2000.07.20

日本古代史・事件解説

〜舒明朝〜


事件の概要、人物の生没年等は基本的に『日本書紀』をベースにしていますが、他の説が有力な場合は、そちらを参考にしている場合があります。
人物によってはいくつかの名前(役職名等含む)があります。即位した人物は諡号を、それ以外については妥当とわたしが判断したものを採用しています。
参考にあげているのは関連の論考がある書籍です。本HPに取り上げられている書籍は、リンクを張ってあります。


舒明天皇の即位

舒明天皇(じょめいてんのう)=田村皇子(たむらのみこ)。敏達天皇の子の彦人皇子(ひこひとのみこ)の子。

推古天皇の治世は36年に及んだ。単なる「つなぎ」とは思えない長さである。それはともかく、長期政権になったため推古天皇の次はひと世代飛び越えて、推古天皇の孫世代にあたる、山背大兄王(廐戸皇子の子)と田村皇子(彦人皇子の子)と争われた。

いずれを支持するかは、蘇我一族のなかでも意見が分かれ、他の有力豪族を巻き込んだ論争になった。最終的には蘇我本宗家、蘇我毛人(そがのえみし)が支持した田村皇子が、蘇我境部臣摩理勢(さかいべのおみまりせ)が支持した山背大兄王を退けて即位することとなった。

山背大兄王は廐戸皇子と蘇我馬子の子・刀自古(とじこ)の間に生まれた子で蘇我と血縁だが、田村皇子にはすでに当時、馬子の子の法提郎娘(ほていのいらつめ)との間に古人皇子があった。蘇我の血を引く男子がいたことが、蘇我の支持を勝ち取った根拠のひとつではなかろうか。

参考)『大化改新史論』

 


[INDEX OF KATSURAGI] [HOME] by 東風