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石巻・日和山公園(いしのまき・ひよりやまこうえん) 宮城県石巻市

 芭蕉はここ石巻を「港には船が何百と浮かび、陸には人家が所せましと並び、ホント大きくて賑やかな町だ」と記しています。石巻の人が聞いたら泣いて喜ぶでしょう。が、現在の石巻は、それほど活気のある町のとは見受けられません。
 日和山公園は石巻の駅から歩いて30分ほどの場所。小高い丘の上にあります。見下ろす川は、東北地方随一の大河、北上川。そしてすぐ向こうは太平洋。金華山こそ見えませんが、眺めのよい、ナイスなスポットです。(95/10)



平泉・中尊寺(ひらいずみ・ちゅうそんじ) 岩手県平泉町

 平泉といえば「夏草や兵どもが夢の跡」「五月雨(さみだれ)の降り残してや光堂」の二句が有名ですね。
 現在、光堂こと金色堂(こんじきどう)は鉄筋コンクリートの堂々たる建物のなかに押し込められています。これでは五月雨の一滴どころか、水蒸気の一粒も入り込む余地がありません。そりゃ雨露を防ぐという発想はむかしと変わらないのでしょうけれど、そこまでやることはないんじゃない?
 その一方で、あるじの「光堂」を奪われ、今はふり返る人も少ない、かつての覆堂(さやどう)の脇で、この芭蕉の像はひっそりたたずんでいたのでありました。(95/8)



岩出山(いわでやま) 宮城県岩出山町

 『奥の細道』での岩出山についての記述は、「南部道はるかに見やりて、岩手の里に泊まる。」これだけ。それでも像が立ってしまうのだからやっぱり芭蕉は偉大だ!
 ここの芭蕉さんは北海道の民芸店に売っている人形みたいなお姿です。お分かりのよう、街道沿いの角っこに鎮座していらっしゃいますが、いつか、酔っぱらい運転のクルマのえじきになってしまうのではないかと、これから先の彼の身を案じる私でありました。(95/10)



小黒崎(おぐろさき) 宮城県鳴子町(?)

 「小黒崎」といっても、知っている人はほとんどいないでしょう。500mほど離れた「美豆の小島(みずのこじま)」と共に歌枕の地なのですが、いま見れば、ただの山とただの川。よほどの興味がない限りそのまま通り過ぎてしまうような場所ですが、昔の歌人はこの地に思いを馳せていたのです。

 写真の像があるのは、岩出山の像から10キロほど離れたところにあるドライブイン。岩出山町と鳴子町のちょうど境界のあたりです。芭蕉さんはやさしく微笑んでいらっしゃいますが、私の知る範囲ではこういう像はここだけ。なぜか手やズタ袋の上にお賽銭が納められていました。いつの間にか交通安全の神様にされちゃったみたい。(95/10)



鳴子・尿前の関(なるこ・しとまえのせき) 宮城県鳴子町

 おっと、ここの芭蕉さんはちょっと不気味であります。東北屈指の名湯、鳴子の温泉は立ち上がる湯煙を眺めるだけで、その先尿前の関(しとまえのせき)へと歩みを進めます。この関址に写真の無骨な芭蕉さんは突っ立っていらっしゃるのでありました。
 右手には筆、左手には帳面と矢立(やたて)を持ち、「ここで一句」とのところと見受けられます。
 が、番人のお取り調べは厳しく、なかなか関を越えることができなかったとのこと。のんきに句を詠んでいる余裕など無かったと思うのですが・・。('97/8)



尾花沢(おばなざわ) 山形県尾花沢市

 尾花沢では10泊と大休止。ここでは、かねてより親交のあった清風(せいふう)のもとにご厄介になりました。彼は紅花問屋で大地主。「三日三晩、吉原の大門を閉じ、遊女たちに休養を与えた」との伝説があるくらいだから、並たいていの金持ちじゃなかった!こんな良き(?)理解者がいたのだから芭蕉も心強かったでしょう。
 芭蕉像は「芭蕉・清風歴史資料館」の前に。いいかげん私も飽きてきました。「涼しさを我が宿にしてねまるなり」と詠んだ地ですから、「芭蕉が寝っ転がって涼んでいる像」なんて見たかったのですが…(仏像にだって「寝釈迦像」っていうのがあるよ!)。(95/10)



山寺・立石寺(やまでら・りっしゃくじ)山形県山形市
 「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」の句があまりにも有名な「山寺」こと「立石寺」。芭蕉がこの句を詠んでくれたおかげで、観光地としての立石寺の格が3つくらい上がりました。おかげさまで休日ともなれば境内は大混雑。ちっとも「閑か」じゃありません。早い時間帯は比較的すいています(朝8時開門)が、芭蕉がここを訪れたのは夏の日の夕方。朝と夕とでは鳴いているセミが違うとか。うまくゆかないものだ。
 ここの芭蕉(←)さんは曽良(→)とペア。例によってボケボケの写真です。(95/10)




本合海(もとあいかい) 山形県新庄市

 最上川といえば「五月雨をあつめて早し最上川」の句が有名ですね。芭蕉は本合海から清川までの約七里を舟で下っていますが、その「芭蕉乗船の地」なるところには句碑や像が立ち並んでいます。
 この像は新庄東山焼の陶像。芭蕉さんと曽良さん、二人そろってこれから訪ねる羽黒山、月山の方向を見ています。(97/7)



清川(きよかわ) 山形県東田川郡庄内町

 本合海から舟で最上川を下って、上陸した地がここ清川。明治になるまでこの間は陸上の道が無く、水上のこのルートが唯一の交通手段でした。かつては物資を積んだ舟がひっきりなしに行き交っていたことでしょうね。芭蕉と曽良はここからは修験の山、出羽三山をめざします。
 写真は、JR陸羽西線・清川駅から歩いて徒歩10分ほどの小学校の裏手に建つ芭蕉さんの像。(09/4)


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