読後感:
宮本輝がエッセイ「命の器」の中で、小説家になる前に読んだ、十冊の文庫本の中の一册に石川達三の「蒼氓」が記されていた。この「風にそよぐ葦」の時代は終戦前後のことであるが、宮本輝の「泥の河」も終戦直後の大阪の北の模様が描かれていたが、文章から受ける調子が異なっているのが興味深い。石川達三の調子は、渇いてさらっとした感触、一歩下がって客観的に見ているのに対し、宮本輝の調子からは、泥っとして体にまとわりつくような感触、自分がその人物になりきっていると感じられるのはどうしたものか。文章を書くということの難しさ、表現の難しさを体験した。
印象に残る場面:
◇新評論社社長と争議団(共産党の指導入る)との交渉で、悠平は会社の一時閉鎖を宣言し、対立、組合側が継続して雑誌を発行しようとしても原稿が集まらないことに対し、
「彼等は同じ共産主義を信じている同志でありながら、記者たちを信じていないのだ。彼等が刊行するという雑誌を信じていないのだ。主義の異なる悠平が社長として雑誌を主宰していたときは、喜んで寄稿してくれた左翼の評論家たちが、争議団の雑誌には寄稿を断るというのだ。
そこに、人間の善意、人間の真実さを求めようとする、本質的な欲求があるのではなかろうか。主義よりも強く思想よりもふかいところで、人間と人間とがじかに心の肌をふれあうことのできる、何よりも一番正直で素朴な信頼を求めているのではなかろうか。学者たちはみな新円生活の窮屈さにあえいでいる。しかもその収入をすてて寄稿を拒むという。その拒否こそ、人間に残された最後の自由なる意志であるにちがいない。この拒否こそは、最後まで奪われることのない自由の表現ではなかろうか。」
◇宇留木武雄の榕子に対して告白する言葉
「・・・僕のいま居るアパートは家族ものが多くて、子供が騒いだりおかみさんが叱りつけたり、なかなか賑(にぎ)やかなんです。うるさい連中だなあと思って、僕は碌々つきあいもしないで居たんですが、よく考えてみると、あのうるさい煩雑な日常のなかに人生というものの姿があるんですね。親子夫婦がからみ合って、わめいたり怒ったりしていながら、そのがんじからめの中に人生があったんですよ。結局人生というのは人間と人間とのつながりですね。一人つきりの人生なんていうものはないんです。
いまのような時代になって来て、何ひとつ本当に心を打ちこんでやれるものがないということになると、そんなものは一切空白なものに思われて来ますね。残るものは唯一つ、自分の人生がどのような愛情に支えられているかという、それだけになって来ます。
愛情関係こそ本質なんです。民衆の幸福はその第一条件が、安定した愛情生活ということなんです。その条件に矛盾したことを要求する国家は、それは民衆の希望するような国家ではありませんよ。」
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