01.11.5

厩戸皇子と中大兄皇子

〜聖徳太子に関する講演を聴いたあと〜

 

去る10月23日、東京都北区のホールで、「聖徳太子」展(10月20日〜12月16日、東京都美術館)にちなんだ講演会がありました。スライド上映もあるということで夜、急いで駆け込んだのですが、なかなか興味深かったので、ちょっとみなさんにご紹介です。

講師の先生は石田尚豊氏(東京国立博物館名誉館員、元青山学院大学文学部教授)。もともとは美術史方面の専門家だそう。お年は途中おっしゃったのですが、79歳とか。かくしゃくとされていてびっくりです。

会は1時間半ほど(予定では1時間だったようですが)の講義と、たっぷり30分のスライド上映。講義の内容を非常にかいつまんで簡単に説明すると、こんな感じです:

聖徳太子の時代(六世紀後半〜七世紀前半)は、大陸では中国が南北朝から隋による統一をみた時期で、(1)体制は中央集権的律令国家へと向かい、(2)国家仏教が導入されていた。日本では蘇我氏が、渡来人との関係の深さからか大陸の進んだ形を取り入れ、(a)屯倉(農園)の経営を行い(律令制への胎動)、(b)仏教を導入した(国家仏教へはいたらず)。聖徳太子こと厩戸皇子は、蘇我氏とは非常に近い間柄であり(両親ともに母が蘇我の女性)、こうした大陸の先進の知識を吸収しながら成長していったと考えられる。

いっぽうで太子は、即位せずに推古天皇の摂政となり、微妙な立場にあることをうかがわせる。しかし、斑鳩での宮の建設、遣隋使派遣と親新羅外交、冠位や礼の制定など、特徴的で意義深い政策を行っている……

そしてこのあと、スライド上映前に、聖徳太子否定論の大山誠一氏批判(といっても悪口って意味ではなくて、学術的な反論ってことですよ)をされてました。

講義後のスライド上映は復元なった天寿国繍帳が中心。天寿国繍帳は全面に刺繍がほどこされた緞帳のようなもので、太子の没後、妃のひとり橘郎女が太子を偲んで制作したとされています。飛鳥時代に制作されたオリジナルはごくわずかしか残っていません。鎌倉時代に修復された部分と修復にあたって残された当時の記録により、復元作業が行われています。

スライドではこの繍帳の主に飛鳥部分を遠近・アップをまじえてたっぷり見せていただきました。それにしても……歴史の本などで、これまでに目にしたことがあったはずなのに、これほどのものとはまったく知りませんでした。

デザインはパタンに則っていてある種モダンだし、ステッチは細かく綿密で、色もあざやか。朱色の地のうえに、白、黄、青、赤、紫……千三百年前の飛鳥時代のもののほうがふしぎなほどきれいに残っています。それだけ、材質も技術も神経を使ったものだったのでしょう。

天寿国繍帳は天平時代(八世紀)の刺繍とは技法が根本的に違い(天平時代のは、段通のような感じです)、間違いなく飛鳥時代(七世紀)のものであり、つまり太子のために同時代的に作られたもので、これだけのものが作られたのだから太子は実在する、ということを先生はおっしゃりたかったようでした。

■□■

さて、わたしは大山氏の<聖徳太子>否定論は、まだ読んだことがないのですが、非常に大雑把にいうと「厩戸皇子はたしかに実在したが、『日本書紀』等で語られる”聖徳太子”としての彼の事蹟は虚構で、厩戸じしんはふつうの皇子のひとりでしかなかった」ということのようです。

これ、じつはわたしの感覚に近いんですよね。

てなわけで、いまいちばん読みたい本は大山氏の著作だったりするわけですが、大山氏批判は、遠山美都男氏の『天智天皇 律令国家建設者の虚実』(PHP新書)でも語られていることに今日、気づきました。

この本の序章に、大山氏の<聖徳太子>否定論が紹介されてます。中大兄皇子と厩戸皇子は、共通点がいくつもあるが、厩戸皇子は中大兄皇子の投影を受けて粉飾をほどこされた結果、理想的な天皇像の素材となった……というのが大山説だと述べます。

遠山氏の反論は、ここからです。厩戸皇子と中大兄皇子がよく似ていて、厩戸皇子の人物像や事蹟が『日本書紀』によって創造されたとするならば、『日本書紀』に見える中大兄の人物像や事蹟も、そのまま事実とみなすことはできない……

えっ?

中大兄も虚構だとおっしゃる?

そりゃ、違うんじゃないでしょうか、と思わず電車のなかで突っ込んでしまいました。

もちろん、『日本書紀』における中大兄サマに関する記述がすべて真実とまでは思いませんが(鎌足と蹴鞠で知り合ったってあたりはさすがに嘘っぽいし)、基本的に事実を書いているって考えてまずいことってあまりないように思われるんですが。

いっぽう、厩戸皇子に関する記述は、そもそも政治的に重要なものはあまり多くないような。冠位十二階も遣隋使も、ふつうに『日本書紀』を読む限りでは天皇が行ったと読めるし、厩戸の手になることが明言されている十七条憲法は、律令というより倫理道徳だし。そのわりには、複数人の話を同時に聞き分けたとか、こじきの身なりをした聖人を助けたとか、こう、神がかり的なエピソードは豊富だし……厩戸は、根本的に、存在が違うように思えてならないのです。

というような話、いずれ書いていきたいと思ってます。ネタ的には『天智天皇』を読む前から温めていたものなんですが……さて。ぶじに孵化してくれるのか、ページ更新に不安を抱える東風なのでした。


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