蘇我毛人/蘇我蝦夷 そがのえみし 父:蘇我馬子 母:不明 子:蘇我鞍作(くらつくり)=入鹿と言われるが、本名は鞍作あるいは林太郎(りんたろう)。 生没年:?-645 職 歴:626-643大臣
蝦夷とも書かれるが、字面の印象から毛人を採用します。本来は毛人、あるいは豊浦大臣(とゆらのおおおみ)と呼ばれていたらしい。
毛人が歴史上いちばん注目されるのは、推古天皇没後、次の王位継承者を田村皇子と山背大兄王のどち
らにするか論議したとき。毛人は田村を支持、蘇我境部摩理勢は山背を支持し、対立したが、摩理勢一族を殺して、田村を擁立した。
643年に大臣の位と紫冠を子の鞍作(通称・入鹿)に譲った。
豪傑でやり手の父・馬子と、行動力旺盛で乙巳の変の標的になった子・鞍作にはさまれて、地味な印象はぬぐえない。