佐藤愛子著  『血脈』



                     2007-02-25
(作品は、佐藤愛子著 『血脈』 文藝春秋による。)

         

    
 

上巻 別冊文藝春秋(188-201号)初出。刊行 2001年(平成13年)1月
中巻 別冊文藝春秋(203-214号)初出。刊行 2001年(平成13年)2月
下巻 別冊文藝春秋(xxx-xxx号) 初出。刊行 2001年(平成13年)3月完結編 
平成12年、第48回菊池寛賞
大正12年大阪生まれ。 

・時代背景:大正4年、佐藤洽六(42才)の家に横田シナ(23才)登場するところから物語は始まる。それから四代目の嫡男の男の顔にはみんなの顔があつた。

佐藤家の主な登場人物の関係(上巻、中巻あたりまで)

佐藤家

佐藤洽六
(雅号:紅緑
(こうろく))

新聞小説を書かせれば当代人気随一といわれる大衆小説家。「新日本劇」の小劇団の顧問として羽振りがいい。
女好き、自らは“野人”を標榜して他人の思惑など気にせず、思うままの生活をしてきた。女好き、シナをただ喜ばしたいと言う思いから、佐藤家に波乱を呼ぶ。
家族の子供たちの後始末に追われる。76才で逝く。(中巻最後)

 妻 ハル

洽六23才、ハル19才で結婚。
お嬢さん育ちで、家事能力は余りにもなく、経済観念もゼロ、愚鈍すぎた。愛情は醸成されなかったが、洽六との間に9人の子をもうける。(女の子4人が幼児のうちに死亡)

 妾、後の妻 横田シナ
(芸名 三笠万里子)

女優を目指し、佐藤洽六の家を訪れる。紅緑を籠絡したと噂される。P58洽六に好かれていることに対しても、冷ややかで、ただ好きな芝居が出来ることで満足している。
28才の時、洽六(47才)と結婚。
優柔不断の性格。

長男 八郎
(ペンネーム:
 サトウハチロー)
 妻: くみ子
(八郎より2才年上
 33才で離婚する。)
 愛人:るり子
(第二の妻)
 愛人:蘭子
(第三の妻)




ユリヤ
(八郎20才)
鳩子

四郎(るり子との子)
五郎(るり子との子)

三つの時、下半身を大やけどし、治るまでに1年半かかる。病弱で、まるで宝物でも扱うように大事にされ、我儘勝手な男。にわかに雲行が変わり、怒鳴り散らし暴れる。激情に駆られた後必ずやってくる寂しい優しさ。
父から勘当されることもしばしば。目から鼻に抜ける利口者。
詩に凝り、後年はハトウハチローとして、洽六をしのぐ人気小説家になって、作詞やユーモア小説家として飛ぶ鳥を落とす勢いで大活躍する。(中)

 次男 節(たかし)
 チャカと呼ばれる。

 妻:カズ子

八郎に比べ、丈夫で一番の親孝行、八郎に対するひがみを有している。人を喜ばせることが大好き。嘘をついて困らせ、警察沙汰もしばしば。八郎と節のために、洽六は随分尻ぬぐいをさせられる。
節「ぼくが欲しいのは親の愛情だよ、家庭の温かみだよ。」という。
広島出張中、原爆投下で女と死ぬ。

 三男 弥(わたる)

大正7年正月、5才の時兵庫県鳴尾の伯父に預けられる。(おとなしく、何でも言うことを聞くということから)
洽六の感想「あいつはどうしてああ氣魄がないんだろう。何を考えているんだか、さっぱりわからん。面白くない奴だ」
戦争で亡くなる。

 四男 久(きゅう)

9人目の子

母親のハルが亡くなってから、八郎の家に行く。その後もあちこち彷徨(さまよ)う。
ふだんは可愛げのある人やけど、カッとしたら何をするかわからん人と噂。太々しい面がある。
19才で輝子という女と服毒自殺。久だけ死ぬ。

 六郎(シナとの子)

早苗が生まれる前に亡くなる。

 長女 喜美子

大正6年夏、結婚前に肺病でなくなる。
この後、佐藤家の崩壊が始まる。

 早苗(シナとの子)
 夫:村木雄介


子供
・陽子
・逸郎


帝大出の夫。ケチで倹約家、鈍感

愛子(シナとの子)
 夫:守田悟
 二番目の夫:佐々誠二


子供
・勁介
(ケイスケ)
・素子
・響子
(誠二との子)

父洽六の愛しい子供、希望の星である。
母親と異なり、果敢な性格。
医者の長男、悟の大まかな性格が、愛子を包む。
陸軍主計将校として終戦迎える。
悟、モルヒネ中毒になり、離婚。
二番目の夫誠二は気楽な男、親の遺産で働かず暮らす。文学に傾倒、文芸賞受賞。

真田いね
 佐藤洽六の妾
   幸男
     与四男


幸男は佐藤洽六の子供ではないが、洽六が認知。

佐藤家の外

 福士幸次郎
 妻:梅枝

佐藤紅緑の門下生。洽六の家族を含め、全ての面においての理解者であり、苦情を聞き、支えた殆ど異身同躰の人物。58才で死んだことを聞いたとき、「彼の力がいかに余の生命の内部の重大なる力であったかを気づく。」と日記に記す。

読後感:

「血脈」は著者、佐藤愛子が65才の時に書き始め、12年掛けて書き上げたという上、中、下巻それぞれ600ページに及ぶ。親友の中山あい子より、「あんたはいいよね。ヘンな親族がいっぱいいて」と小説のネタはいくらでもある、と羨んでいたという。佐藤家の一族に流れる「毒の血」を書いた暴露本とも言うべき大作である。

 佐藤紅禄のことは知らないが、サトウハチローはある程度知っているが、こんな人間であったとは驚きである。それに前回の「これが佐藤愛子だ二」のエッセイで親近感を覚えた佐藤愛子の素顔の模様も知れた。(どの程度の誇張、嘘の脚色があるかは知らないけれど)
 しかし、佐藤家の男達のなんという不良ぶり、どうしようもない我が儘ぶり。そして自分で自分を処することが出来ない性格、女好き、独立心のなさ、衝動的性格、その反面の寂しさに絶えられない性格。こんな人間が最近は増えてきているような気がしてならない。
 でも子供達の底に流れているのは、両親の愛情、家庭の暖かさの欠如が原因であることは明確であろう。

 これだけの長編になると、何代にもわたるそれぞれの人生が描かれ、死を迎える場面がある。佐藤家の男たちの死は生きている間あれだけ妻や家族を苦しませたのに、死にぎわは、あっけないほどの急死が多く、勝手気ままに生き、あっけなく去っていったという感じ。
 そして、男たちが死んで、初めて妻に平安が生まれるという現実、回想すると苦しかったことが逆に懐かしくさえある感傷に、複雑な思いがする。そんなものかも知れない。
でも、平凡に過ごせることがどんなに大切で幸せなことかを思わせる作品であった。

 佐藤家の血を色濃く引き継いだのは、紅禄、八郎、愛子という。
 紅禄の生き方には、どんなに困っても、男の甲斐性、嘘をつかない、他人に迷惑を掛けないという哲学があった。八郎、節たちの尻ぬぐいばかりをさせられながら、シナを喜ばせたい、金の面では子供たちを援助し続けた生きざま、年老いてきてからの態度にわびしさが感じられる。

 ハチロウは若い頃の不良性格も、やがて父親を凌駕する売れっ子になり、色々活躍するが、世に知れる童謡作詞家としてのイメージとは裏腹に、親族の金の無心に対しては極端に嫌い、悲しみの場面に直面することを嫌い、我が儘を押し通す。幼い子供の心同然な純真な心根を覗かせる面が、あの「小さい秋みつけた」という詩が出来た時の喜びように、この歌はサトウハチロウの作詞だったのかと感慨深いものを感じた。

 佐藤愛子のことは、さすが著者だけに自分のことは判っていて、親兄弟、親族の中でも性格的に合う、合わない人物との言動に、性格が良く出ていることだろう。八郎がいう愛子評がおもしろい。
 愛子の感心する点は、無一文になっても八郎の所へ泣きついて来ないこと。佐藤の人間で、人に頼らない奴が初めて出た。生意気な奴だが、生意気だからこそやってのけているのだろう。これだけは認める。感心するよ。オレには出来ない。親父の血を一番濃く引いているのは愛子だな。

印象に残る場面:

◇下巻より

 幸せだったか、不幸だったか、えらいとか、立派とか、あるいは可哀そうとか、人は簡単にそんなことをいい過ぎる。人はかく生きて、かく死んだ。それだけだ。それ以外に何もいうことはない。いうのは哀悼(あいとう)なんかじゃない。僭越(せんえつ)だ。愛子はそう思う。

 忠や五郎の死。久の心中。弥の戦死。節の原爆死。愛子が見てきたとりどりの生と死が愛子にそう思わせる。

◇中巻より

 母シナと愛子の同居で性格的にかちあう母子のことで、愛子から姉の早苗への手紙:

「他人同士には遠慮というものがあるでしょう? 本当の母子はそれがないだけ、もっと辛いです。」


  

余談:
 
◇人生に関すること:
 人生とは最後の最後になってみないとどういうものなのか判らないということ。

 こんな言葉が印象に残った。

 背景画は、下巻の内表紙を利用。