定年カウントダウン04

2019年2月

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02/01/金
大学。まずは判定会。日曜に試験の結果について。入試課が事務的に選んだリストを見てただ承認するだけ。要するに縁故入学とか、怪しいことが起こらないように、入試課と学部長、学科長、入試委員が、書類を見て確認するという儀式だ。その後、大学院の2年生の公聴会。修士論文についてプレゼンテーションする。出発点の構想発表会ではもう少し人数がいたはずだが、結果として論文提出に到達したのは3人だけだった。留学生2名、日本人1名。とにかく発表が無事終了、よかった。自分が編集している創作集のゲラがドッと出ていた。卒論小説は長篇ばかりだが、再校なので、初校でチェックしたところが指定どうりになっているかどうかだけを付き合わせる。詩、短歌、俳句も再校で直すところはない。目次をチェックし、コラムと編集後記も確認。これで初めと終わりの部分が完了。真ん中の部分は自分のゼミの2年、3年の作品と、中上紀さん推薦の1篇。これらが最終入稿だったのですべて初校だが、原稿を入稿する前に漢字の間違いなどはチェックしてあるので、レイアウトや単純なミスだけをチェック。3年生で1人、すごい長篇を書いた女子がいて、これは初校だし、長いので学生のデータをそのまま入稿してしまった。これだけは厳密にチェックする必要があり、入念に読むことになる。院生の発表の時にも内職で読んでいたのだがそれだけではとても読み切れない。研究費で購入する本のリストも途中までで作業が中断していたので、これを先に仕上げて学務事務室に届ける。それからまたゲラに取り組む。終わったのは6時半。さすがに疲れた。セックス描写の濃密な作品だったので、余計に疲れた気がする。まあ、名作だ。自分にはとても書けない、と恐れ入るようにな作品だ。卒論小説の4本も、自分には及ばない名作ばかりだから、もはや小説の書き方を教えることも指導することもできない。あなたはすごい、と褒めることしかできない。さて、大学院の最後の発表が終わり、創作集も手が離れたので、シーズンの仕事はすべて終わった。あとは入試の待機が数回残っているのと、会議だけだ。定年カウントダウンはいよいよ先が見えてきた。

02/02/土
この週末は休み。土曜、日曜が連続で休めることがしばらくなかったので、ほっとする。月曜も休みだが、SUPERBOWLがあるので、この3連休は落ち着かない感じだ。ペイトリオッツが勝つのはおもしろくない。それくらいにペイトリオッツは強い。ベリチックという監督が嫌いなのだ。昔の巨人の川上監督とか、ヤンキースのトーリ監督に似て、暗い知性派という感じがする。ファンならば頼もしいと感じるのだろうが、陰険な感じがする。それに比べてラムズの監督は若く、熱血漢みたいだ。勝負事というのは老獪な方が勝つことが多いのだが、ペイトリオッツのQBブレイディーも超ベテランで、ラムズのQBゴフは3年目の若手で、だから老人対若者という構図になっている。どうもペイトリオッツが勝ってしまいそうだ。それで何となくもうユーウツな気分になっている。本日は床屋に行く。久し振りだ。なぜかすいていた。あとは『人麻呂しのびうた』という作品に取り組んでいる。なるべく理屈を排除して動きだけで勝負したいと思っている。100枚書いたところでストップして最初からチェックしている。登場人物が多すぎてはいけないのだが、歴史小説だからある程度は仕方がないとも思う。とくに女性が多い。戦国時代の話など、女性の数は限られたものだが、古代から平安時代までは女性にパワーがある。女の闘いといった側面がある。そこに柿本人麻呂という人物を登場させ、ピュアに生きるその姿を美しく描きたいと思っている。

02/03/日
日曜も休み。いよいよSUPERBOWLの前日となった。気分が落ち着かない。もうドキドキしている。妻が車を動かすというので同乗する。ガレージに車を入れてから、地下の駐車場から別のエレベーターで1階に出て、近所を散歩。賃貸マンションのありそうな建物を物色する。よさそうな建物は賃料が高い。もはやリタイア状態なので、ランニングコストは下げたいところだが、そこで仕事をすることもあるので、まあ、どうするか、部屋があいていないと入れないので、成り行きに任せることになりそうだ。

02/04/月
朝8時に起きてSUPERBOWLを見る。第3クォーターが終わって3対3という空前絶後のロースコア。最後にグロンコウスキーへの長いパスが2本決まって1ヤード地点、そこからRBミシェルのランが決まってタッチダウン。見せ場はそれだけの期待外れの試合だった。しかし今シーズンはチーフスのQBマホームズの活躍など、シーズンの試合を楽しませてもらった。残念だったのはスティーラーズとジャイアンツの不振。それと不可解な判定でセインツがカンファ決勝で負けてしまったこと。まあ、結局、ペイトリオッツは強かった、というところで話は終わってしまう。そう考えると昨年のイーグルスのニック・フォールズの活躍は、まさに奇蹟というべきものだった。去年のことを思い出していても仕方がないが、今年のSUPERBOWLは、あんまりおもしろくなかったなあ。何だかガックリしてしまった。ネットで大学のメールを確認すると、月曜日だから大学は動いている。さまざまな依頼があって、書類をいくつも作成することになった。休みだと思っていたが大学に行かなくていいというだけで、大学の仕事は次々に舞い込んでくるのだ。ああ、疲れた。

02/05/火
今日と明日は入試。今日はペーパーテストなので本部に待機するだけ。『人麻呂』のプリントを持っていく。先月のセンター試験の待機で一部をチェックし、新たにノートにメモを書き足したのだが、その続きの作業。今日もかなりのメモを書いた。メモばかり書いていて、プリントのチェックはあまり進んでいない。書き直しもあるが、確実にメモの量が増えているので、登場人物のキャラクターがそれだけ深くなっていく。作品の品質が上がっているということだろう。ということはこれまでの草稿がダメだったということで、こうした努力の積み重ねで作品が仕上がっていくことになる。これまでは半年で一作、小説を書いていたのだが、この作品は1年以上かかりそうな気がする。発表のあてもなく書いているのだが、ある程度、導入部が出来た段階で、発表のプロセスを考えていかないといけない。とにかくいまは作品を少しでも先に進めることを考えたい。明日は留学生の面接で、これは時間をとられてしまう。それでもそのあとの判定会までの間にアキ時間があるはずなので、仕事の道具は持って行くことにしている。

02/06/水
本日も入試。電車が少し遅れて、大学到着も少し遅れたが、説明会には間に合った。留学生の面接。自分は外国語をまったくしゃべれないので、外国に来て大学に入ろうという意欲をもった留学生はりっぱだと思うが、大学院の志望者と違って、ほとんど文学の教育を受けていない学生たちなので、いきなり文学部に入っても苦労するだろう。だが、留学生の存在は日本人の学生にとっても刺激になるので、入試課に指示された人数の合格者を出した。自分は3月で退職するので、あとを引き継ぐ新しい学部長にお任せすることになる。本日は理科系の筆記試験も実施していたので、面接が終わったあとも本部に待機していたのだが、判定会が済むと帰っていいということだったので早めに帰った。本日は久し振りの豪雨だったが、帰ることには雨は止んでいた。日没寸前、空が晴れ渡り陽射しが戻ってきた。今日も待機の間にかなりメモが書けた。

02/07/木
著作権問題を考える創作者団体協議会。12年前に、著作権の保護期間延長の運動をするために組織された団体で、三田が「議長」を務めてきた。延長に伴う許諾アクセスの利便性を高めるために、各領域の著作権管理団体のデータベースにリンクできるポータルサイトの運営を続けてきたのだが、運動そのものはアメリカなどとの貿易協定の持ち札として保有すべきだという意見が強く、交渉の経緯を見守ることとして、最近は活動を休止していた。3年前にTPPの交渉が進んだことを受けて法律が改正され、実施時期については協定が施行された時ということになっていたのだが、その後、トランプ大統領の出現によってTPPそのものが頓挫することになったのだが、アメリカ抜きの交渉がまとまり、めでたく昨年12月30日に著作権の保護期間が70年に延長されることになった。ということで、目標が達成されたことをもって、協議会の活動も終わることとなった。本日は会そのものを終結させるための会議で、全員一致で会の収束が認められた。議長としての大任もこれで終わった。まあ、新たにSARTRASという著作権関連の社団法人ができて、副理事長を務めることになっているので、仕事が楽になるわけではない。ただ大学の退職の時期に、一つの大きな任務が終わったので、ほっとしている。著作権の保護期間延長は、自分にとっては何の関係もない。自分が死んだあとの70年間といったものは、想像することもできない。だがいわゆる文豪の作品はいまでも読まれていて、ご遺族に収入がある。そういうものを護るのも自分の責務だと考えている。残念ながら、運動を始めてから十年以上も延長が実現しなかったので、谷崎潤一郎や江戸川乱歩の著作権を護ることができなかった。しかしヘミングウェイやカミュの著作権はこれから護られることになる。先進国で日本だけが短いという恥ずべき事態も解消されることになった。日本がようやく先進国の仲間入りができたということで、まことに喜ばしい。

02/08/金
まずは近所の医者に行って、必要な薬を貰う。月に一回の行事だ。私学共済の健康保険で受診するのも、あと1回というカウントダウンだ。その後は、文藝家協会の保険に書き換えることになる。大学での手続きはほぼ終わっている。あとは研究室の片づけだけだが、これがかなり手間がかかる。夕方、イーブックジャパンの担当者が来て打ち合わせ。イーブックジャパンがヤフーの参加になるので、コミックス中心となるので、これまでのように文学の場ではなくなるとのこと。武蔵野大学の高校生部門の作品をこのサイトで公表していたのだが、あまりメリットがなくなるということが判明したので、次年度からは大学のホームページで対応することになるだろう。今年度は従来どおり、イーブックジャパンに公表することで話し合いがついた。あとは近所で軽く飲む。明日は9時出勤。7時前に起きる必要がある。この9時出勤の会議はまだ何回かある。入試の業務と合わせて、カウントダウンに入ってはいるのだが、まだ先は長い。

02/09/土
土曜だが出勤。朝9時から判定会。火曜の入試およびセンター試験の結果を見て合格者を決める。コネなどの不正を排するために入試課のメンバーと学部の教員3人で公正に成績順に判定する。ただそこにいるだけの仕事。すぐに終わる。天気予報は大雪の予報だったが積もるほどではない。ただとても寒い。外気は摂氏1度とのこと。すぐに帰りたかったが、夕方、教え子と飲む約束をしていたので研究室で待機。自分の仕事の資料はもってきたで作業をやっていたのだが、研究室のある7号館のエアコンが壊れていて寒い。たまらず荷物をまとめて6号館に移動。講師控室には暖房が入っている。数人の先生方が作業をしていたが、やがて誰もいなくなる。3時に大学を出る。このところいつも裏門から出入りしていたのだが、久し振りに正門から出た。吉祥寺行のバスに乗る。雪はまったく降っていない。時間があったのでヨドバシに入ってプリンターのインクを買う。これまで大量のプリントは研究室のプリンターを使っていたのだが、これからは自宅でプリントしないといけない。自宅にはプリンターが2台あるのだが1つは妻専用。自分のプリンターはコンパクトなもので使いづらく時間もかかるのだが仕方がない。ヨドバシに行く前に5分ほど歩いて女子大通りの方に向かった。自分が学生だったころに住んでいたマンションがそのまま残っている。引っ越したのが1970年。三島由紀夫が市谷で自決した日だった。50年に近い昔のことだ。21歳の自分がここにいた。二人の息子もこの近くの産院で生まれた。芥川賞を受賞したのもここだ。記者やカメラマンが押しかけて、子どもといっしょの写真を撮ってもらったりした。まあ、それだけのことだ。自分には過去の時間があるが、大事なのは「いま」と「これから」だ。駅前のサンロードを散歩。いまはアーケードのある美しい商店街だが、50年前はここをバスが走っていた。そんなことを知っている人も少なくなっただろう。4時に集合場所の三菱UFJ銀行前。教え子2人と合流して地下のビアホールへ。楽しく語り合った。引っ越しの手伝いをしてくれるというのでまた連絡することにして別れた。結局、雪は降らなかった。

02/10/日
日曜日は休み。昨日は出勤、明日も仕事があるので、貴重な休みだ。と思っていたら次々に電話がかかってきた。堺屋太一さんが亡くなられたとの報。10年ほど前に『堺屋太一の青春と70年万博』(出版文化社)という本を出しているので、報道機関からコメントを求められる。同じことを何度も話す。原稿も書いた。電話がうるさいので散歩に出た。湯島天神の梅を見ようと思ったのだが、すごい人出なので門の前で遙拝。途上の賃貸マンションのたたずまいなども眺める。湯島の丘の上は道路が直行しているのでわかりやすい。淡路町のあたりは迷路みたいに道が入り組んでいるし狭い路地が多い。散歩で行ける範囲ならどこでもいいと思っている。

02/11/月
祝日だが出勤。研究室で映画監督代島治彦さんのインタビューを受ける。羽田闘争の山アくんの追悼文集のモニュメント建立を実現した羽田プロジェクトの大手前高校同窓生に興味をもたれたようで、主要な同窓生の軒並みに映像化するという試みで、3時間ほど話をした。カメラの前で話すというのはどうかなと思っていたが、話し始めると気にならなかった。昔のことを思い出すと、少し心が痛む。過去を振り捨ててつねに前向きで生きてきたのだが、自分の奥さんも高校の同級生なので、時に過去を想い起こすことがある。まあ、何かの義務を果たすような思いでインタビューを受けた。少し疲れた。

02/12/火
夕方、貸与権センターの理事会と懇親会。三田は顧問を務めているだけだが、漫画家の先生方の話を聞くのは楽しかった。あとは自分の仕事。少しずつ前進している。金曜日にまた入試待機がある。『人麻呂』をまた最初から読み返してみたいと思う。かなり書き直したので流れが見えなくなっている。この段階で最善の状態にしておかないと、あとに行くほど修復が難しくなる。

02/13/水
本日は完全に休み。近くの不動産屋に行って、いくつか部屋をチェックしてみた。明日また出向くことにした。あとは『人麻呂』を進める。前進している。

02/14/木
本日も休み。部屋を見に行く。なかなかこれというところは見つからないが、そろそろ決めないといけない。いまは動きが激しいので、決めないと部屋がなくなっていく。明日の入試待機のために、入力作業を急ぐ。今夜中に入力できたものをプリントしてもっていく。30ページ以上にはなっている。400字で100枚以上にはなっている。もうすぐ壬申の乱が終わる。章の切れ目をどこにするかということも考えないといけない。

02/15/金
入試待機。本日はB日程というもので、まだC日程が残っている。それに大学院の入試があと1回。それで入試のカウントダウンは終わる。ただ判定会と称するものはまだたくさんある。学部長会議、教授会、学科会などもまだあるので、カウントダウンはさらに続く。講堂での説明会のあとで研究室のある7号館に出向き、廊下に届いていたダンボール箱のガムテープを研究室内に収納。いよいよ部屋の片づけを始めないといけない。まだ移動する部屋が決まっていないが荷造りは進めていく。まあ、来週からだ。入試は問題なく終わった。長い一日だった。『人麻呂』を昨日のうちに現在書いたところまではチェックと修正入力を終え、プリントも済ませていたので、入試待機の間にそのプリントを最初から読んでみた。まだ半分くらいだが、そこまではうまく行っている。流れるようにプロットがつながり、ひっかかるところはない。50ページ、150枚くらいになっている。全体を450枚と考える3分の1のところだ。すでに壬申の乱は終わったので、ちょうどいい分量になっていると思う。ここから皇女たちの恋愛と悲劇が始まる。そこを人麻呂の視点で丹念に追っていく。できる限りテンポの良さを持続させたい。さて、今年に入ってから突貫工事みたいな作業で社団法人を一つ作って補償金制度に対応するシステムを作ることになったのだが、担当者の努力の成果で、本日、文化庁から補償金制度の指定団体として認定されることになった。文化庁のホームページにも出ているのでまちがいはない。一般社団法人授業目的公衆送信補償金等管理協会(SARTRAS)というのがその社団法人の名称で、三田は副理事長ということになっている。仕事がまた増えることになるのだが、世のため人のための仕事だからやらないわけにはいかない。ただ受け皿はできたのだが、そこにお金を払ってくれる人々の同意を得るためには、これから長い道程が必要となる。重い荷を負うて坂道を登るという徳川家康みたいな気分だが、著作権の仕事というのはつねに困難がつきまとうもので、保護期間延長の誓願もスタートしてから13年後に実現したことを思えば、法律ですでに3年以内に実現することと定められている今回の場合は、とにかく3年以内に何とかなると、何とかしないわけにはいかないという実感をもっている。そんなことより、当面の課題は研究室の片づけだ。本日、ダンボール箱をゲットしたので、来週はまずゴミの整理から始めたいと思っている。

02/16/土
また部屋を見に行った。今日見た部屋は、まあ、コンパクトな部屋だが、これで充分という気がした。自宅から近いし、道路から少し奥まったところにあるので静かだ。東向きだが、少し空が見えていて、暗い感じはしない。現在の研究室よりは遙かに小さな部屋だが、大半の書物は捨てていくので、これで充分だろう。本棚と机を入れ、空いたスペースには本棚に入りきれない本をダンボール箱に入れたままにするといったこともあるだろうが、客が来るような場所ではないのでこれでいい。話を進めてもらうことにした。まあ、問題は生じたないだろうと思っている。ここは現在空室なので、契約すればただちに使えるようになる。今月の末くらいには入室できるので、3月になったら荷物の搬入も可能だ。とにかく3月中に研究室を片づけないといけないので、とりあえず保有しておきたい本をこちらに運び込むことにする。

02/17/日
この週末は土日ともに休み。昨日は部屋を見に行ったりしたのだが、とりあえず申し込みまで行ったので気が楽になった。本日は住居と同じ敷地内にあるスーパーで買い物。1階の駐車場の中を横断していけばスーパーの裏口につながっているので、傘は要らない。本日は晴天だが花粉が舞っているはず。だがマスクも不要。ウィスキー3本、おつまみのチーズなど。ウイスキーは慣れているものが最善なので、高価なものは飲まない。『人麻呂』の第1章のチェックが終わったので入力を始める。プリントは第2章の終わり近くまでできている。全体が5章と考えているので5分の2のところまで来ている。これでいいのかどうかわからないし、出版できるかどうかもわからないのだが、とにかくベストを尽くしていい作品に仕上げたいと思っている。新書の企画もそろそろ立てたいと思っているのだが、仏教関係はもう書き尽くした気がするので、文学や歴史について何か企画したいと思っている。

02/18/月
午後から教授会。すぐに済んだので部屋の片づけを開始する。荷造り用のダンボールは大学から支給されているのだが、小さな空き箱がいくつかあったので、まずはそこにゴミを詰め込んでいく。成績をつけた用紙や学生の連絡先が入ったものはシュレッダーにかける。それ以外の紙ゴミをどんどん箱に詰めていくと、17個できた。教授会の前に最初の2個を廊下に出しておいたらなくなっていたので、とにかく外に出しておけばいいらしい。残りの15個を廊下に出して本日の作業は終わり。キャビネット1つぶんでこれだけのゴミが出た。まだ先は長い。紙ゴミを処理していると、学生の名前が目に飛び込んでくる。記憶のある名前もあって、この10年の想い出がよみがえり胸が痛む。同時に箱を持ち上げる作業が続いたので腰も痛んできた。胸と腰の痛みをかかえながらバス停まで歩く。こんなふうにバスに乗るのもあとわずかだ。定年カウントダウンはいよいよゴールに向けて動き始めた。

02/19/火
本日は休み。自分の仕事を進める。プリントに赤字を入れた部分を入力。ここから先はいきなりキーボードで入力することになる。とにかくいまはこの作品に集中したい。

02/20/水
9時30分からの判定会議。朝1番だと6時50分起床なのだが、30分遅いので7時20分起床。この30分の差はありがたい。会議は10分くらいで終わる。入試がなくても、センター試験の成績だけでの選抜もあるので、この判定会議はまだ何回かある。さて、本日は2時40分からの学部長会議まで時間がある。研究室の片づけに着手。月曜日に続いて2回目のトライ。前回はゴミを出すだけだったが、今回は重要な書籍の梱包に入る。埴谷雄高全集、これは大事なものだ。ぼくにとって神さまみたいな作家で、私淑していた。高校生の時に訪問して、ドストエフスキーの続篇を書きなさいと励まされた大事な想い出がある。ただ全集を梱包して自宅向けの場所に置いたが、それ以外の埴谷さんの本はすべて捨てることにした。エッセー集は膨大な数が出ているのだが、すべて捨てる。心が痛む。中村元全集。これは捨てる。もう仏教の勉強はしない。とりあえず「図書館または総務」という張り紙をつけて廊下に出しておく。総務の判断で図書館に残すか、古本屋に売却するかを決めてもらう。売却のお金が入ったら大学に寄付する。個人的に業者を呼べば自分にお金が入るのだが、研究費で買ったものなので自分の利益にするわけにはいかない。早稲田の専任だった時に買った本もあるし、武蔵野大学の研究費で買ったものもある。始めのころは研究費で買ったことを示すラベルを貼っていたのだが、図書館が本を引き取らなくなったのでラベルも貼らなくなった。ただ全巻揃いの全集なので図書館が引き取るかもしれない。歴史大辞典とか、揃いのものがいくつかあるので図書館に回す。自分が学生のころから保有している演劇全集もある。明治の文学などという全集もある。もう自分では読まないので、揃いになっているものは図書館の箱に入れる。ゴミだけで一つの壁が埋まるくらい出た。自分の部屋の前の廊下に図書館と書いた箱が8つほど。部屋の中を見渡すとまだまだ本がある。読んだものもあるが、大半は読んでいない。調べ物に少し利用しただけで、いつか読むだろうと思っているうちに、70歳になってしまった。捨てるのは惜しいが、人生というのはそういうものだ。出会いがあれば別れもある。あと10年くらいは生きているつもりだが、もう勉強はしない。ネットが便利になったので、調べ物のための資料は不要になった。必要な本があればアマゾンで買えるし、散歩で神保町によく行くので古本も買える。必要になれば買うということでいい。デッドストックをかかえるのはロスが大きい。近所に賃貸の部屋を探していたのだが、2部屋で14万といういい部屋があった。面積だけならいまの研究室より広い。全部運び込むということを一瞬考えた。しかし本が売れない時代に資料の維持にランニングコストをかけるのは負担になる。ということで、ビジネスホテルみたいな部屋を借りることにした。とりあえずここにダンボール20箱くらいを運び込み、保存しておく。本棚を何本かいれ、よく遣う資料は棚に並べる。埴谷雄高全集などは箱のままで積み上げておこうと思っている。ということで、学部長会議までに体が疲れて動かなくなった。それから長い会議があったので、持ちこたえるのだが大変だった。ありがたいことに名誉教授に推挙された。名誉だけの称号ではあるが、本来は教授として15年勤続することが条件なので、8年で退職するのにこの称号を授与してもらえるのは、本当に名誉なことだと思っている。

02/21/木
午後からSARTRAS理事会。青山の複製権センター。弁当が出るというので少し早めに行く。三田は副理事長なので仕事は何もないと思っていたら、議題の一つは副理事長が議長をつとめることになった。聞いてなかったのだが、まあ、議長は慣れているので大過なく役目を果たせた。本日はそのあと記者会見をやるということだったが、こちらは退出して自宅に帰る。帰る時に反対側に歩いて行ったら、すぐに近くにメトロの駅があった。銀座線の神宮前駅。複製権センターは昔からこの場所にあり、三宿に住んでいた頃から何度か出向いた。田園都市線から半蔵門線に乗り入れると表参道で下りる。いまは新御茶ノ水から千代田線で表参道。表参道ということが頭にインプットされていたので、銀座線のことは頭になかった。しかし考えてみれば、千代田線で表参道まで行って、銀座線に一駅乗ってもいいわけだし、自宅から須田町まで5分ほど歩けば銀座線神田駅のJR神田駅とは反対側の入口が須田町交差点にある。最寄りの淡路町駅から丸ノ内線で赤坂見附乗り換えというのもある。本日は銀座線から丸ノ内線に赤坂見附で乗り換えた。万歩計をもって少しでも歩こうとしているのに、歩く距離を考える必要はないのだが、頭の構造がつねに最善を尽くようにプログラムされているので、これからSARTRASの会議に出向く時はどの経路で行くか迷うことになる。明日は国会図書館で会議がある。千代田線で国会議事堂前で下りて少し歩くことになるだろうが、都営新宿線で市谷乗り換え有楽町線というのもある。乗り換えでけっこう歩くことになるので、まあ、千代田線かなと考えている。

02/22/金
午前中は国会図書館で会議、午後は文藝家協会でオーファン委員会。国会図書館から文藝家協会までは徒歩圏だが、11時半に終わって3時からなので時間があきすぎる。午前の会議と午後の会議、両方に出るメンバーが5人ほどいたのだが、他の人たちはどうしたのだろう。こちらはいったん自宅に帰り、大学のメールをチェックしてから、また出かけた。国会図書館への往路は千代田線、復路は丸ノ内線、文藝家協会の往路は中央線快速で四谷から徒歩、復路は半蔵門線の半蔵門から神保町へ。神保町から徒歩で帰る途中に、今度借りることにした部屋のある集合住宅の前を通った。築37年の建物なので大丈夫かなと思うのだが、自分の浜松の仕事場は築38年の木造だがちゃんともちこたえているので、まあ大丈夫だろう。ワンルームがぎっしり並んだような構造だし、両脇が道路に張り出して入口は奥まっている構造なので、バタン倒れるようなこともないだろう。書庫として利用するだけなので滞在時間をなるべく短くしたい。一つの作品が完成して別の作品に取り組むといった場合に、自宅の作業場の資料を入れ換える。そういう利用だと半年に1回くらいのものだが、まあ散歩の途中に寄って読みたい本を探したり、読み終えたが捨てたくない本を持ち込んだりといったことになるだろう。2つの会議中に、メモを少し書いた。プリントしてあった50ページほどはチェックと入力が終わったので、いまは直接、パソコンで続きを打ち込む状態になっている。次の入試待機は3月3日だ。それまでにページを増やして、またプリントを読み返す作業をやりたい。研究室のレーザープリンターはモノクロしかプリントできないのだが、自宅のプリンターは速度が上がらない。専用のモノクロプリンターを購入するか、考えてみたいが、すでに妻用のプリンターもあるので、置く場所に困る。まあ、それほどガンガン仕事をするわけではないので、いまのままでいいかとも考える。さて、この週末も土日とも休みだ。その次の週が日曜に入試、さらにその次の週は大学院の入試がある。それで入試関係はすべて終了となる。カウントダウンがいよいよゴールに近づいてきた感じがするが、研究室の片づけはまだ40%くらいだ。あと3日は必要だろう。来週の月曜は朝イチに判定会があるので、それから夕方まで働けば目途がつくのではないかと考えている。本日は文藝家協会で文芸美術健康保険の申し込み用紙をもらった。これまで二度入って二度退出した。今度で三度目。こういう手続きは面倒ではあるが一つ一つ片づけないといけない。早稲田では2度、専任になった。早稲田では生協というものがあって、2度退会した記憶がある。確か出資金1万5千円くらい、退会の時に戻ってくるので、面倒だが生協本部まで(文学部からは距離がある)で出向いて手続きをした。その時に教員証を見せる必要があるので、先に教員証を返却してはいけないのだ。そういうちょっとした手順みたいなものが意外と重要だ。Footballはトレードが解禁となって、そろそろ動きがありそうだ。スティーラーズのブラウンとベルがどこへ行くのか。イーグルスのニック・フォールズはどうか。考えただけでドキドキする。

02/23/土
この週末は休み。来週の日曜は入試待機。その次の週は大学院入試がある。土日が休める週末は基調なのだが、四月からは毎日が日曜日になるので、あとわずかでこのカウントダウンも終わる。午後、妻と散歩に出る。まだ神田明神。それから湯島天神。梅と受験の季節でものすごい人出だった。上野の不忍池を半周して、広小路の風月堂で休んで、往復徒歩で帰ってきた。のんびりしている。『文芸思潮』の五十嵐さんから連載の依頼があった。ありがたいこと。懸案の高校時代の話を書こうと思う。入学式から埴谷雄高に会うまでの話。するとうちの奥さんとの出会いから話が始まってしまう。奥さんとは15歳で出会ったので、もう半世紀以上も昔の話だ。その奥さんと散歩していると、何か変な感じだ。3回に分けて100枚ずつ書くということを考えてみる。まあ、もう少し近づいてきてから考えてみよう。『人麻呂』はいまは直接パソコンに入力している。第二章がもうすぐ終わる。ここまでを研究室のプリンターでプリントしておきたい。今度研究室に行くのは月曜日なので、明日中に第二章を完了させないといけない。ちょっと緊張する。まあ、金曜日でもいいのだが。

02/24/日
昨日は7700歩と少し歩きすぎた。本日は休憩。どこにも出かけなかった。『サイエンス』におもしろい記事が出ていた。人間はなぜ運動するのか、といったテーマだ。猿の仲間は樹上生活が多く、木の実や昆虫を食べて生活している。移動範囲は限られているし、一日の大半を寝ているかごろごろしている。類人猿の中で、人間だけが、活動範囲が広く、一日に1万歩ほど歩かないと「不健康」になってしまう。こんなサルも珍しいということらしい。確かに、一日外出しないと体がなまってしまう感じがする。とくに高齢者は5000歩くらいは歩かないといけないようだ。人間はチームプレーで獲物を追いかけるなど、体力を使うことで進化を遂げてきた。だから毎日運動しないと体調がおかしくなるようにできているようだ。ということで、本日はどうも、体調が低下しているようだが、明日は大学で研究室の片づけをするので、本日は体を休ませておいた。さて、外出せずにパソコンに向かっていたので、第二章完了。これで明日、研究室のプリンターでプリントできる。

02/25/月
9時から判定会なので、6時50分起床の予定だったが、20分早く妻に起こされた。中央線が完全にストップしているという。入試の待機ではないので、遅れても問題は生じないのだが、渋谷から井の頭線で吉祥寺まで行けばバスで大学に行ける。少し早めに自宅を出ることにして朝食を食べながらテレビを見ていると、新宿から高尾までは動き始めた。どうやら足元の御茶ノ水に問題があるらしい。自宅の窓から聖橋口の改札が見えているのだが、人の動きがまったくない。新宿から動くなら小川町から都営新宿線で新宿まで行けばいいのだが、おそらくすごい混雑だろう。ということで早めに自宅を出て淡路町から丸ノ内線で荻窪に向かった。荻窪駅も大混雑だった。JRから地下鉄に乗ろうとする人の流れができていて、逆行するのがたいへんだった。ホームも超混雑していたが、流れに押されながら電車に乗り込むことができた。とにかく武蔵境に着いて超ラッシュの車内から脱出することができた。こんなに混んだ電車に乗るのは久し振りだ。以前、三宿に住んでいたころは、朝のラッシュ時に池尻大橋から電車に乗ることがたまにあって、日本一混んだ電車に体当たりで乗り込んだ記憶がある。バスはふつうに動いているので、予定より早く大学に着いた。判定会は15分で終了。研究室で片づけを開始。片づけの作業は本日が3回目。ゴミの箱を10個ほど作ったところで、先日酒を飲んだかつての教え子のうちの1名が到着。大量の本を捨てると話したので、捨てるなら貰いたいと言っていた。すでに2回、片づけをしたので、かなりの本を捨てたのだが、本日は自著を捨てることにしていたので、教え子の到着はありがたかった。机と窓の間にホワイトボードを置きその裏に自著を大量に所蔵していた。本が出ると嬉しいのでやや大目に購入していた。著者だと8掛けで買える。自著が本屋さんに置かれているのは限られた期間で、昔はアマゾンみたいなものがなかったから、自分でも保存しておきたかった。いまなら三田の本はアマゾンで、古本や電子書籍も含めると150冊ほど出ている。その本をそれぞれ10冊ほどは確保していた。その中から2冊ずつ取り出して、大学図書館と武蔵野文学館に1冊ずつ寄贈する。そういう作業を教え子がやってくれた。それから本棚に残っていた雑多な本のうち、新たな書斎にもっていく本だけを選び、要らないものはテーブルの上に積むという作業をすると、教え子が箱に詰めて、ゴミ置き場に運んでくれる。作業が思いがけないほど捗って、合計43箱のゴミができた。「僕って何書版」と書いた箱をそのまま捨てたら、学生が漁ってもっていった。同僚の先生からも宝の山だと言われた。まだ研究室の本棚にも「親鸞」とか「清盛」とかが残っていたので、史学の学生にもあげた。必要ならゴミの箱を探索してもいいと言っておいたら、ほんとに探索していたみたいだ。とにかくこれで不要な本はすべて廃棄のゾーンに箱につめて並べた。研究室の本棚に残っているのは必要な本ばかりだ。ということで、あと1日、棚に残った本を箱に詰める作業をやれば完了する。教え子には感謝。よく働いてくれた。近くのしゃぶしゃぶ屋で祝杯を上げる。この教え子は大学院まで来たのだが、なぜかその年はゼミに来る学生が一人しかいなかったので、授業を切り上げてよくしゃぶしゃぶを食べに来た。歩いていける範囲の飲み屋を探索したりもした。まあ、とにかく本日は充実した作業ができた。

02/26/火
本日は休み。午後、新宿のマッサージ。昨日、教え子が来てくれて箱運びの大半をやってくれたのだが、それでも箱を持ち上げたり、本棚から重い本を次々に取り出したり、かなり腰が張っている。本日マッサージの予約を入れていたのはたまたまなのだが、いいタイミングだった。念入りに腰を叩いてもらって、元気になった。

02/27/水
今月も残り少なくなった。本日は休みだが近所の不動産屋に行って契約書に署名。これで完了。部屋を確保できた。荷物もほぼできた。あとは運送の手配だけだが、これは大学の手順どおりにやればいい。まだ学部長の務めは残っているのだが、日曜の入試待機は休みにしてもらえた。あとは大学院入試だけだ。カウントダウンが1のところまで来た。まだ教授会や学部長会議、判定会は残っているのだが、もう気分的にはゴール目前という感じがする。嬉しい知らせ。『星の王子さま』第31版が出る。

03/28/木
大学の行事で新宿武蔵野館で試写会。文学部の研究所の一つ武蔵野文学館制作の映画を、原作者の黒井千次先生や、学院長、学部長に見ていただく。冒頭の挨拶を任されていたので、必要な話をした。これで本日の役目は終わり。今回は完成版だが、すでに一度、ほぼ完成版を見ているので、試写の間はぼんやりしていた。人丸が持統女帝と最初に会う場面が思い浮かんだ。いい感じで次に進めそうだ。本日は雨。傘を差したくないので千代田線で国会議事堂前で丸ノ内線乗り換えで新宿へ。武蔵野館は地下街からつながっているので傘を差すことはなかった。丸ノ内線は淡路町から乗れば一本で行けるのだが傘が必要だ。千代田線の新御茶ノ水駅は自宅から傘なしで行ける。時間はかかったが、傘を畳む手間がなかった。2月が終わった。すでに大学の授業は終わっているのだが、会議などがやたらとあった。SARTRASの会議などもあった。そのあいまをぬって研究室の片づけに励んだ。ゴミはすべて捨てた。あとは必要な本を箱に詰めれば終わりだ。その必要な本を運び込む部屋も確保できた。自宅から徒歩圏で5箇所見て回ったが、一番安いところに決まってよかった。建物が古いので安いのか。かなり大きな建物なので安心感はある。『人麻呂』も進んでいる。2章が完全に終わり3章に入った。いよいよ持統女帝が登場する。



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