三田誠広の新刊案内2007

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新刊案内2023

「光と陰の紫式部」(作品社)発売中

「光と陰の紫式部」

数年前に集英社新書で「源氏物語を反体制文学として読んでみる」という本を出した。摂政関白の全盛時代に、天皇の皇子の光源氏が親政を実施し、朝廷中心の時代を築き上げる物語を書いた紫式部は、明らかに摂関政治を批判する立場をとっている。それがなぜなのかをこの新書では語った。簡単にいえば紫式部は氏姓は藤原だが傍系の出自で、父の従妹が源家の左大臣に嫁いでいた。館も近所だったので、幼いころから左大臣家に出入りしていた。その源家の女房たちに語り聞かせたのが源氏物語だから、独裁政権を築いていた摂関藤原家を批判するのは当然のことなのだ。その左大臣の娘の源倫子のところに婿養子として入ってきたのが摂関家の三男で無位無冠だった道長だが、兄二人の病死で摂関家の氏の長者となり独裁政権を築くことになるのだが、政権を維持するためには娘を入内させ、次の天皇を産ませて自らが外戚とならねばならない。そのために娘の彰子に紫式部を家庭教師として教養を積ませるとともに、宮中で源氏物語の続篇を書かせる。するとその続篇は一条天皇が第一の読者となるため、さらに摂関家批判の色合いが強いものになっていく。ざっとそんなコンセプトなのだが、それだけでは小説にならないので、幼い紫式部が阿倍晴明の弟子となって、陰陽師の霊能を身につけていくという話を冒頭に置いて、一種のファンタジーと読めるような仕掛けを考えた。やや意地の悪い感じの紫式部と、能天気そのものの道長の恋愛小説としても読めるようになっているが、後半には「荘園整理」という政治的な課題が見えてきて、やがて紫式部と教え子の中宮彰子が、一条天皇の没後に彰子の子や孫が天皇になることで、紫式部を中心として女たちが独裁政権を築いていくというスケールの大きな話を構築することができた。自分ではエンターテインメントと政治小説が融合した名作だと考えている。


新刊案内2022

「天海」(作品社)発売中

「こころって何?」(岩崎学術出版社)発売中

「少年空海アインシュタイン時空を超える」(春陽堂書店)発売中

「天海」

ぼくは長く歴史小説を書いているけれども、神話の時代から鎌倉時代までという、あまりポピュラーではない領域に限定して仕事をしてきた。人気のある戦国や幕末については、すでに多くの作品が書かれているので、いまさから新たな作品を書く必要もないと思ってきたのだが、道鏡、空海、親鸞、日蓮などの宗教小説を書いてきたので、まだ書いていない偉人があるということは気になっていた。天海という人物については、宗教的な業績ではなく、徳川家康に取り入った怪僧といったイメージがあるのだが、山王一実神道という新たな哲学を起こした人物であり、日光東照宮だけでなく、江戸城や江戸の街並、とくに上の寛永寺周辺のマスタープランを提出した人物でもあって、なかなかの人物ではないかと思われる。ただ前半生についてはほとんど資料がなく、家康との出会いも謎で、家康の死後に大権力者になって経緯も不明のままだ。まさに謎の人物としか言いようがない。その謎のベールに包まれている人物を、作者の想像力だけで一種のヒーローとして描けないかというのが、最初の構想だった。結局のところ戦国末期の、信長、光秀、秀吉、家康が総動員で出てくる壮大な作品になったのだが、これで天海という人物の一端を示せたのではないかと思っている。あとは戦国時代がいかに収束して、天下太平の江戸時代が始まったのか、そのあたりの経緯が絵巻物のように見えてくるリーダブルな小説を目指したつもりだ。天海という強烈の個性をもった人物が戦国末期を疾駆する姿を楽しんでいただければと思う。

「こころって何?」

これは精神医学の領域で多くの本を書かれている池田健さんとの対談集だ。池田さんはぼくの作品の愛読者で、ほとんどすべての作品をお読みになっているようで、いろいろと質問をメールで送ってもらい、それに答えているうちに、さまざまな問題について議論をする間柄になった。そういう議論を踏まえて何か本を出せないかという池田さんの提案で、ZOOMで何回か議論を重ねたものを、池田さんにまとめていただいたのがこの本で、軽く読める精神医学や心理学の入門書になればいいと思っている。この分野の楽しさと奥深さが、読者に伝わればいいかなということで、気楽に語り合ったのだが、入門書としてはなかなかおもしろい本になったのではと思っている。

「少年空海アインシュタイン時空を超える」

入滅した空海が少年マオとして復活し、観音菩薩の化身のグロリアとともに、時空を超える旅に出るという設定のファンタジー。テーマは「空間」ということで、空海の「空」の思想にもつながっていく。時空を超えて移動できる少年と少女が、ガリレオ、デカルト、ニュートン、パスカル、ファラデー、マッハなどの学者と出会い、歴史的な発見のドラマに立ち合うとともに、最終的にアインシュタインの相対性理論と量子力学に到達するという展開になっている。読みやすく楽しい物理学の歴史を語るとともに、科学と仏教が融合した不思議なファンタジーの一種の浮遊感を楽しんでいただければと思う。少年少女の案内人となるのが、作品の中ではただ「博士」と呼ばれている人物で、はっきりと名前を挙げていないのだけれども、これがスティーブン・ホーキングだということはすぐにわかるようになっている。これは『天海』を書いている途中で、担当編集者からアインシュタインの相対性理論を「星の王子さま」みたいなファンタジーとして描けないか、という提案を受けて、タイトルだけを考えてそのままにしてあったのだが、企画が通って本を出すことが決まってしまったので、『天海』の草稿完了の直後に一気に書いたものだ。少年マオとグロリアのやりとりがなかなかおもしろくて、読みやすいファンタジーになっている。それで相対性理論がすっきりわかるというものではないだろうが、ガリレオから説き起こしているので、「空間」というものの魅力は伝わるのではないかと思っている。

新刊案内2021

「遠き春の日々/ぼくの高校時代」(みやび出版)発売中

「尼将軍」(作品社)発売中

「遠き春の日々/ぼくの高校時代」

「文芸思潮」に連載した作品です。自分の高校時代を描いたものとしては、プロの作家になってすぐに旺文社の「蛍雪時代」に連載して「高校時代」というタイトルで角川文庫になった作品がある。書いたのは30歳くらい。70歳を過ぎてもう一度、同じテーマを描くことにしたのは、自分の寿命が近づいているという危機感があったからで、高校時代だけでなく、自分の人生そのものを振り返り、現在の心境を書き留めておきたかった。高校時代に埴谷雄高邸を訪ね、ドストエフスキーの続篇を書くという重い課題を与えられたことや、その課題を60歳を過ぎてから実現に向けて艱難辛苦の作業を始めたことなど、これは武蔵野大学の紀要には書いたことなのだが、作品として世に出しておきたかった。ぼくの妻との出会いや、何人かの友人たちとの交遊も、自分の人生に大きな影響を与えている。そういうことは別としても、いまから半世紀前の時代の青春小説として、同世代の人々には懐かしさを感じる作品になっていると思う。

「尼将軍」

作品社の担当者が病気になったことと、河出書房の担当者とは疎遠になったことで、書き下ろしの作品が出せなくなっていた。担当編集者という伴奏者がいなければ、書き下ろし作品を意欲をもって書き続けることは難しい。大学を定年退職したあと、それでも小説は書き続けていて、在庫が3作たまっていた。作品社の担当者が復活したので、3作のうちどれがいいかと提示したら、『尼将軍』を出すことになった。来年の大河ドラマが鎌倉時代だというのは偶然ともいえるが、そういう機運をつかまないと本が出せない時代になったともいえる。『清盛』『夢将軍頼朝』『西行月に恋する』『阿修羅の西行』などこの時代についてはすでに何冊か本を書いている。とくに『頼朝』には政子が出てきたので、一度描いたキャラクターではあるのだが、頼家、実朝との関わりや、承久の変までは、新たに勉強して自分なりに解釈した世界だ。政子のキャラクターを始め、この作品にしかない新たな視点が数多くあるので、歴史小説の読者にはエキサイティングな体験をしていただけると思っている。


新刊案内2018

「源氏物語を反体制文学として読んでみる」(集英社新書)発売中

「小説を深く読む ぼくの読書遍歴」(海竜社)発売中

「源氏物語を反体制文学として読んでみる」

『源氏物語』は大権力者藤原道長の同時代に書かれた。しかし作品の中には関白も摂政も登場しない。天皇の皇子で臣籍降下した光源氏と呼ばれるスーパーヒーローが大活躍する物語だ。これは藤原摂関家に対する批判の書ではないのか。いかなる読者がこの作品を支持したのか。同時代の読者のニーズと、作者である紫式部の創作のモチベーションを解明し、『源氏物語』が何のためにどのような経緯で成立したのかを解明する。同時に、『尊卑分脈』に「御堂関白妾」と記述された紫式部と藤原道長の関係についても考察する。ずっと以前から『源氏物語』についてちゃんと考えてみたいと思っていた。紫式部を小説で描きたいとも思っていて資料にあたっていたのだが、『源氏物語』について考えるためには、摂関政治の歴史について詳述しないといけないことに気づいた。小説ではこういう理屈っぽいことは書けない。ということで、とりあえず新書で発表することにした。渾身の謎解きだと自負している。

「小説を深く読む ぼくの読書遍歴」

ふだん大学の講義で話している小説論めいたものを、自分の子どものころからの読書遍歴をたどりながら展開したもの。名作とされるものを読んでみたが、すぐにはそのよさがわからない。しかし時を経てその奥深さや文学的な価値に気づくことがある。読書体験を語りながら、孤独な文学少年がやがて作家になるものでの半生記みたいな感じのところもあって、読みやすいエッセーになっている。軽く書くということを心がけたし、校正作業の途中で自分でも笑ってしまうようなところもある。ユーモアエッセーとして受け止めてもらえばと思う。文学の楽しさを読者に伝えたかった。


新刊案内2017

「白村江の戦い/天智天皇の野望」(河出書房新社)発売中

「こころにとどく歎異抄」(武蔵野大学出版会)発売中

「白村江の戦い/天智天皇の野望」

天智天皇の大化改新と白村江の戦いを描いた歴史小説。周囲の皇女たちには未来を予知する霊力があるという設定で、神話の時代と歴史とをつなぐポイントとなる時代は、ファンタジーではなく歴史として描く試み。脇役の鎌子を道化として活用することで、歴史劇の愉しさを読者に提供したい。すでに『炎の女帝/持統天皇』というタイトルで書いた作品の前半部を一冊に拡大した。聖徳太子から始まる3部作の第2弾だが、これが売れないと次に進めない。歴史小説はあまり売れないので版元に負担をかけている。売れなければ毛嬉子小説はここで打ち止めとなる。

「こころにとどく歎異抄」

大学出版会の依頼で何か書けと言われたので、前年『親鸞』を書いた余勢を駆って「歎異抄」の口語訳を試みることになった。口語訳はすでに多数出版されているのだが、小説の中で描いた会話のような、存在感のある口語訳になればと思った。原文は引用せず、口語訳だけで勝負する。それだけではあまりに短いので、解説をつけたが、それでもまだ枚数が足りないので、簡単な仏教の歴史をつけた。これ一冊で親鸞の思想がすべてわかるというものになっていると思う。


新刊案内2016

「親鸞」(作品社)発売中

「仏教で楽しく死の準備」(双葉新書)発売中

「親鸞」

親鸞を主人公とした歴史小説。すでに「空海」と「日蓮」を書いた。当時は「親鸞」と併せて三部作とするつもりだったが、ドストエフスキーのシリーズを4冊出したために、執筆が遅れていた。その間も、親鸞について考え続けてきた。満を持して書いた作品で自分にとってライフワークになったと考えている。親鸞が主人公の作品だが、同時代の歴史的人物をなるべく登場させた。時代背景を提示するためだが、実際に親鸞は多くの人物と関わりをもっている。最初に入門したのが慈円。その兄の関白九条兼実とも面識がある。やがてその兼実の末娘の玉日と結ばれることになるのだが、それは新たな師となった法然の命によるものだった。親鸞は源氏の血筋なので、そのことで源頼朝、姉の坊門姫、同時代の最高権力者後白河院などとも対面する。坊門姫の娘は、九条兼実の次男良経の妻で、その子がのちの関白九条道家となる。のちに権力者となる後鳥羽院、側近の藤原定家、さらに定家が百人一首を編纂するきっかけとなった宇都宮蓮生なども登場する。壮大な歴史ドラマだといっていい。

「仏教で愉しく死の準備」

仏教と近代科学がクロスオーバーする地点で、人間とは何か、死とは何かを論じた作品。一般読者向けに平易な文章で書いているけれども、仏教の歴史と近代科学の歴史がこれ一冊でわかるようになっている。その上で、人間とは何かということが、すっきりとわかる。死とは何かということもわかる。これを読めば、死への恐怖がなくなるはずだし、迫ってくる死に対する心の準備ができるだろう。自分にとっても、死というものについて考える、よい契機になったと思っている。


新刊案内2015

「日本仏教は謎だらけ」(双葉新書)発売中

「聖徳太子 世間は虚仮にして」(河出書房新社)発売中

「日本仏教は謎だらけ」

新書なので入門編だが、日本仏教について世間で言われているのとは少し違う視点から、日本仏教の特質とは何か、なぜ日本にはこのような仏教が起こったのか、といった点が明解にわかるような本になる。語り口調で書いているので気軽に読んでいただければと思っている。

「聖徳太子 世間は虚仮にして」

これはライフワークといっていい作品。長く歴史小説を書いてきたが、日本の歴史の中では特筆すべき人物であり、その実在も疑われている伝説上の人物を、リアルに描くと同時に、時代の流れから浮き上がった孤高の人としてとらえている。ポイントとなるのは仏教の深い理解とそこから生じる絶望感。その絶望感にもかかわらず国の統一と平和の維持のために闘い続ける人物像は、まったく新しい聖徳太子像となっているはずだ。


新刊案内2014

「釈迦とイエス 真理は一つ」(集英社新書)発売中

「偉大な罪人の生涯 新釈カラマーゾフ」(作品社)発売中

「釈迦とイエス 真理は一つ」

現在の社会情勢が抱えている問題点を考慮しながら、その問題を解決するキーワードを、釈迦とイエスの言葉の中から探るという試みで、仏教とキリスト教についてのコンパクトな入門書になっていると同時に、二つの思想の中にある共通点があることは指摘する。こういう指摘はこれまであまりなされてこなかった着眼点なので、宗教というものの本質に迫る問題提起になるのではないかと思って書き始めた。原稿は去年のうちに出来ていたのだが、社新書は原稿が完成してから出版のラインアップに並べるという方式なので、あまりタイムリーなテーマでもない本書は、出版が送り、執筆から一年後に出版ということになった。

「偉大な罪人の生涯 新釈カラマーゾフ」(作品社)

わたしなりのドストエフスキー論を書きたいというシンプルな思いから出発した「小説によるドストエフスキー論」シリーズの第4弾。最初の「罪と罰」は原典を別の主人公を設定して書き換えることで原典の主人公の相対化をはかるという試みだった。「白痴」はドストエフスキーの創作ノートある廃棄された最初のプランに沿って作品を復元するという作業で、まったく新たな「白痴」を書くことになったのだが、「罪と罰」から「悪霊」への橋渡しとしての意味をもったまったく新たな創作ができたと思っている。「悪霊」は原典の前篇を書くというコンセプトで始めたのだが、前篇だけでは意味がないので、後篇にあたる原典の部分もそっくり書き換えることにしたので、長大な作品になってしまった。が、最も難解だといわれる作品が、きっちりとわかりやすいものになったと自負している。さて、今回は「カラマーゾフの兄弟」の「続篇」を書くことになる。ドストエフスキー自身が続篇を書くことを前提として書いた原典の中から、続篇のテーマを読み取って復元することになるのだが、すでにドストエフスキーの没年よりも長く生きている三田誠広がもっとすごいものを書いてやろうという野心のもとに書き進めることになる。まあ、長生きというのはどうでもいい。ドストエフスキーの死の直後に起こった皇帝暗殺事件、数十年後に起こったロシア革命、さらにその後の世界情勢といったものは、ドストエフスキーは知らないのにわたしは知っている。だからもっとすごい作品が書けるはずだと思っている。単にドストエフスキーの意志を嗣いで書くということではなく、文学というものの可能性を求めて、世界の謎といったものを小説という形で表現したいと思っている。作品は現在も執筆中だが草稿はできているので完成は目の前だと考えている。


新刊案内2013

「菅原道真 見果てぬ夢」(河出書房新社)発売中

「早稲田1968」(廣済堂新書)発売中

「数式のない宇宙論」(朝日新書)発売中


「菅原道真 見果てぬ夢」(河出書房新社)

菅原道真の生涯を描いた作品。知らぬ者のない人物であり、神として祀られていながら、この人物の生涯については知られていない。義のために生き、義のために死んだ儒学者の生涯を、親交のあった在原業平と2人の女(淑子と高子)の激しい情念の世界を絡めて描く。この時代(平安時代)の面白いところは、ファミリーロマンスが政治を支配することだ。従って、恋愛小説でありながら、政治小説、ということが可能になる。この2人の女性については『なりひらの恋』でも書いたのだが、今回、菅原道真を絡めることで、さらに恋と政治の関係が深く描けたように思う。

「早稲田1968」(廣済堂新書)

タイトルの数字は作者が早稲田に入学した年。学生運動のピークの時代であり、ビードルズの全盛期であり、社会が大きく変化していく時期だった。ベトナム戦争があり、資本主義にも社会主義にも限界が見え始めた時期だった。団塊世代が青春時代にさしかかって、若者文化が世界を変えていく時代でもあった。そういう時代背景の中での、ごく個人的なショートエッセーを書き綴ったもの。個人的な体験の先に普遍的な社会問題があるという、そういう時代の一つの証言として書き残しておきたいと思った。若者たちにあの時代の熱い空気を伝えたいと思って書き始めたのだが、同世代の人々には懐メロみたいなものと感じられることだろう。

「数式のない宇宙論」(朝日新書)

宇宙論は生涯のテーマだと思ってきたが、そろそろ集大成をしたいと思った。集大成というのは大きなことを書くのではなく、できるだけコンパクトに自分の世界観を示したいと思った。この新書サイズの本にはわたしのすべての思いがつまっている。宇宙とは何かというテーマを、数式をまったく使わずに、哲学用語でもなく、ごくふつうの日常語で語っていくというのは実はたいへんに難しい。これはチャレンジではあるのだが、わたしの人生もそれほど長くないだろうから、このあたりで決着をつけておきたいと思った。これを打ち止めとしてもう宇宙について語ることはないだろうと思う。これを読めば、宇宙とは何かということについて、専門の数学者や物理学者でない人にとって、可能な限りのイメージがもてるような本になっていると思う。


新刊案内2012

「新釈悪霊/神の姿をした人」(作品社)発売中

「夢将軍頼朝」(PHP文芸文庫)発売中

「超自分史のすすめ」(東京堂出版)8月下旬発売予定


「新釈悪霊」(作品社)

小説によるドストエフスキー論の第3弾。原典は奥深い思想をはらんだドストエフスキーの思想的なピークをなす作品だが、作品としては思わせぶりなところがあるだけで、その背後の物語については充分に描かれていない。それだけに謎めいていて魅力的な作品になっているのだが、その謎を解くのが今回の試みである。隠されたままになっている過去を説き明かし「前史」を書くことによって、ドストエフスキーの構想の全容を読者の眼前に展開する。4作からなるシリーズのうちでも最高峰となる作品となるはずである。


「夢将軍頼朝」(PHP文芸文庫)

「清盛」に続く文庫化の第2弾。ここには文覚と西行が登場する。その後、西行の本を2冊出すことになったきっかけとなる作品で、歴史小説というものに手応えを感じた記念すべき作品といえる。史実とフィクションとがほどよく混じっていて、書き手の想像力が一つの世界を作るという小説の本来の楽しさに満ちた作品だと思っている。今回、ゲラでいくつかの修正を施したので、自分の歴史小説の代表作の一つになったと感じている。


「超自分史のすすめ」(東京堂出版)

昨年、どこかの宴会で版元の社長と出会った。何か書いてくれと言われたので安請け合いしたのだが、すると社長と部長と担当編集者が自宅にやってきた。何を書こうかと話しているうちに、「自分史」という提案があったので、「ただの自分史」では面白くないので、「超自分史」というプランをこちらから提案した。「ただの自分史」というのは、履歴書の長いようなものであったり、ただの自慢話の羅列だったりするもの。これに対して、読者の胸を打つような、小説に近い自分史というものを提案したのが本書だ。同世代の人々に対する提案でもあるのだが、サンプルとしていくつか自分の体験を語ったので、わたしの「自分史」になっているところもある。


新刊案内2011

「平安朝の悪女たち」(PHP研究所)発売中

「哲学で解くニッポンの難問」(講談社)発売中

「道鏡ー悪業は仏道の精華なり」(河出書房新社)発売中

「実存と構造」(集英社新書)発売中!

「男が泣ける昭和の歌とメロディー」(平凡社)入稿済


「平安朝の悪女たち」(PHP研究所)

ここでは意図的にあるいは意図せざるやむなき事情で政治に関わってしまい、歴史を動かしてしまった女性を「悪女」ととらえ、奈良朝の光明皇后から鎌倉初期の北条政子までの女性たちの列伝を描くことで、それぞれのヒロインの数奇な運命を楽しんでもらうとともに、歴史というもののもっている構造的なものを読み取っていただきたいというのがコンセプト。そのとおりの作品になっているので、読者は目からウロコという気分になることであろう。


「哲学で解くニッポンの難問」(講談社)

創作ノートでは「老後の難問」というタイトルで考えていた。中身もそのまま。高齢者にとって切実な難問について、わたしが一刀両断にやや独善的に言いたい放題のことを言うというもの。かなり乱暴なところもあるが、論理が飛躍するところや、急に真面目になるところを楽しんでもらいたい。


「道鏡ー悪業は仏道の精華なり」(河出書房新社)

日本史上最も評判の悪い人物である道鏡を、「義の人」として描いた作品。これまでの歴史観をひっくり返すような人物像だが、こちらの方が史実に近いのではないかという確信がある。根拠はない。しかし既存の道鏡のイメージも後代の藤原一族によって捏造された風評というしかなく、道鏡の実像は永遠の闇の中に隠されている。一介の僧侶が最高権力者に昇っていく過程を小説として楽しんでいただければと思う。


「実存と構造」(集英社新書)

一種の文学論であるが、「実存」と「構造」という20世紀に一世を風靡した思考モデルによって文学を読み解き、そのことで読者にとって人生論として読めるようなものを考えている。思考モデルで何かが解き明かされることの面白さを読者に伝えたい。実存主義文学と構造的な枠組をもった作品を紹介したあとで、大江健三郎と中上健次を論じる。


「男が泣ける昭和の歌とメロディー」(平凡社)

書き下ろし随筆。さまざまな唄について言及しながら人生を語る随想集。言及する唄はまったくわたしの個人的な趣味によって選んだ。ひとりよがりといってもいいような本だが、味わい深い随想になったと自負している。楽譜付。


新刊案内2010

「仏教って何?」(講談社+α新書)発売中

「阿修羅の西行」(河出書房新社)発売中

「青い目の王子」(講談社)発売中

「なりひらの恋」(PHP研究所)発売中

「新釈白痴 書かれざる物語」(作品社)発売中


「仏教って何」(講談社+α新書)

これ一冊で仏教のすべてがわかる、というような本をこのサイズで書くのは至難の業だが、文学作品としての「大乗仏典」というポイントに焦点をあてることで、仏教の全体像を読者に伝える。読みやすくわかりやすいということをこころがけた入門書。付録として般若心経のコンパクトな解説もつけた。


「阿修羅の西行」(河出書房新社)

一昨年に出した「西行月に恋する」の続篇だが、前篇が恋愛をテーマとした青春小説であるのに対し、こちらは西行の後半生を描いた作品。源平盛衰記の世界を西行が目撃するさまをスペクタクル的に描くことで、小説としての面白さを保持しつつ、西行の無常観の本質に迫る。前篇とはまったく異なる趣向の作品なので、独立した小説として読んでいただきたい。


「青い目の王子」(講談社)

翻訳の「星の王子さま」、オリジナルの「海の王子」に続く児童文学の第3弾だが、今回は青い鳥文庫ではなく単行本として刊行する。それだけ編集部の評価が高いのではないかと作者としては自信をもっている。仏教説話のムードをかもしだしているけれども、作者のオリジナル作品で、神秘的な王子を主人公とした、冒険あり、恋愛あり、驚くべき悲劇ありという波瀾万丈の物語。最後まで読むと「何か深いもの」が読者に伝わるはず。これはわたしが小学生の頃、宮澤賢治の作品から受け取ったもので、これを次の世代の読者に伝えることがわたしの作家としての義務だと考えている。その意味では、作家三田誠広にとってエポックとなるような作品である。


「なりひらの恋」(PHP研究所)

在原業平の生涯を描いた恋愛小説。二条后藤原高子、および伊勢斎宮恬子との恋愛が中心の物語ではあるが、歴史的背景としてどろどろとした政治的抗争をおりこんでいる。ただの恋愛小説ではなく、ただの歴史小説でもない。太宰治生誕百周年でもあるので、まるで太宰治のような在原業平というコンセプトで書いた軽いユーモア小説でもある。中におりこんだ和歌もすべて軽くアレンジしてある。そこだけでも楽しめる作品になっている。


「新釈白痴 書かれざる物語」(作品社)

小説によるドストエフスキー論の第2弾。前回はべつの主人公を設定して、原典をべつの角度から見るという試みだったが、今回はドストエフスキーの創作ノートの冒頭に書いてある実現しなかったプランを復元する。主人公の白痴は原典ではキリストのようなピュアなキャラクターになっているが、本篇では「罪と罰」のスヴィドリガイロフから「悪霊」のスタヴローギンにつながる悪魔的なエゴイストとして白痴のキャラクターを設定する。もう一人、キリスト的なピュアさをもった白痴に似た人物を脇役として設定し、さらに主人公には原典にも登場する屈折した少年イッポリートを配する。原典とはまったく異なるオリジナルのストーリーが展開するのだが、ドストエフスキーがこの作品でとりあげたキリスト教の問題、死の問題、愛の問題を、へつの角度から掘り下げることによって、ドストエフスキー論であり、ドストエフスキー批判になるような作品を目指している。


新刊案内2009

「海の王子」(講談社青い鳥文庫)発売中

「原子への不思議な旅」(サイエンス・アイ新書)発売中

「堺屋太一の青春と70年万博」(出版文化社)発売中

「マルクスの逆襲」(集英社新書)発売中

「新釈 罪と罰 スヴィドリガイロフの死」(作品社)発売中


「海の王子」(講談社青い鳥文庫)

オリジナル児童文学。神が人であり、人が神であった時代の物語……という書き出しで始まる神話をもとにした物語。『古事記』や『日本書紀』に書かれている山幸彦の話だが、そこにさまざまな神話を折り込んで神々の曼荼羅を作っていく試み。その根底には戦によらず和によって国を治めるという思想がある。これは日本という国の思想であり、わたしの理念でもあるが、この理念を長大な物語群で展開したいと考えている。今回はその第1弾で、きれいにまとまった少年読み物になっていると思う。すでに第2弾も考えているし、長期的な戦略もある。


「原子への不思議な旅」(サイエンス・アイ新書)

多忙の中で時間をとって書いた物理学/化学の歴史の物語。ドルトンの原子論を中心として、ターレスやデモクリトスの古代ギリシャの自然哲学から、最新のクォークまで、ものすごい勢いで歴史を語る。前ページが4色刷りというサイエンス・アイ新書なので、図解や挿絵がカラーになっている。中学生くらいに、科学の面白さを伝えたいと思って書いたものだが、中学で習ったことを忘れた大人にも読んでほしい。同時に三田誠広という作家はこういうことが好きなのだということも知ってもらいたい。三田誠広ファン必読の書。


「堺屋太一の青春と70年万博」(出版文化社)

執筆に長い年月のかかった作品。堺屋太一さんはわたしの小学校の先輩で、実家は番地が十番くらいしか違わない。その縁で堺屋太一伝を書くことになったのだが、空海や西行を書くのとは違って、ご本人がまだ生存されているので、結末を書くわけにはいかず、青春時代に的を絞ることになったのだが、大阪万博、エネルギー問題、それに団塊の世代と、つねに時代の中心テーマと関わり続けた人物の青春とはいかなるものであったか、誰も知らない女性との思いがけない出会いのエピソードなど、不思議なストーリーが展開する作品になった。


「マルクスの逆襲」(集英社新書)

マルクスとは何だったというのがテーマだ。マルクス主義の解説書ではない。「資本論」など一行も読んだことのない若者たちが、なぜマルクスに洗脳され、命がけで闘うことになったのかという、わが青春の回顧録でもあるが、世界恐慌が進んでいるいま、マルクスとは何だったのかということを改めて問う意義は大きい。書き終えた途端に世界恐慌が起こったので、やや長い「あとがき」をつけたのだが、まさにタイムリーな本になったと思われる。


「新釈 罪と罰 スヴィドリガイロフの死」(作品社)

「小説によるドストエフスキー論」の第1弾。わたしはドストエフスキーを読むことで、作家としての人生を始めた。いずれドストエフスキー論を書きたいと思っていたが、気がついたら還暦になっていた。そこで一念発起してドストエフスキー論を書くことにした。ただの評論では面白くない。わたしは小説家だから、小説で勝負したいと思った。小説を書くことで、ドストエフスキーを分析し、解説し、批評する。どうしてそんなことが可能なのかということは、実物を読んでもらうしかない。今回は「罪と罰」。なるべく原典のストーリーをいじらずに、視点だけをかえて、原典を裏返して見るという作業を試みた。同時に、長大なストーリーの面白いところだけを抜粋してつなげたので、本物の「罪と罰」よりも密度の高いスリリングが作品に仕上がったと思う。原典を読んでいない人、読もうとしたけれども長すぎて読めなかった人に、ぜひ読んでもらいたい作品である。


新刊案内2008

「プロを目指す文章術」(PHP研究所)発売中

「西行 月に恋する」(河出書房新社)発売中

「僕って何(新版文庫)」(河出文庫)発売中


「プロを目指す文章術」(PHP研究所)

『文蔵』に2年間にわたって連載したもの。これまでにも「天気の好い日は小説を書こう」(集英社文庫)、「心に効く小説の書き方」(光文社)など、小説の書き方の本は何冊か出してきたのだが、これは決定版であり、上級者篇である。ただし上級者篇に限定してしまうと読者が限られてしまうので、初心者でも楽しめるように配慮したし、雑誌の連載なので、一般の読者でも楽しんでいただけるように、文壇ネタなども入れてある。笑えるところがいっぱいある読み物としても上質のものとなっている。連載は読者が広くなるのでいい意味で緊張して書いているし、限られた枚数の中にコンパクトに収めなければならないので、文章がひきしまっている。そういう意味でも、上級者が読むと、学ぶところの多い本だと思う。また、このホームページの読者は、創作ノートを読んでいるはずなので、三田誠広がいかにして小説を書いているかが見てとれるはずだが、この本を併せて読んでいただけると、創作の秘密といったものがのぞけるのではないかと思う。


「西行 月に恋する」(河出書房新社)

西行の物語である。空海、日蓮と、僧侶のシリーズを書いてきたが、今回は版元が変わっているので、趣向をかえて、恋愛小説としても読めるようにした。恋愛の果てに無常を感じて、悟りに向かう。そういう僧侶がいてもいい。空海や日蓮のような偉大な教祖ではないが、ある地点にまで到達した、聖人といっていい。というような理屈は抜きにして、これは一種の戦国絵巻である。とにかく面白い小説になっている。同時に、ロマンとは何かということの、作者による一つの典型が示されている。ヒロインに出会うまでに、すでに恋してしまっている。言葉による噂というものだけでも、人は恋に落ちるのである。作品全体の半分の少し手前まで、ヒロインの噂だけでストーリーが進行する。それだけでも話が盛り上がるところがこの作品の眼目である。そして、ヒロインと出会ってからは、一気に破局に進んでいく。この作品には、長大なエピローグある。ヒロインが亡くなってから、エピローグとしての保元の乱があるのだが、ここで主人公西行が大活躍する。ヒロインの遺言によって、戦を阻止しなければならない。しかし戦が起こってしまうことは歴史に記されている。どうしても起こってしまう戦を、いかにして止めようとするのか。そしていかにして、戦は起こってしまうのか。そのあたりのスリリングな展開を楽しんでいただきたい。


「僕って何(新版)」(河出書房新社)

いわずとしれて三田誠広の芥川賞受賞作である。デビュー作は高校時代に書いた「Mの世界」だが、本になったのはこれが最初なので、実質的なデビュー作でもある。新版といっても中身が変わっているわけではないが、大崎善生さんの見事な解説文が付いているのでぜひ読んでいただきたい。


新刊案内2007

「謎の空海」(河出書房新社)発売中

「ダ・ヴィンチの謎、ニュートンの奇跡」(祥伝社新書)発売中

「はじめての宗教 キリストと釈迦」(講談社+α文庫)発売中

「般若心経の謎を解く」(PHP文庫)発売中

「自分ってなんだろう/子どもだって哲学A/共著」(佼成出版社)発売中

「団塊−再生世代の底力/共著」(心交社)発売中

「日蓮」(作品社)発売中

「夫婦って何? おふたい様の老後」(講談社+α新書)発売中


「謎の空海」(河出書房新社)

一昨年暮れに発売し、去年8版まで出た「空海」(作品社)の解説書のようなものだが、むしろ小説というものになじみのない読者に、こちらの方を先に読んでもらって、空海とはどんな人物なのかを理解していただき、その上で小説の読者になっていただきたい、というようなコンセプトで書いた本。わたしの小説はあまり売れない。解説書や入門書のようなものを書くと売れる。小説が下手なのだろうと思っているが、解説を読みたいという読者が多いことも事実だろう。わたしは小説家なので小説を読んでほしいのだが。この解説書は明解である。空海という驚異的な人物の謎を一つ一つ解明してあるので、これから四国の巡礼に出ようという人にもぜひ読んでいただきたい。


「ダ・ヴィンチの謎、ニュートンの奇跡」(祥伝社新書)

ダ・ヴィンチからニュートンへの科学の歴史をたどりながら、宗教と科学と密接な関係と対立とをドラマチックに描く。宗教と科学は対立するものと考えられることが多いが、わたしの見るところでは科学は宗教の一部であり宗教そのものであるといってもいい。とくにグノーシス(認識)派と呼ばれる神秘主義者たちにとっては、科学の探求が神の領域に迫る宗教的な境地の探索のための修行でもあった。ダ・ヴィンチもニュートンも秘密結社の総長であったといわれている。映画「ダ・ヴィンチ・コード」に出てきた神秘主義と科学の関係を、より深く、独自の視点で掘り下げた本で、読者の人生観を変えるような新たな世界観を提出できる作品になっている(と思う)。


「はじめての宗教 キリストと釈迦」(講談社+α文庫)

昔、講談社から出した「英雄伝説イエスと釈迦」の文庫化。三田誠広の宗教に関する著作の中で最も初期のものといっていい。それだけにみずみずしい感性で宗教というものについて考察している文体が輝いている。単なる解説といったスタンスではなく、文学的な情熱をからめて宗教の本質に迫っているところが、若書きではあるが新鮮である。


「般若心経の謎を解く」(PHP文庫)

ネスコから出した三部作の文庫化第三弾。これを読むと仏教とは何かがきれいにわかると評判の書。とくに「空」とか「般若」という概念がすっきりわかるようになっている。


「自分ってなんだろう/子どもだって哲学A/共著」(佼成出版社)

五人の共著で、子供向きの哲学シリーズの一冊。わたしの担当は文学なので、中学生が読書によって自我にめざめるといったコンセプトで短い原稿を書いた。


「団塊−再生世代の底力/共著」(心交社)

共著が続く。旧い友人の作家、岳真也との対談をまとめたもの。団塊の世代の生い立ちから青春時代について語った雑談であるが、構成の若月祐二さんと担当編集者の労苦によって、さまざまな情報のつまった面白い本に仕上がっている。


「日蓮」(作品社)

久々の長篇。「空海」に続く歴史思想小説。日蓮はつねに反体制を貫いた人物である。その点では全共闘運動にも似ているが、「法華経」に対する絶対の信頼を核に一歩も引かずに歴史の中を生き抜いた人だ。そのため弟子たちから熱狂的な信頼を受けた。とくに外敵の侵略を予言し、実際に蒙古襲来の危機が迫ったことから、執権北条氏が注目するところとなり、権力の中枢にも近づいていく。そのあたりは激動の権力ドラマと交錯することになる。歴史のうねりと永遠の思想とがクロスオーバーする瞬間のダイナミズムを描いたつもりだ。


「夫婦って何? おふたり様の老後」(講談社+α新書)

数年前に講談社から出した「夫婦の掟/妻に嫌われない方法」の熟年版だが、「団塊老人」で書いたことも混ぜて、まったく新たに書き下ろしたもの。団塊の世代のサラリーマンがすべて定年になって在宅となると、そのままでは多くの主婦が亭主在宅症候群になってダウンする。夫も自宅でごろごろしているとメタボリック症候群になる。団塊の世代という巨大なかたまりの高齢者がドッと入院すると、病院がパンクするし、医療制度も介護制度も崩壊し、この国が滅びる。それを防ぐには、高齢の夫婦が仲良く元気に暮らせるような、良好な夫婦関係を築くしかない。夫婦が仲良く暮らすというのはささやかなことのようだが、実はこの国の根幹を支えることになる。その意味で、これは世の中に警鐘を発する書であるとともに、夫婦円満の具体的なノウハウが書かれたバイブルのような書である。


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