「頼朝」創作ノート1

2001年5月〜

5月6月「創作ノート2」


05/01
浜名湖の仕事場に来ている。本日からこのノートをスタートする。実際には2日前から、『頼朝』を書き始めている。まず、なぜこの作品を書くかというところから始めたい。すでに『清盛』という作品を書いた。その時点から三冊書くことを計画していた。『清盛』『頼朝』『後白河』の三部作だ。なぜこの三人でシリーズを作るのかということだが、高校生くらいの頃から、後白河には興味をもっていた。福田恒存がシナリオを書いた劇団雲の「怒濤日本史」というテレビシリーズで、芥川比呂志が後白河を演じたのが印象的だった。大学の頃には井上靖の『後白河院』を読んだ。井上の作品は、四人の人物を証言者として設定し、四つの視点から後白河を描くというものだった。それなりにリアリティーはあったが、四つの視点だけでは後白河の全体像が見えないのではという疑問をもった。神の視点で描くふつうの小説の方が、総合的に、この後白河という人物を描けるのではないかと思った。
次に興味をもったのは、清盛という人物だ。一介の武士にすぎないこの地味な感じの男が、なぜ太政大臣にまで昇りつめたのか。その政治的なメカニズムを探りたいと思った。付随して、清盛の目から見た後白河を描くということもあった。三部作という構想も、清盛と頼朝の目から見た後白河を描いた上で、後白河そのものにスポットをあてるというところに狙いがあるのだろう。その意味では、『頼朝』においても影の主役は後白河ということになる。むろん頼朝はタイトルロールだから、主役であることは間違いない。
清盛では、マクベスを念頭においていた。今回は、シェークスピアにたとえるならば、ハムレットということになるだろう。頼朝は京で育った。根っからの東国武者ではない。それが東国武者の頭領となるのだから、あまりいい気分ではなかっただろう。あるべき自分と、現実の自分の間に、葛藤があったはずだ。つまり知的な人物である。自分が何ものかという悩みは、清盛にはあまりない。白河法皇の落胤というイメージと、平家の頭領という立場との間にも、大きな乖離はない。やや鈍感な人物として描いた。家人の家貞に剣術を習うシーンを描いたが、剣術も嫌いではない。対照的に、頼朝は剣術は嫌いである。家貞に対応して、遠藤盛遠を配置する。のちの文覚である。冒頭に、頼朝が文覚から剣術を習うシーンを置く。このことで、清盛とのキャラクターの違いを際立たせる。剣術の嫌いな人物が、武士の頭領となる。当然、アイデンティティークライシスが生じることになる。そういうポイントで、作品全体の流れを作っていきたい。
女帝三部作を書いた時、当初、書きたいと思っていたのは、道鏡と聖徳太子だった。道鏡を主人公とした『孝謙天皇』と、聖徳太子を主人公とした『推古天皇』が念頭にあった。真ん中の『持統天皇』は、三部作にするための「つなぎ」という考え方で、実のところ、持統天皇や周囲の人物については、よく知らなかった。しかし実際に出来た三部作を見ると、『持統天皇』がいちばんまとまっているし、書いていても楽しかった。なぜかといえば、持統天皇について、よく知らなかったからだ。知らない人間について資料を読みながらイメージを作っていくというのは、なかなかに楽しいものだ。もっとも、資料を読んでいって、つまらない人物だとわかってしまうと、興ざめになる場合もある。その意味では、幸運だった。持統天皇の周囲は実に多様で面白かったからだ。
頼朝についても、実はよく知らなかった。最後に落馬して死ぬということも知らなかった。『清盛』には平治の乱にからめて少年の頼朝が出てくる。その時点で、京で生まれ育ったということは知っていたが、伊豆に赴いてからのちのことは、細部については何も知らなかったが、この一カ月ほど、『ウェスカの結婚式』を書くことと並行して資料を読んできたので、およそのことはわかってきた。で、冒頭の少年時代の頼朝が、馬が嫌いだということを書き込んでおきたい。平治の乱でも、馬が苦手で父親とはぐれてしまうというエピソードがある。武士の頭領が馬が苦手だということも、重要なことだ。
いちおう『清盛』と同じ程度のボリュームを考えている。最大500枚。できる限り少年時代をしっかり描きたい。生い立ちを描けばキャラクターが確立される。東国に赴いてからは、頼朝自身には動きがない。そのあたりをどう描くかは、かなり難しいと覚悟している。あらすじだけになりがちなので、人間的な葛藤をどういう局面で描いていくか工夫しないといけない。脇役として、梶原景時がかなり重要だと考えている。それから家人として、安達盛長を配置する。頼朝の独白を安達が受け止めるということで、内面を語らせたい。安達が静であるとすれば梶原は動である。この二人の配下によって、頼朝の内面を外部に展開できる。
ということで、すでに20枚くらい冒頭部分を書いてみたいが、うまくいっていると思う。少年時代の頼朝の少し気むずかしいところや、軟弱なところがうまく描けている。話の推進力として文覚を配置したのもよかったと思う。少年時代の重要人物としては、西行を出しておきたい。文覚を影の人物として設定しているのだが、西行も似たところがあり、キャラクターがダブッてしまうのだが、西行はすでにある達成の領域に到達した人物であるのに対し、文覚は発展途上であり、それなりの欠陥をかかえている。そういうところで対照的な部分をもっている。西行は、一種の英雄である。流鏑馬の達人でありながら、世捨て人になっている。ある意味で、理想的なキャラクターだ。あまり目立ちすぎると西行が主役になってしまうので、頼朝の少年時代と晩年と、二回だけ登場させることにする。なお、西行が世捨て人になった理由は、後白河の母への「恋」である。そのことはニュアンスとしては読者に伝えたい。

05/02
昨日は夕方に浜名湖に着いたので、今日からが仕事場での生活の第一日である。ここでなすべきことは、『頼朝』の文体を確立することだ。文体を確立するというのは難しい言い方だが、要は、とりあえず50枚くらい書いてみて、それで支障がなければオーケー、ということだ。それで何だか物足りないような気がしたり、うまく書けなかったり、逆に理屈っぽすぎるような感じがしたりすれば、文体を調整しないといけない。とにかくある量を書いてみないということだ。全体の十分の一、つまり一つの章を丸ごと書いてみるということ。頼朝の生い立ちから平治の乱を経て、伊豆に流されるまで、と考えていいだろう。
ここで山場になるのは、まず頼朝のファーストショット。全部、頼朝の視点で書いてしまうと、ファーストショットを外側から書くことができない。頼朝の顔が見えない。それに、幼児の内面を書くと嘘臭くなるということがある。『天神』でもファーストショットは神の子のような感じなので、島田忠臣の目で、外部から書くことにした。今回は文覚の視点で書く。どのあたりから頼朝の視点にするかというのも問題だが、平治の乱で馬に乗って逃げるところは、外部の視点では書けないので、頼朝の視点になる。その前に文覚は袈裟という女を殺して出家することになるので、このあたりで視点を移動させればいいだろう。
一章には山場を六つか七つ設定したい。オープニングだから、読者を退屈させてはいけない。西行が流鏑馬をするシーンは必要か。むしろ和歌の解釈をしてみせるエピソードの方が面白いだろう。流鏑馬は、老人になった西行が鎌倉で演じてみせることにした方が効果的だ。この創作ノートは、ふりがながついていないのだけれども、「流鏑馬」は「やぶさめ」と読んでください。西行が流鏑馬の達人であったというのは史実です。あと、蹴鞠も達人だったようで、これは子供の頼朝の目にも印象的なシーンだから、第一章のハイライトの一つにしたいところだ。
それから平治の乱で逃げるところ。落馬するところ。女の姿で隠れるところ。つかまって京へ連れ戻されるところ。このあたりで視点を頼朝から離して、再び文覚を活躍させたい。というか、平治の乱では文覚が忍者的な活躍をすることになっている。二つの視点を交互に交錯させながら話を展開させればいいだろう。その前に、保元の乱における西行の活躍を、エピソードとして語っておきたい。こちらは目で見えるシーンではなく、語るだけでいい。
それから、頼朝が清盛の前に引き出される場面。頼朝の目で清盛を描くことになる。三部作として三つの視点で書くことの意味がここに出てくる。『清盛』に出てくる清盛の視点で描いた少年の頼朝と、今回の頼朝の視点による清盛。この二つの映像を重ねることで、多元的な世界が描かれることになる。この作品の最大の見せ場がここにある。そして伊豆。伊豆という土地のファーストショットが大切。京で生まれ育った頼朝は、東国を田舎だと思っている。蔑視し、憎んでいる。その象徴となるのが、伊豆の蛭ケ小島だ。名前そのものがへんな地名だし、長旅で疲れてもいる。そこに現れるのは比企の尼。これは乳母だが、幼児の頃の頼朝はこの乳母を嫌っていた。そこでげんなりするとともに、東国という土地に嫌悪感を抱く。もう一つは北条時政。これを思いっきり田舎ものに書かないといけない。
それくらいで一章になるだろう。第二章は、文覚が伊豆に流されてくるところから始めたい。その前に、流されるに到る過程も書かないといけないので、また文覚の視点になる。ここで文覚の視点は終わってしまうのだが、まあ、そのあたりで主人公頼朝のキャラクターが確立できれば、あとは頼朝の視点と神の視点を交互に入れることで展開できるだろう。義経の一ノ谷などをちゃんと書くか、書くとすればどういう視点で書くかということも、考えておかないといけないが、まだ文体が確立されていないので、先のことを考えてもしようがない。文体の確立を優先して、その文体で書けるような描き方をすればいいのだ。

05/10
5月のはじめの3日間ほどは「頼朝」冒頭部の執筆と「ウェスカ」の最終チェックを並行させていたが、連休の最後は「ウェスカ」に集中して、完成させてしまった。もうプリントして編集者に渡したので、完全に手が離れた。400枚(原稿用紙で)くらいになったので、ユーモアエッセーとしては少し長いが、純文学私小説としては、バランスのよいものになったと思っている。で、5/7に仕事場から三宿に戻った。また夜型の生活である。仕事場では犬の早朝の散歩があるので、暗いうちに起きる。時差ボケで目がさめてしまうということもあるし、いちおうリゾート気分になっているので、夜は軽くビールを飲むので、すぐに寝て、すぐに目が覚めてしまう。
三宿では酒は飲まないことにしている(今年のはじめから)。理由は、老人になったせいか、少し体が重く感じられたからだ。体が重いというのは、体重のことではなく、体のキレみたいなものがないということ。しかし酒を飲まなくなったら体重も少し減った。歴史小説を書き始めたので、書くべきことがたくさんある。少なくとも20冊は書きたいので、あとしばらくは健康で生きていたい。歴史小説を書きたいという欲望が、酒を飲みたいという欲望をはるかに凌駕しているから、べつに禁酒をしているという意識はない。自宅で飲まないというだけで、外では飲む。浜名湖の仕事場もいちおう「外」と考えている。日常的に飲むことを習慣にしたくないということで、「ハレ」の日は飲むということである。
で、三宿に戻ってから数日、メンデルスゾーン協会(何じゃそれは?)の理事会で少し飲んだ以外は、ひたすら仕事をしている。「頼朝」の最初、少し書くだけで、文体はすんなり決まった感じがする。自然状態で書いていると、どうしても理屈っぽく状況を説明したくなってしまうので、理屈を書いてしまった部分は、切り取って巻物状の原稿の最後尾にくっつけることにした。ただ削除するのではなく、ストーリーが少し進行したところで、説明を加えるという段取りである。いきなり理屈っぽい説明があると作品が動いていかない。というわけで、オープニングはほとんど説明なしに進行することになる。「清盛」を先に読んでいる人には充分だが、「頼朝」から読み始めた人には、わからない部分もあるかもしれない。わたしと同年輩の読者ならそんな心配はないが、いまの若い人は、高校で歴史を習っていなかったりするし、子供の頃に牛若丸の話を読んでいないし、「牛若丸のうた」も知らない。まあ、それでも読める、という感じにしたいと思っている。
オープニングの頼朝は少年である。門覚の視点で平治の乱までを描く。ただし、平治の乱の時点では門覚はすでに出家して紀州にいるので、ところどころは少年頼朝の視点になる。ここでの重要人物は、由良御前(母)、四の宮(父?)、義朝(名義上の父)、門覚、そして西行である。西行はスーパースターとして描く。頼朝にとって、自分が及ばない人物があるとすれば、それは西行である。西行は流鏑馬の達人である(史実である)。蹴鞠の達人である(史実である)。短歌の達人である(よく知られている)。おそらくは今様の達人でもあったはずだ(母方の祖父が今様の達人である)。つまり文武両道のヒーローでありながら、恋のために世をはかなんで出家している。しかし隠遁生活をしているわけではなく、キッシンジャー長官のようなフィクサーとして活躍している。忍者の元祖である。頼朝はたえず自分と西行とを対比して考える。頼朝は無能である。とくに乗馬が苦手である。最後には落馬して死ぬ(史実である)。作品の後半に70歳の西行が颯爽として馬で駆けるシーンを加えたい。
いちおう50枚程度を一つの章と考え、全体を10章としたい。第1章は、頼朝の少年時代だけということになる。最後に伊豆に流されて終わるということになる。四の宮のイメージを鮮明に残しておく必要がある。それ以後、四の宮(後白河)が作品の前面に出てくるのは、頼朝が上洛するシーンだけだから、ほんの一瞬にすぎない。しかし、つねに四の宮と闘い続けるのが頼朝の人生である。また、朝廷と武士との闘いというのが、時代としてのテーマだから、この対立は重要であるし、隠されたテーマとしては、父と子の対立というものがある。頼朝の父が誰なのかは、この作品では明かさないし、実際にわからないと思う。母は上西門院の女官であり、女官は皇族にとってはフリーで愛することのできる存在である。上西門院の周囲にいた皇族は、父の鳥羽法皇、兄の崇徳上皇、弟の四の宮後白河天皇、これだけの人物がいる。後白河は当時、19歳か20歳くらいであるが、母に生き写しの姉を「准母」と定め、院号を与え、さらには「皇后」にしてしまう。一歳年上の姉を母と呼び、皇后の位につけるというのは、異様としていいようがない。で、由良御前はその上西門院の女官で管弦の名手だったわけだから、四の宮の目にとまるのは当然といえるだろう。しかし当時の四の宮はまさに第四皇子だったので、権力はない。女官を北面の武士である義朝に下げ渡したのは鳥羽法皇である。そのあたりに、不明確な部分が残るが、それくらいの謎は残しておいた方がいい。
これが次の作品「後白河」になると、後白河の視点で描くことになるので、もう少し明確な視点が必要になるだろうが、頼朝が主人公のこの作品は、父親が誰かということは、謎のままに残しておいていいのだ。

05/14
冒頭から40枚ほど書いたところ。読み返してみると文体は確立されている。これでいい。頼朝が伊豆に流されるまでを第一章にと思っていたが、幼少時代は重要なので、伊豆までを二章にする。ということは、第一章は保元の乱までということになる。ここまでを門覚の視点で描き、第二章の冒頭から、頼朝の視点にして、この章は視点を混在させることになるだろう。視点の移動はあまりやりたくないのだが、ここは仕方がない。門覚の視点で書くと神の視点で書くよりリアリティーが保証されるし、門覚というキャラクターに味がある。ここから先は少しスピードアップして書きたい。

05/16
60枚で第一章がまとまった。保元の乱の直前まで。ということで、第二章の冒頭は保元の乱になる。ということはここも門覚の視点でいくしかない。予定はコロロコかわる。保元の乱のあと、門覚が袈裟を殺すという、「平家物語」のドラマチックなエピソードを描く。それから平治の乱になるわけで、2章に収まるかどうか心配。あんまり少年時代が長くなってもいけない。しかし、登場人物をイメージとしてとらえるためには、ある程度、しっかり描写しておく必要がある。1章はできているのだが、何か足りない気もする。たぶん、女性のイメージが不足している。ここに出てくる女性は、頼朝の母の由良御前と、門覚が恋をする袈裟だけなのだが、神秘的な由良御前と、肉感的な袈裟という、イメージのコントラストが必要だろう。肉感的な女性を描くというのは、あまり得意ではない。いちおう、上品に書きたいと思っているし、パターン化したくない。小説を書くのは難しい。

05/20
週末はいろいろと忙しかった。大学の先生をやめたのでヒマになるかと思ったが、そういうわけにもいかないようだ。仕方がない。精神力で集中しないといけない。できたと思った第一章は不完全であることが判明したので、後半を書き直した。歴史的事実の説明に終始している部分があったので、すべてを台詞に置き換えた。三善康信を相手にして門覚が質問するという設定で、当時の社会状況を読者にわかりやすく説明する。やっぱり説明なのだが、台詞にした方がわかりやすい。
三善康信が出てくると、ある種の感慨がある。先祖が悪役で「天神」に出てくる。三善家の先祖は菅原道真に落第させられるので、それを恨みに思って右大臣になった道真を批判するのだ。今回の作品では三善康信は頼朝の味方である。大江広元の方が重要人物だが、まあ、広元の同僚として頼朝を補佐することになる。少年時代の頼朝をしっかり描きたいと思うので、もしかしたら伊豆に流されるのは三章になるかもしれない。

05/22
門覚が袈裟を殺すシーン。伝説では袈裟が夫を救うためにわが身を犠牲にするという話になっているが、これは説話の定型であって、史実とは思えない。ということで、門覚がストレートに袈裟を殺すことになる。殺人のシーンというのは、けっこう難しい。自分に殺人の経験がないし、人を殺したいと思ったこともないので、モチーフに説得力を与えるのが難しい。とにかく書き終えた。
頼朝の元服。ここで初めて父親の姿が描かれる。「清盛」でも父親というのが重要なテーマになっていた。「清盛」「頼朝」「後白河」の主人公はすべて生い立ちに秘密がある。父親の立場に置かれている人物に対して、複雑な気持ちをもっている。そのことがこの三部作の隠されたテーマでもある。従ってこのシーンは重要である。父親はすぐに死んでしまうからだ。
第二章も残りわずか。これから平治の乱になる。頼朝がつかまるところで第二章の分量が終わるので、清盛との対決は三章のアタマからということになるだろう。するとそのまま伊豆に舞台を移すことになるので、長男の死のあたりが三章の幕切れになるか。今週は割とヒマなので自分の仕事に集中したい。

05/26
現在、3章の半分くらい。2章は平治の乱の直前で終わってしまった。で、3章は平治の乱の戦闘シーンと、頼朝の逃走、それから捕縛されて清盛と対決し、伊豆に流される、という段取りになる。4章の頭から舞台は伊豆に移ることになる。まあ、ほぼ予定していた展開なので、うまくいっていると思う。
昨日、文芸家協会の仕事で、著作権保護同盟の理事長と会談をして、著作権管理業務についての業務の分担と調整について打ち合わせをした。難行が予想されたのだが、思ったよりもうまく話が進んだ。これで自分の仕事に集中できる。世間とのつきあいも大切だし、著作権の問題はわたし個人のものではなく、すべての作家に関わることなので、自分なりにベストを尽くしている。バルザックだってがんばったのだから、わたしもがんばろうと思う。
「頼朝」は自分のベストの作品になりつつある。作品を書いている時はいつもそう思うのだが、「法華経入門」は法華経についての本だし、「ウェスカの結婚式」は息子の結婚の話で、これが自分の本のベストだとはいいがたかった。「頼朝」は頼朝についての本ではない。わたしの創作の主人公がたまたま頼朝という名をもっているだけだ。ストーリーも史実を土台にしているけれども、キャラクターはわたしが造形したもので、わたしの作品だといっていい。で、いままでのベストは何かというと、歴史小説では「炎の女帝」がうまくいったと思っている。まだ本になっていないが、実は「天神」もベストだと思っている。今年中には本になると思う。あ、いま気がついたが、「法華経」と「ウェスカ」の間に「天神」を書いたのだが、きれいに忘れていた。本が出ていないので忘れてしまいそうになる。
「頼朝」はここまでテンポよく書けている。門覚、西行という二人の人物を配置したので、ドラマ性が高まっている。主人公の頼朝は子供だが、門覚も西行も恋に命をかけて、それで坊さんになったという人だから、キャラクターが楽しめる。伊豆に舞台が移ってからは、恋もなく、動きもない、という展開になるので、そこをどう面白く書くかが、大きな問題である。ここまではベストになりそうな気配をもっているけれども、この先、どうなるかわからない。しかし、書き始めるまでは、少年時代を省いていきないり伊豆から話を始めるべきかと迷っていたのだから、考えてみれば怖い気もする。3章までの展開がないと、まったく動きのない小説になってしまいそうだが、そんなものを本気で書くつもりだったのだろうか。

05/30
4章の半分くらいのところ。舞台は伊豆へ移ったが、まだ本格的なストーリー展開に入っていない。この小説は1180年に入ると突如として動き出すのだが、いまはまだ1173年。門覚が伊豆に行って頼朝と会うところ。伝説ではここで門覚が決起を促すということになっているが、伝説どおりに書いても仕方がないので、かなりヒネッた展開になる。ここまで、かなり面白く書けていると思う。戦が始まってしまうと、あんまり面白くないかもしれない。源平の合戦では、活躍するのは義経で、頼朝は何もしない。その何もしない人物を描くためにこの小説を書いているのだが、それでは読者が面白くないので、ここまでは動きやイメージをつけて工夫をしてきた。まあ、戦が始まってからも、視点を義経に移して展開することは可能だ。何とか頑張ってみる。

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