物語の概要:(図書館の紹介記事より。)
父が夏の終わりに脳の出血により入院。秋の静けさの中へ消えてゆこうとする父。無数の記憶によって甦らせようとする私。父と過ごした最期の日々。父の死を正面から見据えた沢木文学の到達点。書き下ろし長編。
読後感:
父の入院から・・の詳細を実に丁寧に観察、描写していることに作家とはこんなふうに文章をつむげるものかと改めて感心する。
挿入されるエピソード、家族の振るまい、自分の感情の揺れ、昔幼少の頃の父との思い出などこちらが息苦しくなるほどに迫ってくる。
また、父の姿はやがて自分自身の姿であるかも知れない思いで身の詰まる思いでもある。
特に残り少ない状態になった父親を自宅に戻してあげたい思いで奔走、実現しての在宅介護の様子に、病人の養生維持がこんな風に一人で見るのはさぞ不安がいっぱいになるだろうことは容易に理解でき身につまされた。
最後の章「隅田川」で父の生き様について、一合の酒と、一冊の本があればよい人だった。しかし、無頼とは父のような人のことを言うのではないか。放蕩もせず、悪事も犯さなかったが、父のような生き方こそ真の無頼と言うのではないか・・・。
そしてその前段に、ある有名な映画評論家の死の様が記されており、全く同じ老人が死んだというのに、父とはずいぶんと違うものだ。それが有名と無名ということの差なのだろう・・。としてはたして父の葬儀は、本当にあのような質素なもので良かったのだろうか。もっと華やかにした方が良かったのではないだろうかと悩む。
突然、いまでも父のことは何も分かっていないという思いに襲われた。
そんな描写になんとも言えない胸苦しさが残った。
父親と息子が一対一で向き合って、こんな風に場を保つもの(俳句の句集作り)があることは我が身のことを考えると末恐ろしい思いである。もっとも思いを伝えておかないと言ってもそんな伝えることがあるのだろうかとも。
□印象に残る場面:
ある夜、付き添いをしていてとろとろと眠っていた父がふっと目を開けたときの私と父のやりとり:
父が独り言のように呟いた。
・・・
聞き取りにくかったが、口にしたのは上の姉の名だった。
・・・
「みんな・・・それぞれやっているんだよなあ」
・・・
「お父さんがいたから」
私が姉たちの思いを代弁するようなつもりで言うと、父が意外に強い口調で言った。
「いや」
私が何も言えないでいると、父が喉から絞り出すような口調でさらに言った。
「何も・・・しなかった」
それは父の本音だったかもしれない。子供たちがどう思ってくれようと、父親としての思いはまた別のものだっただろう。
そして、父はさらに重ねるように言った。
「何も・・・できなかった」
私は何も言えず、ただ父の顔を見つづけた。
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