蘇我馬子 そがのうまこ 父:蘇我稲目 母:不明 子:蘇我毛人 蘇我河上娘(かわかみのいらつめ) 蘇我刀自古(とじこ)=廐戸皇子と結婚、山背大兄王の母。 蘇我法提郎娘(ほていのいらつめ)=舒明天皇と結婚、古人皇子の母。 生没年:551-626 職 歴:572-626大臣(おおおみ)
馬子が関わったとされる有名な事件には、物部守屋との崇仏論争とそこから発展した戦。その結果としての崇峻天皇擁立、さらに崇峻天皇暗殺・推古天皇擁立などなど。
守屋との崇仏論争とは、それぞれの親・蘇我稲目と物部尾輿が争っていたのを引き継ぐ形で、崇仏派の馬子と排仏派の守屋が争った。神事を職掌とする物部氏にしてみれば、仏教という異国の神が国家に受け入れられるなど、考えたくなかっただろう。いっぽう、受け入れ賛成の馬子にしても、信仰としての仏教よりは、先進文化として関心を持ったと見られるフシがある。だいたい、神道と仏教と、まったく違う観念の宗教なのに、国神(くにつかみ)と他神(あたしかみ)と、同次元の話になるところが日本らしい。
この論争は最終的に、馬子=泊瀬部皇子陣営 VS 守屋=穴穂部皇子陣営の、王位継承争いに発展。馬子陣営は穴穂部皇子をうち、守屋をうち、泊瀬部皇子を即位させる(崇峻天皇)。ところがその崇峻天皇は、即位5年め馬子の部下(東漢氏の駒)によって殺される。