<仙台>
(せんだい)宮城県仙台市

旅行日 many times

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 江戸を発って36日目の五月四日(陽暦6月20日)、端午の節句の前日に、伊達六十二万石の城下町、仙台に到着。国分町大崎庄左衛門の宿に逗留します。
 現在、国分町(の二丁目界隈)といえば仙台随一の歓楽街。毎夜、ネオンの灯りに誘われた心寂しき御仁で賑わいますが、果たして芭蕉が訪れた時分はどのような町だったのでしょう・・・。




 仙台滞在中、当地の俳人で版木彫刻を生業とする北野屋加右衛門(かえもん)という者と知り合いました。芭蕉は彼の道案内を受け、仙台近郊の名所や歌枕の地を訪ね歩きます。曽良の日記によると、
六日 天気能。亀が岡八幡へ詣。城ノ追手ヨリ入。(以下略)


七日 快晴。加衛門同道ニテ権現宮(ごんげんぐう:東照宮)を拝。玉田・横野を見、つゝじが岡ノ天神ヘ詣、木の下ヘ行。薬師堂、古へ国分尼寺之跡也。(以下略)

 左写真は、陸奥国分寺跡に建つ薬師堂。慶長十二年(1607)伊達政宗により建立されています。
 さて芭蕉が当地を発つのに先立って、加右衛門は・・


 なお松嶋・塩がまの所々、に書きて送(贈)る。かつ紺の染緒(そめお)つけたる草鞋(わらじ)二足、餞(はなむけ)す。さればこそ風流のしれもの、ここに至りてその実をあらはす。

<現代語訳>その上松島や塩釜の所々を画に書いて贈ってくれた。さらにまた、紺色の染緒をつけた草鞋を二足、餞別にくれる。思った通り風流に浸った痴れ者(しれもの)で、ここに至ってその本性を現したのである。

 いずれも旅する身には有りがたい物です。加右衛門の地味ながらも、心こもった贈り物に芭蕉は感謝し、彼の風流心を賞するのでありました。

右イメージは『芭蕉・奥の細道旅日記』(みちのく観光出版)の挿絵を使わせて頂きました



続いて、芭蕉の句(↓)へ。



<芭蕉の句>

 あやめ草 足に結ん 草鞋の緒

(あやめぐさ あしにむすばん わらじのお)

<句意>
餞別に頂戴した紺の染緒の草鞋は、この端午の節句の菖蒲(しょうぶ)に縁がある。邪気を払う菖蒲を、旅人である私は足に結んで無事を祈ろう。
岩波文庫「芭蕉 おくのほそ道」(萩原恭男校注)より


 右は陸奥国分寺跡・准胝(じゅんてい)観音堂脇に建つ句碑。


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