maruoka toshiyuki


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                                     シリーズ現代

  

 ビッグ・ガーデン・シティ
                          

                                    (1)

 





                                        丸岡 俊行
                                        
Toshiyuki Maruoka







 

 



       道化の台詞
       (ぐるりを見回し、自分に言う)
       生きるとは食べること、
       食べるとは稼ぐこと、
       稼ぐとは売ること。
       だから、生きるとは売ること。
       わたしたちはみな商い人。
       何を恥ずかしがる、
       商いは飽きないこと、というではないか。
       さよう、飽きたら、生きられない。
       わしか、わしはわしをおっかあに売ったよ。
       わしのことなど、もう、いいではないか。
       わらしたちのことも、いまさら、
       もうどうでもよくなったよ。








 

       かつて、性があこがれだったときは、人に夢があった。
       性が売り買いする商品になってからは、人は、かえの
       きくものになった。
       人は、自分を、商品そのものにしてしまった。
       人は人を、交渉する相手とし、気楽に別れたり
       出会ったりする。















 冷蔵庫で、リンゴが腐りかけている。
 シゲは、パンツをはく。寒い、と震えながら。
 ユミは、体操をしながら、ミネラルウオーターを飲んでいる。
 ブラを付け、パンティをはく。
 シゲは、冷蔵庫を開け、アップルジュースを取り、ユミに手渡す。
 ユミは、ちょっと口をすぼめ、スカートを引き上げる。
 シゲは、ユミの太股を見つめる。それから、台所に立つ。
 ユミが、戸を開け、出ていく。
 明け方の寒気が部屋に入ってくる。
 シゲは、また眠る。

 2時間後、シゲは、目覚ましで起きる。
 コーヒーを飲み、部屋を出る。
 足が軽い。
 電車に乗る。新宿で乗り換え、恵比寿で降りる。マックに行き、コーヒーを飲み、ハンバーガーをほおばり、途中で買った新聞を読む。新製品欄を丹念に読む。コーヒーをお代わりする。
 ポケットから、ソニーの携帯端末を取り出し、日記を書く。
 ユミのこと、ユミとの今朝方までの激しかったセックスのこと。左肩にユミが付けたキスマークを思い出す。ユミのきゃしゃな肩を思い浮かべる。シゲも、いくとき、噛み、血の色をつけた。それから、ユミの彼を思い浮かべてしまい、コーヒーを飲む。
 オウム真理教のその後の情報を、近くの公衆電話で、回線をつないで、ネットでチェックする。
 時刻は、11時。勤務は、11時半からだ。10時半からの早番は、2名。11時半からが、他に1名。12時からが、1名。計5名で、昼席のホールをこなす。
 トイレに入り、髪を直す。
 席に戻り、ぼんやりする。
 今日の天気、予想客数、予想売上、予約席、シフト、月の損益予想、新メニュー、テイクアウト商品の企画開発、営業利益の社員への還元の具体的方法、同じ業態の店の情報、ビアレストランの将来像、価格設定、などなど。今度の休み、つまり明日にする予定の見合の相手のこと、それから、これからの生活の仕方、方向、また別の職業のこと、自分でやりたい商売のこと、老人になるまでにどうやって資産をつくるか。でも、結局、好きな女を見つけて、愛し合って、いっしょに生活すること以上にすてきなことはない、と思う。残った時間で、手元のベストセラー小説を、読み進める。たいくつだ。

 シゲは、店に入り、みんなと挨拶をし、手早く、店の内外をチェックして回る。ビアレストランというせいかどうか、昼は、だいたいは、お客さんは多くない。しかし、それが課題だ。どうやって、お客さんを増やすか。しかし、そもそも、平日の日中は、人通りからして、多くない。
 シゲは、平日の昼の売上を、当てにしていない。
 その割にはスタッフが多いかもしれない。しかし、席数が多いので、目を届かせるために、スタッフを減らせない。それが悩みだ。
 夕方からの客数は、順調である。5時くらいからは、つぎつぎにお客さんが来てくれる。そうなると、むしろ、お客さんの流れをスムーズにするのが、もっとも重要な仕事になる。日中、ひまさ加減を嘆いていた厨房のコックたちも、むしろ、仕事の忙しさに音を上げ、
 「それは時間かかるよ。」
 などと、文句たらたらである。
 普段はいばっているくせに、いざ忙しくなると、仕事が追い付かないとブーブー言う、そういういわゆる職人根性が、シゲは嫌いである。だから、新しい調理法を導入して、職人を使わない行き方がシゲは好きなのだが、オーナーは手造りにこだわっている。手造りがいいことは、シゲもわかっている。しかし、それでは、たとえば、数百人のお客さんにスムーズに料理を提供することは困難である。それで、連日、クレームが絶えない。しかも、料理の中身も、まだまだだ。
 オープン景気も終ったこれからが正念場だ。
 採算割れなら、覚悟しなければならない。次の職場に移るか、職替えだ。
 レストランは、すべての要素で及第点をとらないと、はやらない。
 時流からはずれてもいけない。情報収集には、時間と金と労力が必要だ。
 わかってはいても、なかなかできないか、不十分。それが、現実だ。

 夢を見ていた。いつのまにか眠ってしまったらしい。仕事の疲れなど、以前は気にならなかったのだが。
 午後の休憩時間、スタッフ休憩室のひとすみで、シゲは、クッションを枕にして、横になりながら、体を重く感じた。
 ケイコとレイは、コーラの缶を手にして、ダベっている。
 レイの足の裏に、赤い毛糸のようなものがついている。
 ケイコがゆうべ見たテレビの深夜番組のひわいな話題で盛り上がっている。
 シゲは、目を閉じた。腰に痛みがある。
 夜、シゲは早くあがった。このごろ、ときどき、閉店前に帰りたくなる。
 以前はなかったことだ。
 お客さんをさばくのに、疲れを感じ、体も気力もついていかない時、失礼する。
 早く店を出ると、シゲは自分が解き放たれたように感じる。
 そんなとき、何かに縛られて生きているのがいやになる。

 むずかしいことは考えたくない。
 シゲは、電車の中で、可愛い子を見つけ、見つめた。その子も、シゲを見つめた。
 阿佐ケ谷のマンションに着いて、仰向けになり、シゲは、しばらくのあいだ、動かなかった。
 机に向かい、日記を少し書き、コーヒーを飲んだ。落花生を少し食べた。
 電話が鳴った。ユミだった。
 「シゲ? これから、行ってもいい?」
 「どうして?」
 「寒いの。」
 沈黙。
 それから、
 「やだ。だって、ぼくは寒くない。」
 「あ、そう。」
 「うん、そういうわけだから。」
 「冷たいのね。」
 「仕方ないよ。そういう気分じゃないんだから。」
 「そうか。」
 「うん、じゃあね。」
 「じゃあね。バ、カ。」
 「うん。」
 シゲは、そのまま、夕食をとらずに、寝てしまった。酒を飲まなかったのも、久しぶり。
 目が覚めたら、10時。
 疲れていたらしい。10何時間も寝てしまった。
 シゲは、顔を洗い、コーヒーを飲み、それから永島慎二を少し読んだ。FMをつけ、テレビは音消しのまま。パソコン通信で、ニュースをチェック。特別、なし。
 今日は休み。午後からは、見合がある。
 ローソンでサンドイッチとヨーグルトを買い、コーヒーを入れ、食べる。
 アルバムを開き、志乃を眺める。本屋には一昨日も行ったけど、このところ、個人的には会ってない。
 留守電を再生する。新しいのは、入ってなかった。
 CDを回す。ちょっと、ボリュームを落とす。
 ソファに横になる。天井を、見つめる。
 新聞を、丹念に読む。新聞は、4紙とっている。他に、業界新聞などもとっている。
 必要な記事は、ファイルする。
 昨日買った週刊誌も、読んで、必要な部分だけ破り取り、ファイルする。
 BSをつける。つまらなそうなので、すぐ消す。
 パソコンのデータベースソフトのレストラン情報ファイルに、週刊誌に出ていたビアレストランを登録する。紹介されていたメニューも、メニュー管理ファイルに登録する。
 CDを、別のに換える。ちょっとギターにさわって、弦の音を聞き、ペーパーでコーヒーをいれる。
 ソファに座って、コーヒーを飲みながら、結婚情報会社の資料に、改めて目を通す。
 今日の相手がつまらないときに備えて、次の休みの日にも、見合のスケジュールを、いれておきたい。
 電話して、次のセッティングを、渋る相手を説得して、依頼する。条件は、今日、相手に会ったあと、すぐ電話すること、だ。
 本屋に行ってこようかと思ったが、やめた。かったるい気がした。今日の見合がうまくいかなかったら、夜、電話して会いに行くことにする。

 午後、シゲは、車を運転する。眠気を感じ、赤信号で止まるたびに目をとじた。車を駐車場に入れ、少し歩いて、ビルに入り、エレベーターで最上階にあるイタリアンレストランに行く。客は、ぱらぱらしかいない。南欧風レストランと名前を換えると、近頃は入るらしい。ひどい話だ。

 はるか下に、人の姿がガラス越しに見える。

 好きなもの、セックス。ビデオを借りてきて見ても、セックス・シーンばかり繰り返して見てる。そうかな? 待てよ、そうじゃない。きれいな裸が好きで、きれいな裸の女が好きで、セックスはもっと好きなんだ。でも、なんか違うって気がする。そう、違う。好きなのは、好きな女はいるんだけど、そいつとは会えない休みの日に、朝から、ひとりで部屋でのんびりしてること。ちょっと日差しがあると、完璧。甘いかもしれないが、生きるなんて、その程度のことでしょう。生きるのは大変だけど、たいしたことじゃない。生きたって死んだって、たいしたことじゃない。
 眠くなってきた。

 「こんにちは。」頭の上から、あかるい声が降ってきた。
 びくん、と体が震えた。
 「あ、はい。」シゲは、あわてて腰を浮かせた。
 目をしっかり開いて、見つめて、
 「あの、お約束の方、ですね。」
 「はい。」頭を下げた。冷汗が出た。
 「よろしくお願いします。」
 「こちらこそ。」
 シゲは、笑顔で見つめた。美人だった。冷たくない、気持ちのあったかそうな。

 1時間ほど話して、別れた。また会いましょう、と言って。
 趣味が違い過ぎた。データとは違っていた。生きている世界が違う、というか。のんびりしてる、というか。生きる、というか、生活の速さが違う感じ? セックスだけなら、ゼッタイしたい人だったけど、でも、とてもさせてくれそうなタイプでもないような気がした。いいところのお嬢さん、というのでは必ずしもなかったようだけど、とにかく、なんか、おしかったけど、合わなかった。向こうも、セッキョクテキな感じも、なかった。ごセイケツな感じがした。
 けっこう疲れた。
 シゲは、散歩してから、電話をかけた。

 好きなのは、裸で、女じゃない、と思った。
 人間は、嫌いだ、と思った。


 志乃は、ビデオのカウンターにいた。
 「やあ。」言うと、にっこりして、ちょっと待ってね、という目顔をした。
 軽くうなずく。文庫本のコーナーに回って、背文字を追い、気になるのを取り、ぱらぱらと開く。新刊書コーナーも、同じように。落合信彦とか。いろいろ。週刊誌とかの雑誌コーナーは、立ち読みの男たちが占領していて、ちょっと背中越しにのぞいただけ。きわどい表紙のもあって、どきどきする。
 志乃が来て、
 「今晩は。」それだけ。あとは何も言わない。
 「何時あがり?」
 「9時。」
 「じゃ、またその時間に来る。」
 「はい。」
 「じゃ。」
 志乃は、小さくてのひらを振る。

 9時半。志乃は、焼酎で顔を染めている。
 シゲは、志乃のおっぱいのふくらみに、下から手を当てる。
 「いや。」志乃は、身をよじる。
 小さいけど、弾力がある。もんで、離す。
 志乃は、下を向いて、「嫌い。」黙って、10時前に帰った。
 シゲは、シャワーを浴びた。
 気がつくと、朝だった。寝る前のことを、覚えていない。
 トイレに入り、顔を洗い、コーヒーを入れる。
 かったるい。
 シゲは、ピ、ポ、パ、した。駅まで歩いていって、電車に乗って、すぐ次の駅で降りた。
 2分くらい歩いて、アパートにつき、2階にあがって、ずっと奥まで通路を歩き、ピンポーンした。
 戸のカギはしまっていなかった。シゲは、戸をあけて、
 「おはよう。」
 入ると、ユミはすけすけの下着だけのカッコウで、中くらいの大きさの、重そうなフライパンを手にして、シゲに近づいてきて、
 「これ、味、みてみて。」
 「ん、」
 シゲはことばにつまって、箸をとり、いためものの中からピーマンをはさんで、口に入れた。噛みながら、ユミの素脚を観察した。ムダ毛がなく、つるっと白く、膝から下は完璧で、太股からの張りには余分な脂肪がない。そして、付け根は、いつもやわらかく、辛抱強い。あいだの窪みを見つめながら飲み込む。
 「どう?」ユミは真面目な顔で訊いた。
 「うん、おいしいよ。でも、ちょっと薄味かな。」
 「薄味に作ってみたの。さあ、こっちに座って待ってて。」
 シゲは腕時計を見た。
 「朝から、いためものってのも、」とシゲが言うと、
 「ひどい話よねえ。」とユミが続いて言う。「でも、あなた、好きでしょ。あたしね、なんだか、今日は、いためものっていう気分だったの。」
 シゲはユミにキスして、
 「もう、時間がない。」
 「そうね。いかなきゃね。」
 シゲはユミの右の乳房をつかみ出し、乳首を軽く含んだ。ユミはシゲの髪を撫でながら、右手はシゲのものをつかむ。
 床に倒れ込み、シゲは、ユミの中に入り、二、三度、突き上げる。ユミは、シゲをしっかりと包み込む。そのまま、見つめ合い、キスし、舌を絡める。
 ユミは前を開いてシゲを見送った。シゲは固いまま歩いた。スラックスの中で意思とは無関係に二度突き上げた。射精しそうだったが、我慢した。

 店は、昼、なぜかとてつもなくいそがしかった。シゲは、憑かれたように働いた。スタッフには、指示を適切に出し続け、お客様には、丁寧で、もの静かで、それでいて歯切れ良く、要するに、最高だった。たぶん、シゲがいなかったら、お客様も、スタッフも、いらいらするいやな時間を過ごしたに違いない。
 それでも、1時半から2時に近くなると、お客様の数は、目に見えて少なくなった。
 シゲは、それを見て、あとをタイムマネージャーに頼んで、事務所にこもり、社内の今月の企画会議のための企画提案の原稿をワープロで書いた。向こう半年分の一ヶ月ごとの企画書がすらすらと書けた。書き終わってから、自分の集中力にあきれた、というより、普段からの情報収集と整理が自分の武器になっている、と感じた。お客様が、今日、多かったことが、集中力を高めるためのエネルギーになってくれたのかもしれない。

 シゲは、家に帰ると、ソファに身を沈めた。体の中を、風が吹いていた。シゲは、ただ、静かにして、嵐が過ぎるのを待った。
 どれほどがたってからだろうか。いつのまにか、何かすべてが平穏になって、というよりは、何もかもが価値を失って、シゲは無感動になっていた。すてばちな気持ちだった。
 それでも、時は静かに過ぎていく。
 シゲは、むなしくなって、ウィスキーの水割りを飲み、ピーナッツをぼりぼりかじった。
 やがて、それにも飽きて、ワープロのスイッチを入れ、日記を呼び出した。が、画面を見ただけで、何も書く気は起きなかった。
 ぼんやりした。
 過去に愛した女たち、それから、ユミのこと、志乃のこと、見合の相手のこと、とつぎつぎに思い出した。どの女も、大切なようで、どうでもいいことのようであった。頬に無頼の薄笑いを浮かべて、しかし、どこに向かって何をどうすればいいのか、先が見えなかった。目が冴えたまま、しかし頭はどうどう巡りを繰り返すというよりは、壁にぶつかって、涙が目の前を覆い隠しているようで、宙ぶらりんの頼りない状態だった。
 シゲは、眠る機会を失って、じっとしていた。
 本当は、こんなことは、避けたいことであった。しかし、本当のことだから、どうしようもなかった。
 シゲは、未明に、あきらめて寝た。
 




                                              (続く)

 

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