読後感:
伸仁の小学校に通う所の描写といい、今はすっかり変わってしまっていると思うが、自分が中学時代に通った北の梅田周辺、丁度街角にあって曾根崎警察署の入口の両方向からの上り階段の思い出やら、なつかしい風景が蘇ってきて、丸で自分の人生を振り返らせてくれる。
ちび助のませた様子が、微笑ましく家族の人情味がほのぼのと伝わってくる。
・伸仁の様子が描かれているが、今になって、自分の子供をどんな風に育てたか振り返ってみてもあまり思い出せないが、丁度孫を持つ身となって、客観的に見れる立場で考えれことが多い。
印象に残る言葉:
◇ 周栄文からの手紙(第三部)
人生の不可知な領域には、夢想だに出来ない幸福の種が詰まっているという中国のことわざを、私はいまあらためて心に甦らせています。節子のことも、麻衣子のことも、そして、熊兄に息子さんが授けられたことも、人生の不可知な領域における僥倖(ぎょうこう)と言うべきものでしょう。
◇ 熊吾が麻衣子に周栄文からの手紙をみせてしかる場面 (第三部)
熊吾は、麻衣子を叱っているうちに、この麻衣子もまた、父の愛情を知らずに育ったのだと気づいた。父なるものへの処し方を知らないことが、麻衣子を女として頑迷にさせている。甘え方を知らず、許し方を知らず、怒り方を知らず、くつろぎ方を知らない。それは、男というものに対してだけでなく、自分以外のものに対して、すべてそうなのに違いない。
◇ 釈迦と弟子提婆達多(だいばだった)の逸話 (第四部)
釈迦は、自分の弟子の一人である提婆達多を並みいる人々の前できつく叱り、汝は愚人なり、人の唾を食らうものなりと辱めたという。 提婆達多は、弟子のなかでも優秀で、頭も良く、法論にも長け、才気も優れていたが、内に邪悪な野心も隠していた。 釈迦はそれを見抜いて叱ったのだという。
人前で恥をかかされた提婆達多は、自分に非があるならば、釈迦はどうして自分だけにそれをそっと言ってくれないのかと怒った。 なにもあえて満座の中で恥をかかさなくてもいいではないか。こうなれば、俺は釈迦に敵対しつづけてみせる。 「生き世々にわたりて大怨敵たらん」と誓い、釈迦を殺そうと企て、教団の尼達を犯し、悪業の限りを尽くして、地獄へ堕ちていく・・・
釈迦の真意は?:
自分の人生に、目指すべき大きな目的を持っていない人間の自尊心を傷つけてはならないのだ。 釈迦が、提婆達多を人前で恥をかかせ、とりわけ強固な自尊心をあえて傷つけたのは、大目的に向かうために、という人間を鍛えなければならなかったからだ。
◇ 中国の後漢書or史記?
「蛮夷は鳥獣の心を抱き、養い難く敗れ易し」(蛮夷=野蛮人、未開人、ときにいなかもの)
わしは「蛮夷」というのは、正しい教育を受けとらん無教養な人間、もしくは、こずるいとか、自己を律する訓練を受けとらん弱い人間のことじゃと思う。
欲や保身のために、すぐに人を裏切る人間もまた蛮夷じゃ。そういう人間共を真の野蛮人、未開人、いなかものと呼ぶんじゃと思うちょる。蛮夷とは心根の悪い人間のことじゃ。どうもこの心根というものは、その人が持って生まれたものでもあるが、育った環境によっても左右される。
「自分はいま蛮夷に近いことをしとるのかどうか、いっつも自分に聞いてみることじゃ」
◇あとがきより(作者の言葉)
・第一部を書き出したのが35才の時、第三部を上梓(じょうし)するのに14年余の年を要したことになる。 平成8年8月10日記
・「流転の海」という長すぎる小説を書き出してちょうど二十年がたち、私は55才になっつた。 松坂熊吾の年齢に近づいている。 平成14年5月10日記
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