具合にならないんですか旦那ァ?……旦那ァ……勘弁してくれねえなァ。けェどもいくら小言をいわれてもやまないのが芝居。どうしてあたしゃァこんなに芝居が好きなんだろうなァ……(太鼓の口真似で)てん、すってん、てん……着到を聞くってえとぐうゥゥッと体《からだ》が吸込《すいこ》まれるようだ。何度見ても飽《あ》きがこないのが忠臣蔵、大序《だいじょ》から幕数《まくかず》が、十二段目までずいぶんあるけれども気が入って見るのがたった二幕《ふたまく》。四段目に六段目《むっつめ》、六段目《むっつめ》のほうは小身者《しょうしんもの》の腹切りだけに、楽屋で三味線《しゃむせん》弾《ひ》いたり笛が入る。そこいくてえと四段目、これァご大身《たいしん》の切腹だけに、出物止《でものど》め。合間に太棹《ふと》が(口真似で)でえーんでえーんッとあしらうだけだ。一杯の見物人手に汗を握って、幕の開《あ》くのを待っている。そのうちに三《み》っつめの拍子木《つけ》がちょーんと鳴ると、柝《き》なしでもって、幕がつつつつつつつつつ、平舞台周囲《しらぶたいぐるり》に襖《ふすま》、丸に違《ちが》い鷹《たか》の定紋《じょうもん》、下手《しもて》に、斧九太夫《おのくだいう》原郷右衛門《はらごうえもん》上使《じょうし》受《う》けに出る。そのうちに揚《あ》げ幕の内《うち》で上使触《じょうしぶ》れてえのがある。出て来るのが、石堂右馬之丞《いしどううまのじょう》薬師寺次郎左衛門《やくしじじろうざいもん》、石堂ってえ人《しと》ァ色白ないい男だ、薬師寺てえ人ァ真ッ赤な恐い顔ォしてえる。上手《かみて》へ直る、正面の襖を開《あ》けて、出ていらっしゃるのが塩冶判官高貞《えんやはんがんたかさだ》。黒二重《くろはぶたい》の五所紋付《いつところもんつき》、同じ羽織を着て、『(芝居調で)これはこれは、ご上使とあって、遠路のところご苦労に存じたてまつる。なにはなくとも粗酒《そしゅ》一献《いっこん》。たそあるか、酒《ささ》の用意』、『(大声で)なに酒? こりゃよかろう、この薬師寺もお相手《あいて》ないたそう。が、今日《こんにち》の、上使の趣《おもむき》うけたまわりなば、酒も咽喉《のど》ィは、通りますめえ』――憎《にく》らしいことをいう。これに構わず立ちあがるのが石堂右馬之丞。懐《ふところ》から書付《かきつけ》のお父《と》ッつァんみたいのを出してな、『(扇子をばっと広げて声を張り)上意《じょうい》』ッという――座がしいーんとするなァ。『しとつこの度、伯州《はくしゅう》の城主《じょうし》、塩冶判官高貞儀、私の遺恨により、執事たる師直に傷を負わせ、殿中を騒がしたる科《とが》により、国郡家《くにこうりいえ》没収《ぼっしゅ》し、その身切腹、申しつくるものなり』、読みあげといて判官さんのほうィきっと見せる。心得《こころい》たという思《おも》い入れがあって、『お役目相すまば、まずゥうち寛《くつろ》いで粗酒一献』、『(大声で)黙れ伯州! またしても酒々と、自体、この度の科というのは、出頭《しゅっとう》たる師直に傷を負わせ、縛《しば》る首にも及ぶべきところを、格別の憐愍《れんびん》をもって、切腹仰せ付けらるるを、ありがたし、かたじけなしと三拝なし、早速用意もあるべき筈を、見れば、当世様《とうせえよう》の長羽織、ぞべら、ぞべらとしめさるるは、うん、よめた、おん身は血迷うたか、いやさ狂気召されたか?』『あいや、伯州の城主《じょうし》、塩冶判官高貞、血迷いもせず、まった狂気もつかまつらん。今日《こんにち》お上使とうけたまわるより、かくあらんとはかねての覚悟』、すばやく着物を脱ぐ、下《した》ァ無紋の上下《かみしも》。見ている者《もん》も驚いたが薬師寺てえ小父さんいい過ぎたもんだから目ばかりぱちくりやってる。これを見るなり石堂右馬之丞が、『ご用意のほど感じいったり、いい残さるることあらば、うけたまわるものもあり』、『こは、ご親切なるお言葉、ただ恨《うら》むべきは殿中にて、(力入れて)本蔵ッとやらに抱き留められ、(膝をうって、身をかきむしって)無念――』 『ああいや……ご用意よくはお心静かに』。所司《しょし》が畳を二枚、裏返《うらがい》し、白木綿、四隅《よすみ》に樒《しきび》。その上に判官さん、ぴしゃりっと座を構いる。上手《かみて》から大星力弥、九寸五分を三方《さんぼう》の上へ乗せて、検使の前《まい》へ出す。目でよろしいと知らせる。判官さんの前《まい》へ据えて、下手へさがる……いいとこだなァ(太棹の口真似で)でえーん――こら一人《しとり》で忙しくなってきたなァこらァどうも……でえーん……でえーん……肌を脱いでお腹をこうさするんだ――(と仕草をする)固いと切り担《そくな》うといけないッてなもんでな。九寸五分を半紙ィくるくるッと包ンで、三方を押し戴いてお尻《けつ》ィ支《か》う。お腹を切っても形のくずれないよう――細かいとこィ注意するもんだなァ……でえーん。『力弥、力弥』『はァはァ』、『由良之助は?』、『いまだ参上、つかまつりませぬ』、『由良之助まいりなば、存生《ぞんじょう》に対面せで、残りおおいッと申し伝えよ』――いいとこだなァどうもな……(べそをかいて)お腹がへっちゃァしょうがねえなァどうも……(声を張って)旦那もういいでしょ――いいかげんにおまんまァ食べさしてくれてもォ……先ァ演《や》っちゃうぞォ畜生《ちきしょう》……『力弥力弥由良之助は?』言葉せわしゅう問いかける。力弥もたまりかねて花道の附際《つけぎわ》、揚《あ》げ幕をきっと睨ンで、『どうしてお父ッつァんがこんなにおそいのだろう』て思い入れがあって、『いまだ参上』、つッつッつッと元ィ来て、『つかまつりませぬ』。『ご検使、お見、届けくだされ』。(力を入れて)右の手へ刀を持ちかいる。もうこれで口のきけないのが法だそうだなァ。脇腹ィぶすっと刺すのがきっかけ、揚げ幕からばたばたばたばたッ、出てくんのァ大星由良之助、七三《しちさん》のとこまで来てひょいッと見ると検使がいるので、思わず平伏、『はァッ……由良之助ただいま到着』。これを見ンなり石堂右馬之丞、舞台|端《ばた》までつかつかッと出て、『おお、国家老、大星、由良之助とはその方か、苦しゅうない近う、近う』、『はァはァ、はァァ』……じいっと頭を上げる。ご主人はお腹《はら》召されたあと、『(膝を打って)ああおそかったか』という思い入れがあって、懐《ふところ》ィ手を入れるてえと腹帯《はらおび》をぐうゥッと締めて、すり足で、つッ、つッ、つッ、つッ、つッ、つッ、つッ、つッ、つッ、つッ……『ごぜん』、『由良之助かァ』 『はァはァァ』、『待ちかねたァ……』、(と急に力がぬけて) つ、つ、つ、つ、つ、つゥ……(べそをかいて)いいとこでお腹ァへっちゃァしょうがねえなァどうも……(声を張って)旦那もういいでしょ――ずいぶん入ってるんですからァ……ご飯食べさしてくださいよおまんまをォ……食べさせないな畜生。そうだ“好きなものには心をうばわれる”――芝居やってやろう。そうすりやァお腹がへったのァ忘れちまわァ。四段目、いいなァ――判官さん。品《しん》がなくちゃァできない役だが、あすこィ出てくる由良之助は、判官さんより一枚がた役者が上でなくっちゃつきあいない。むずかしい役だなァ……判官さん演ってみよう。なァやっぱり蔵ン中ィいろんな物ォ入ってやァら……ああこれェ、ちょうどいいやァ――旦那がこないだ義太夫語ったときィつけたんだよこれ――これァ肩衣《かたぎぬ》ッてえんだそうだなァ。少し派手だけど構やァしねえ――形さいつきゃァいいんだからなァこいで白木綿のかわりに、木綿の風呂敷《ふるしき》をこう敷いて……こういう具合に。ええとォこっちィこう肌を脱いじゃってと……これでいいんだが刀がなくっちゃしょうが――あッ、あったあった。やっぱりィ芝居しろッてえしらせだなァこりゃァ、えへッこの刀|本物《ほんもん》なんだからなァ、(抜こうと力を入れて)どっかの人《しと》に、旦那が自慢で見してたんだよ――少し長いけど構やしねえ、ええィ、(と、刀を抜いて)……やァ光《しか》ってやァら……危ね危ねえなこりゃァ……手拭でこういう風にこう持てば大丈夫だ――こいでこう恰好がつかァ……『(芝居調で)ご検使、お見届けくだされ』」  ッてんで小僧先生|一人《しとり》で芝居はじめやァがったン。  女中のお清《きよ》、『可真相に定どんは、べそでもかいているんだろう』と、戸前《とまい》からひょいッと覗いてみるてえと刀ァ抜いて腹ァ切ってるんですから、おッどろいたのなんの……。 「(手をぱんと打って、床を這うように叩いて)旦那落着き遊ばせ――」 「お前《まい》が落着くんだ――どうした? 顔の色が悪《わり》いぞどうかしたか?」 「旦那……(大きく息を吸って)蔵どんが定吉ン中で――」 「そらあべこべだよそらァ……うゥんだどうしたどうした、なに? 定吉がどうかァしたか? なに? 蔵ン中で?……刀ァ抜いて腹ァ切ってる? これはえらいことんなりました。さっきからご飯とご飯と呶鳴《どな》るってたろう、え? 食べさせない…もんだから、『ご飯が食べられないぐらいなら、いっそ死ンでしまうがいい』――小さい料簡出した。(あわてて)大事な倅《せがれ》を預ってます、小言は小言じゃ、生命《いのち》まで奉公にとってない、もしものことがあったら親御に申しわけがない。なぜ早くお前《まい》おまんまを持ってってやらねえんだ(と舌打ちをする)。早く、ご膳――仕度を、じれってえなァどうも。そのお櫃《はち》をこっちィ!」 「旦那それお坊ちゃんの便器《おまる》ですゥ」 「便器《おまる》はむこうへやっときな」  旦那も泡《あわ》ァくってますから、(声を張って)お櫃《はち》を抱《かか》ィて、(力を入れ)蔵の戸をがらァり。小僧の前《まい》へ 「(芝居調で)ごォ膳〔ご前〕」 「蔵《くうら》の内《うち》でかァ?〔由良之助かァ〕」 「はァはァァ」 「(やや力をぬいて)待ァちかねたァ」  失礼いたしました。