2001.04.30

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大阪飛鳥紀行

第1日目

天王寺公園●難波宮跡 

 

第1日め。この日の主目的は古代史とは関係のない「フェルメール展」。フェルメール数点を含む大きな美術展が大阪市立美術館で開催されていたのです。東京には来ないのではるばる大阪を訪れたのですが、東京で同時開催だった「ルーベンス展」は結局観損ねてしまいました。くーっ。

フェルメールはすばらしかったですが、ついで(?)のように展示してあった上村松園がすばらしく、「これがあの序の舞の……」としばし足が止まりました。写真では見たことはあったのですが、本物は写真とはぜんぜん存在感が違います。

天王寺公園。この公園内に大阪市立美術館はあります。

これが大阪市立美術館。正面にフェルメール「ターバンの女」の大きなタペストリーが。

市立美術館の建物じたいに情緒があって、けっこう気にいってしまいました。これは館内2階の回廊からステンドグラスに向かって写したもの。シャンデリアも豪華でしたよ。

天王寺公園内の史跡。茶臼山、とあって古墳っぽい小山でした。

これは大阪城にあった江戸時代の史跡・千貫櫓。防御施設で、塀にあくこの穴から鉄砲で狙ったのか。

次なる目的地は難波宮跡「なにわのみやあと」と訓読みされます。ちなみに平城宮跡は「へいじょうきゅうせき」と音読みです。この宮跡の発見、発掘は山根徳太郎という人物の熱意によって実現した(1954年)とか。日本のシュリーマンのような方です(シュリーマンは伝説を信じてトロイアを発見した人)。

難波宮跡は、乙巳の変(いつしのへん。645年の蘇我入鹿暗殺事件のこと。学校では大化改新として習うが、大化改新本来、はこの事変後の政治改革を含めて言う)で軽皇子が即位(孝徳天皇)したあとに都と定めたところです。

乙巳の変とくれば、中大兄皇子(天智天皇)の存在はかかせないわけで、わたし個人的にはどうしても訪れたかった場所のひとつ。ちなみに中大兄皇子は、653年、母・宝皇女(皇極・斉明天皇)や妹・間人皇女(孝徳妃)らとともに、難波宮から飛鳥へと帰ってしまいます。孝徳天皇と対立したのか、いろいろな推測を呼ぶ出来事です。

史跡・難波宮跡。大阪の中心部の真っ只中に、広大な面積が史跡公園として保存されるようです。まずはその心意気に感動。場所は、NHKの近くです。ちなみに近くには大阪市立新博物館考古学資料センター建設中。

これが難波宮の案内図。当時どういう建物がどういう配置であるか一覧できます。ちなみに下が北です。


これは西側の建物(後期朝堂院西第1堂)の基壇を復元したもの。階段を上った上の石が敷いてある部分が建物の大きさを、その中にある丸い石が柱の位置を表しています。

大極殿の基壇の復元。大極殿というのは宮でも中心となる大きな建物。案内図では下のほうに水色で表されてます。

大極殿の基壇の上。左のほうに人が座っているので広さが実感できるかな。柱の断面は椅子になる広さがあります。

大極殿跡のど真ん中に立って、大極殿後殿方向を望む。後殿は大極殿より一回り小さい建物です。

後殿から大極殿を見上げる。スロープで結ばれているのがわかります。

これは大極殿の西にある八角形の建物の復元。つたが絡まりいい味を出してます。手前の通路は回廊跡。


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