井上靖著  『化石』
 






              2007-08-25

 (作品は、井上靖全集第17巻  『化石』 文藝春秋による。)

                       

 昭和40年(1965)11月15日より昭和41年(1966)12月31日までの朝日新聞朝刊に三浦綾子「氷点」に続く新聞小説として409回に渡って連載。

 平成7年(1996)9月井上靖全集第17巻刊行。

◆物語の背景:

 手術が出来ない癌であることを知ってしまった一鬼は、死という同伴者を連れて時々に会話をし、心の内を吐露する。果たして一年の命であることを知ってしまったら、人間はどういう行動をするのか。
 しかも、海外での検査で知ってしまったので、急遽帰国するものの、自分しか知らないことであることから、自分の中に隠してしまって通常の振る舞いを装う。しかし、やはり仕事が手につかない。やがて体調の悪いことが家族からも、周囲からも追求され、知られることになる。

◆主な登場人物:

一鬼太治平 50代半ば、中堅建設会社社長。石橋を叩いて渡る手法で、会社を大きくしてきた。妻芳恵は5年前に病死している。3ヶ月の予定でヨーロッパ旅行に出かける。今回は仕事が主でなく、遊休が目的である。しかしバリで体調に変化を感じ、検査を受け、ふとしたことから、手術が不可能というまれに見る十二指腸の癌であることを知る。そのときから世の中のことを見る眼が一変する。
高尾朱子 22歳、一鬼の娘。一鬼にとって孫にあたる玲子はまだ嬰児であるが、可愛がっている。
大沢清子 20歳、一鬼の娘。妊娠中。
船津 若い総務課長。ヨーロッパ旅行に同伴、その後も一鬼の話し相手として呼ばれることが多い。
マルセラン夫人 パリの富豪と結婚している日本人女性。パリ滞在中に幾度となく姿を認め、関心を惹く。病を知った後、若い岸夫妻のブルゴーニュ地方へ二泊三日の旅行の誘いに、彼女が居て一鬼と四人で夢のような日々を過ごす。
矢吹辰平 大陸の野戦生活を共にし、九死に一生を得た仲間。帰国後三〇年近く音信は共にしていない。鉱山関係の仕事をし、石に関心を持ち、世界を飛び歩いている。

読後感

 フランスブルゴーニュ地方への、若夫婦と一鬼とマルセラン夫人との短い旅行期間における描写は、フランスの田園風景の匂いが感じられ、何ともいえない雰囲気を感じる。遠い昔、自分もフランスの農村地帯を車で連れて行って貰った頃のことを思い出しながら、至福の時間を味わった。そのときの情景描写、人々の気持ちの描写が素晴らしい。旅行を終わり、パリに戻る時の何とも言えない感情は本当にせつない。これから過ごすであろう日本での成り行きにも、多いに興味をそそられる。

 人は余命が1年と知ったら、どうするか?という命題は自分も知りたい命題で、主人公がどう立ち向かったかには、正直気持ちのふれが判る氣がする。そして次第に気持ちや考え方が変化し、落ち着きを取り戻していて行く様子が理解できる。

 これからの自分の人生にもひとつの方向を示唆してくれる小説であった。

印象に残る言葉:

◇一鬼が帰国して半月後、長野の郷里に帰り、弟泰助(名古屋の下町で開業)と義母(老いのために頭が壊れかかっている)とに会い、交わした会話から、一鬼が泰助に言う言葉:

「しかし、いいな、人生というのものは。つくづくいいと思うな。人間、自然に老いて行くということは、何といいことだろう。たまらなくいいな。恩讐も消え、愛憎も跡形もなくなり、結婚と、出産と、香典だけになる。神さまは、ちゃんと考えて下さっている。そういうようにして、人間を終着点に持って行く」
・・・・
人生に価値があるかないか、意義があるかないか、そんなことは、どうでも良かった。あるがままの人生を、そっくりそのまま肯定できるような気持ちになって、ふいに、それが感動を伴ったのであった。人間老いることもいいし、もうろくすることもいい。長生きする者もあるだろうし、若くして死ぬ者もある。幸運な者もあるし、不運な者もある。百人百様である。だけど、みんな、それでいいじゃないか。
―――逝くものは、かくの如きか、昼夜をおかず


◇  一鬼の半島建設時代の先輩、須波耕太(余命1ヶ月の癌患者)が会いたがっているというので赴き、あと一年寿命があればどう生きたいかとの問いに須波耕太の答えは:

・いつも身辺が清潔である生き方をしたいですね。
・他人のことを、もっと考える生活をしたいですね。
・人を押しのけて、自分がのしあがろうとするのは嫌ですね。
・金、金、金と金を追いかけのも嫌ですね。
・鳥の声を聞いて、ああ鳥が鳴いていると思い、花が咲いているのを見て、ああ花が咲いていると思う。そんな生き方がいいですね。

  

余談:
このところ人生を考えるような小説を続けて読んでいる。そんな中で気持ちの安寧が得られれば幸いである。
背景画は、ブルゴーニュ地方の風景をインターネットで探したもの。

                    

                          

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