松下竜一著  『豆腐屋の四季』
 


                 2007-04-25
(作品は、松下竜一その仕事 第一期第1巻 豆腐屋の四季―――ある青春の記録
 河出書房新社による。)


                  

 1998年10月初版刊行。

 この本は昭和十二年十一月十九日から書き始めて、昭和四十三年十一月までの一年の日々、どんな悲しみ、どんな喜びが待つ日々なのか、そんな日々の出来事、そんな日々の思いを克明に綴ったものである。そして自分(松下竜一)三十歳、妻十九歳、まさしく私と妻の「青春の書」である。生涯でただ一册しか書けない「青春の書」であると記されている。春夏秋冬の章立てのなかには、朝日歌壇に投稿し、入選したもの、外れたものを織り交ぜ、その時々に歌った短歌がびっしりとちりばめられている。

読後感

 書きはじめるを読み始めて、瞬時にこの本は読むのが楽しみで、落ち着いた環境で、静かに読みたいと感じた。

 読み始めると、清貧の生活と、どうしようもない寂しさ、何とも言えないすがすがしさで自然に涙が溢れてきて、花粉症の初めもあり、ティツシュが手放せなくて困った。

 豆腐を作ることの大変さ、その頃からも機械化が進んできているが、貧しさだけの理由でなく、人の手で、じっくりと本当にものをいとしみつつ造ることで出来上がつたものに値打ちが出るというこだわり。

 肉体的に病弱の上、母が若く急逝、弟たちの無頼などで、一時は自殺をしようと家出をしたが、イタリア映画の「鉄道員」に見た幼い子供の姿、末弟の満が自分を頼っていることを考えると、思い返し、そんな中から、歌を詠むことで慰め、やがて自分を立ち直らせた。

 姉、兄弟、そしてやがて増えてきた家族たちとの「ふるさと通信」を通してまとまりが出来、いたわりあう姿に救われる。

 貧しさの中でも、妻との会話、老父と姉や弟たちとの間の思いやりが溢れる。小冊子の歌集「相聞」のことにまつわるマスコミの影響の大きさ、歌を愛する人の多さの話には、改めて驚かされる思いである。

印象に残る場面:

瞳の星

 右目は星があり、完全に失明しているのだ。
「それはね、竜一ちゃんの心がやさしいから、お星様が流れて来てとまってくださったのだよ」と、幼い私に母はよく語った。
「どうしてだろう?今は僕はやさしい心になっているのに、目の星が光らないよ」と聞くと、母はあわてて答えた。「光っている本人にはわからないけど母さんにはよく見えるのだよ」と。「お星様が流れて消えたら、竜一ちゃんのやさしさも心から消えるのだよ」と。泣き虫の私に、母は一度だって強い子になれとはいわなかった。 


◇眼施(げんせ)

 仏教の経典にある無財の七施のひとつだそうです。財力もなにもない者でも、世に施すことの出来る七つのものを持っているという教えです。

 七つの中でも、ぼくには眼施がいちばん心に沁みて救いでした。眼施とは柔和な目で人を見るということです。やさしさのあふれた目で人に対するということです。そんな目にあうと、人はほのぼのと心をぬくめられるはずです。つまり、ほんの少し世にいいことをしたわけです。これなら病弱で臆病なぼくにもできるのではないか。やさしさが目にあふれるには、心にやさしさがあふれていなければなるまい。思いっきりやさしい心になろう。それ以外、ぼくなんか世の役に立てないのだから。懸命にやさしい心でいようと願いました。心がやさしさであふれてくれば、きっと目にも柔和な光がたたえられ、眼施にかなうだろうと思ったのです。

  

余談:

 豆腐屋のことをテーマにした小説に、以前読んだ山本一力の「あかね空」があった。話の内容はまるっきり違うが、豆腐造りの大変さ、販売の難しさは共通していて昔のような個人経営の店は殆どみなれなくなっているのは時代の変化とはいえ、寂しい限りである。

背景画は、本書の内表紙を利用。

                    

                          

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