「日蓮」創作ノート4

2007年1月

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01/01
正月。妻と嫁さんは初日の出を見たようだ。この仕事場からは浜名湖の対岸の舘山寺温泉の向こうから日が昇ってくる。こちらは熟睡していた。起きたのは昼近く。妻、次男夫婦と、四人で新年を祝う。テレビでサッカーを見る。劣勢の浦和が勝ったの感動的だった。主力選手がほとんどいなかったのに、ブッフバルトの最後の試合を優勝で飾った。夕方、近所の寺院まで妻と散歩。「日蓮」は少し進める。父親と剣の打ち込みをする場面。ここは重要。父親はここしか活躍の機会がない。日蓮は武士の子息だから、武術のたしなみがあったはず。法難と呼ばれる生命の危機を何度も乗り越えている。穏やかな正月。仕事も着々としている。去年はスペインにいて、長男の家で宴会をやった。いい思い出だが、日本の正月の方が落ち着く。

01/02
次男と嫁さんは四日市に帰っていった。われわれは別荘のセンターがサービスでやっている餅つきの列に並んで餅をゲット。これが昼ご飯。あとはひたすら仕事。本日は学生の宿題を半分見る。ラグビーは早稲田圧勝。しかし前半の途中までは押されっぱなしで危なかった。箱根駅伝はもとから期待していなかったが、まあ頑張った方だろう。気になっていたフットボールの結果をネットで調べる。ジャイアンツは勝っていた。ジェッツも勝ったのでニューヨークはダブル進出だ。夜中、そのジェッツの試合をテレビで見る。このチームはダメだ。で、これから始まるプレーオフの予想。コルツとジャイアンツが勝ってマニング兄弟の対決ということになったらすごいが、ジャイアンツもそこまでは行かない。コルツも今シーズンの後半戦のもたつきを見ていると期待はもてない。するとペイトリオッツなのかな。セインツには頑張ってほしい。あと往年の人気チーム、カウボーイズにも期待したい。

01/03
学生の宿題、完了。思っていたより量が少ない。ということは、来週の授業でドッと出てくるのではないか。その次の週末はかかりきりで見ないといけないだろう。あと2回ずつの授業で、合計15年に及ぶ大学の先生の仕事が終わる。まだ卒論もあるのだが、宿題の作品を見るのもあとわずかだ。心をこめて読みたいと思う。

01/04
いつもは義父母と正月をともにすごすのだが、今回は義母の体調が悪く来られなかった。そこでわれわれが大阪へ行くことにした。午前10時に三ヶ日発。多賀まで運転して妻と交替。午後2時に川西着。大阪に帰る、と言ってしまうけれども正確に言うと兵庫県川西市だが、大阪のベッドタウンといっていい。大阪へは電車一本で行ける。ただし大事故があった尼崎を通ることになるのだが。阪急電車もあるのでこちらの方が梅田に出るには便利だ。義父母は元気だった。夜には妻の妹夫婦も来て、近所の中華料理屋へ行く。義弟は関西大学の教授。義弟といっても年齢はわれわれと同じだ。ひまを見て「日蓮」も進めている。法華経の説明が必要。法華経という経典の内容がわかっていないと、日蓮の内的ドラマが見えてこない。早い段階で説明が必要だ。京で修行した日蓮が安房の清澄寺に帰ってきた父母と会った直後の数日間、堂にこもって瞑想に耽る。ここで思想的ドラマを展開する。正月早々、かなり理屈っぽい領域に入ったがいい気分だ。手応えのあるものを書いている。正月に雑文など書きたくないから、今年は幸先がいい。去年はスペインで青春小説を書いていた。それはそれで充実した気分だったが。

01/05
一泊しただけで三ヶ日に戻る。今回は東名ではなく、近畿自動車道、西名阪、名阪国道、東名阪、伊勢湾道、東名と乗り継いで三ヶ日へ。真ん中がタダの道だが、少し遠回りになるし、道路を乗り継ぐと割高になる。サラリーマンをやっていた頃、鈴鹿で取材をしていた仲間と伊賀上野まで遊びに行ったことを思い出した。忍者屋敷で忍者を見てから、茶店で忍者ソバというのを食べた。ただの生ソバかと思ったら途中でぱっかりテンプラが浮かび上がってきた。ソバの下にテンプラを隠してあるのだ。それで忍者ソバということらしい。四日市のあたりを通る。次男の嫁さんの風邪は治ったか心配。妻がメールを送ったが反応なし。さて、三ヶ日に帰ってひたすら仕事。日蓮の最初の説法。その日の朝、昇る朝日をみて南無妙法蓮華経と唱えるシーンが感動的だ(書きながら自分で感動する)。

01/06
Tさん(大工さん)が遊びに来る。彼は92歳の父親を一人で介護している。大変な労苦である。大工さんだが親の跡を継いでミカンの栽培もしている。これも大変である。それに比べてわたしのやっていることは、まあ、労苦というほどのことはない。学生の下手な小説を読んでいるとガックリすることもあるし、著作権関係の会議に体を運んでいく時に疲労を覚えることもあるが、大したことではない。労苦といえば「日蓮」を書くのはやや苦しい作業ではあるが、これは楽しみでやっているので、労苦ということはない。日蓮とはいかなる人物かという興味がある。それは自分で日蓮になってみるしかない。そういうロール・プレイング・ゲームを楽しんでいるのだ。さてその日蓮は第一の法難に遭遇する。これは四大法難ではないのだが、その序の口みたいなもので、青年時代をすごした安房の清澄寺から追われることになる。この時、地頭東条景信との衝突があって、身の危険を覚えるのだが、さて、地頭はどういう権利で日蓮に危害を加えようとするのか。日蓮は青年時代に地頭と対立しているのだが、非合法な暴力を加えたわけではないので処罰の対象になるわけではない。浄土教を否定したというのは言説であるし、言論弾圧をする権威は地頭にはない。単に自分の信仰を否定されて頭にきた、ということなのだろう。ただ放置すると寺の若い学僧を率いて反乱を起こすおそれがあったことは確かで、そういう意味で、事前に弾圧したということかもしれないが、そういう権利が地頭にあるのか。泣く子と地頭には勝てぬなどというから、地頭は何をしていもいいのかもしれない。歴史小説を書いていると、わからないことがたくさんある。わからないことがあっても学者ではないから、自分で古文書を読んで調べるといったことはできない。せいぜい資料にあたるとか、百科事典を開くとか、その程度のことだ。日蓮については「日蓮辞典」という便利な本がある。しかし地頭のことはわからない。わたしのパソコンには小学館の百科事典がインプットされているので、随時参照する。わたしは最近の小説には参考文献のリストを出していない。何を参考にしたのか自分でもわからなくなることが多いし、読んだ本のタイトルを並べるのも何だか虚しい感じがするからだ。小説は嘘を書くので、参考文献に挙げるとかえって迷惑かもしれないという思いもある。わからないことがあっても、わからないとは書かない。動かしがたい事実だという筆致で乗り切ってしまう。空海は空を飛びそうな人物であるが、日蓮は空は飛ばない。リアリズムが必要である。嘘をつくのも慎重に配慮しないといけない。昼過ぎ、都田のカインズホームへ行く。三宿にいると、この種の施設(スーパーとかホームセンター)に行くことはない。三ヶ日に行くと、頻繁に行く。妻と二人で行動することが多い。大学とか著作権とかの仕事がないので、気分転換に妻についていくのだ。この仕事場を建てた頃は、わたしの方が運転がうまかったので、どこへ行くにもわたしが運転していた。三宿と違って、車がないとどこにも行けない。しかしいまは妻の方が運転がうまいので、わたしは乗っているだけだ。風呂場のコーキングが一部剥げていたのでコーキング材を買う。帰って補修。よく見ると床と壁の接点が全部いかれていたので、けっこう時間がかかった。夜中、風が強くなる。この仕事場は風の音がうるさい。ふだんでも風の音は強いのだが、本日は台風なみに発達した低気圧らしい。風の音で眠れない。夜中に起きて少し仕事をする。

01/07
日曜日。昨夜は風の音で眠れず朝まで仕事をしていた。朝になってから横になったがほとんど寝ていない。この三ヶ日の仕事場では雨戸を閉めずに寝ているので、明るくなると起きてしまう。昔、犬がいた頃には、暗いうちから起こされた。その習慣で、仕事場では明るくなれば起きることにしている。台風並みの低気圧は東北に去ったはずなのだが、まだ風が強い。その風の中を散歩したが、いつもは穏やかな猪ノ鼻湖が、台風情報でいつも出てくる用宗海岸みたいな荒波を打ち寄せていた。

01/08
成人の日だそうだが、成人の日というと1月15日だと頭の中に刷り込まれている老人にとっては、8日の成人の日は受け入れがたい。とにかく三ヶ日にいると曜日の感覚がなくなる。ひたすら日蓮。日蓮がいよいよ布教活動を始めた。すでに100枚は超えているのだが、日蓮が穏やかすぎる。演説する時はもっとファナチックでないといけない。しかし感情的になっては浅くなるのでそのあたりが難しい。三宿に戻ると「キリストと釈迦」の文庫本のゲラが出てくる。「般若心経の謎を解く」のゲラもそのうち出てくるだろう。「ダ・ヴィンチの謎を解く」の再校も出る。某有名作家伝のインタビュー資料もそのうち出てくる。これらの作業が入るので、「日蓮」の執筆はそのつど中断されることになるのだが、その機に何度も最初から読み返して文体を調えるとともに、主人公のキャラクターを調整したい。あとで調整できるので、いまはとにかく毎日、何も考えずに黙々と前進したい。何も考えないと日蓮は自分に近くなってしまう。それはまずい。自分が日蓮になる、というふうでないといけない。キャラクターの見直しが今後の重要課題になるだろう。三ヶ日での生活も今日で終わり。次男夫婦と会い、大阪へも行った。家族というものは大切だ。しかし去年の正月はスペインで過ごしたことを思えば、今年の正月は穏やかで、仕事もできた。いい新年のスタートである。三宿に帰るとまた日常が始まる。大学はあと2週間。それで終わりだ。まだ卒論を読む作業があるが、2月になるとすべての作業から解放される。日蓮に集中できる。

01/09
三宿に戻る。家が冷えていて寒い。「キリストと釈迦」のゲラ、届いている。まだ開けていない。明日から大学。宿題は正月に見た。明日、ドッと出てくるはずの宿題の量が問題。木曜の二文の方が量が多そうだ。今週末は超ハードのピークになる。年明け早々、早くもピークが来る。「謎の空海」見本できたとのこと。とりあえず送ってもらうことにした。

01/10
大学。年が始まったという気がした。帰ってからも学生の宿題を見る。1コマぶん完了。こうやって一つ一つ仕事を片付けていかないと先へ進まない。

01/11
取材一件。先方の時間の都合で、二文の授業の直前に研究室で取材を受ける。著作権問題。二文の授業も久しぶり。第二文学部はこの2月の入試では募集をしない。いまの一年生でおしまいである。わたしも今シーズンで大学を辞めるので、残念だが、二文の学生たちとはお別れである。もちろん一文の学生ともお別れであるが、こちらは文学部そのものは存続するし、文芸専修の機能の一部は新しい文化構想学部に引き継がれることになっている。それにしても文芸専修というものはなくなる。まことに残念なことだが、大学の判断だから仕方がない。まあ、わたし自身についていえば、中断期間を除いても、正味15年も教えてきた大学だけに、さまざまな思い出がある。この二年についていえば、二文の宗教について話ができたことが、よい思い出になった。このテーマで受講者があるかと当初は心配したのだが、多くの受講者があり、しかも熱心に聴いていただいたので、話していても楽しかった。本日は法華経の話。この話も熱心に聴いていただけたし、時々笑いもとれたので、宗教というテーマに関心をもつ人々が少なくないということを実感として感じることができた。が、ちょっと疲れた。大学の講義もあと1回だ。がんばりたい。本日、「謎の空海」の見本届く。美しい装丁で感動する。中身にも自信がある。

01/12
「ダ・ヴィンチの謎」の再校が届いた。まだ「キリストと釈迦」のゲラを読み始めたばかりなのに。本一冊ぶんの原稿を書き終えると、それで一つの区切りがついたと思い、ただちに次の仕事に取りかかるのだが、忘れた頃にゲラが出てくる。原稿を書くスケジュールは頭の中に入っているのだが、ゲラがいつ出るかはわからないので、突然、スケジュールがタイトになる。とくにいまは学生の宿題で身動きがとれない。本日は取材一件、宴会一件。「日蓮」も毎日少しは先に進めたい。夜中は何をすべきか。段取りを考えるだけで時間をとられてしまう。
さて、自宅にてNHKの取材。ピアノ曲について。ベートーヴェンとメンデルスゾーンとラヴェルについて語る。音楽について語るのは楽しい。夜は著団協の新年会。今年は著作権保護期間の延長という具体的なテーマがあるので、出席者と打ち合わせが続く。だらだらと会議をするよりも、こういう席で話し合った方が結論が出やすい。有意義な会であった。

01/13
土曜日。今週は水曜と木曜の大学、金曜は宴会というだけのスケジュールだったのだが、何だか疲れた。正月を三ヶ日の仕事場ですごして、のんびりしていたので頭の回転がまだ充分ではない。本日は妻と下北沢まで散歩。友人の弁護士がわたしの散歩コースに引っ越すと年賀状に書いてあったので、場所を確認する。暴力的なやつなので不意に道で出会う可能性があり、用心しないといけない。妻の友人も最近そのあたりに引っ越したというので確認したら、至近距離であった。わたしの友人と妻の友人と、全然面識も関係もない人同士が至近距離に住むというのも奇妙だ。本日は「日蓮」を少し。それから学生の宿題1クラスぶん。あと2クラスぶん残っている。火曜は夜に用があるので、明日と明後日に読まないといけない。

01/14
日曜日。とりあえず「日蓮」を少し進めてから学生の宿題。ノルマの1クラスぶんは果たす。あと1クラス残っているが、山は越えた。

01/15
月曜日だが公用はなし。フットボールのことを書いておく。わたしがフットボールというのはサッカーのことではなく、アメリカのアメリカンフットボールだ。日本のアメフトというのはただの真似事で本物のアメリカンフットボールではない。草相撲と大相撲くらいのレベルの差がある。
去年はピッツバーグ・スティーラーズをひたすら応援していたので、スーパーボールまで進んで大満足のシーズンであった。今年はそのスティーラーズがプレーオフにも残れなかったので、狙いはマニング兄弟の対決というところにおいていたのだが、早々と弟のいるジャイアンツが負けてしまった。兄のコルツはディヴィジョンのファイナルに残ったが、キック5本で15−6で勝つという変な勝ち方で、マニングはまったくダメだったみたいだ。みたいだというのは、我が家にはCSが入っていないのでまだ試合を見ていない。ネットで結果だけを知っている状態だ。残りの3試合はすべて3点差という接戦だった。一昨年のハリケーンで打撃を受けたニューオリンズ・セインツが勝ったのは喜ばしい。ということで、セインツにスーパーボウルに進んでほしい。わたしはブッシュ(ひどい名前だが)という新人ランニングバックを支援している。もう1試合はコルツとペイトリオッツだが、兄だけになったがコルツに頑張ってほしい。わたしはペイトリオッツのベリチックという暗い監督が好きなのだが(ヤンキースのトーリも好きだ。昔の巨人の川上哲治が好きだった。監督は暗い方がいい)、ペイトリオッツはあまりにも強すぎるので、コルツのマニングの復活を期待したい。コルツはオフェンス中心のチームだったはずだが、プレーオフに入って急にディフェンスが強くなった。こういうふうにフレーオフに入ってから変貌するチームは勢いがある。しかしディフェンスが目立つということは、オフェンスが目立たないということだから、必ずしも昇り調子とはいえないかもしれないが、ビナティエリという切り札のキッカーがいるので、こつこつと3点ずつとっていけばベリチックのペイトリオッツに勝てるかもしれない。キックばかりは監督がいくら偉くても計算できないからだ。それにしてもビナティエリはすごい。ポストシーズンの連続ゴール成功の新記録ということだが、こういう記録更新中の選手は、1回失敗するとガクッとくることがあるので、最後まで連続成功を続けてほしい。
さて、本日も学生の宿題。これは授業の最終回に返却しないといけないので1週間で見るというリミットがある。最終回に宿題を提出する学生もいるのだが、これは成績表の提出日までにチェックできればいいし、指導する必要がないから、評価だけすればいい。ということで、いまやっている作業が大学の先生としての最後の山だ。あと卒論が20篇あるのだが、これも評価するだけなので問題はない。
ところで、これまで「ダ・ヴィンチの謎」と呼んできた作品(祥伝社)は、編集部で検討した結果『人間はいかにして「神の原理」を解明したか』というタイトルにするそうだ。これは内容がそうだから正攻法のタイトルなのだが、もしわたしがこのタイトルで書く前に編集部に提案したら、とても採用されなかっただろう。ダ・ヴィンチのブームにあやかって、ダ・ヴィンチに絡めて話を展開したのだが、このタイトルで売れるのかなとも思う。しかし内容には自信があるので、このタイトルで手にとってくださる読者との出会いに期待したい。

01月16日
次男の嫁さんと妹が来たので近所のレストランでランチ。夜はJ−WAVEのラジオ出演。生出演なので夜、家を出る。妻はスペイン語講座を受けに行っているので地下鉄で行く。よく車で前を通る六本木ヒルズだが、電車で行くのはけっこう大変だ。わたしは閉所恐怖症(というか閉所に二人きり恐怖症)なのでタクシーには乗らない。そもそも六本木ヒルズの中に入ったことがないので、田舎のおじさんみたいにうろうろした。ICカードみたいなものがないと入れない。迎えの人がカードをもってきてくれたのだが、どのあたりにタッチすればいいのかわからない。しかしまあ、中に入ればふつうのラジオ局だろうと思っていたが、スタジオもNHKやFM東京と違って、なかなかおしゃれなものであった。担当者と雑談して、そのままの雰囲気でスタジオに入って雑談を続けた。まあ、それでよかったのではないか。さて、これからフットボールを見ながら「日蓮」に取り組む。しばらく出ていなかった相棒の成弁がようやく戻ってきた。これはホームズのワトソン、菅原道真の紀長谷雄、空海の橘逸勢みたいなもので、欠かせないキャラクターだ。成弁が出てくると、これからは話がテンポよく進むだろう。少年の日朗も出てくるが、これもしばらくは本名の吉祥麿で押していく。何しろ日蓮の弟子はみんな「日○」なので、なるべく本名や旧名を使わないと区別がつかなくなる。

01月17
大学。第1文学部の最終講義。5年前にも最終講義をやった。今回はオマケで2年間やったので、とくに感慨はない。ただ5年前と違って、著作権の仕事も自分の仕事も忙しくなっているので、やっと終わったという静かな喜びはある。例えば本日は点字図書館の理事会だったが参加できなかった。大学がなくなるとスケジュールがかなり楽になる。帰宅して本日提出された宿題、レポートをチェック。点数もつける。これで卒論を除き、第1文学部の作業はすべて終わった。成績を事務局に提出する書類に転記する作業は残っているが。夜中、何をすべきか迷ったが順番なので「キリストと釈迦」のゲラを見る。20年近く前に書いた本なので少し距離があるが、若々しい筆致なのでいい文章になっている。ただ間違いも多いのでチェックしないといけない。「ダ・ヴィンチの謎」、営業部との話し合いで、やっぱり「ダ・ヴィンチの謎」にしたいとのこと。わたしはどちらでもいいが、売れ行きとかインパクトを考えるとダ・ヴィンチははずせないかなとも思う。

01月18
「キリストと釈迦」のゲラを見たあと、大学。第二文学部最終講義。第二文学部そのものが今年から募集を停止しているので、長くお世話になった二文にも別れを告げる。新しい文化構想学部というのが夜間の授業を引き継ぐことになっているが、二文にあった文芸と演劇と美術を包含した表現芸術系という専修の火が消えるのは残念だ。いつもどおり妻の車で帰る。この二年間の疲れがドッと出た感じだが、休むわけにはいかない。リミットがあるので、「ダ・ヴィンチの謎」のゲラを読み始める。これは自分にとってエポックとなる本で、単なる解説とか入門書ではなく、自分の思想というものがこの本には込められている。週末は短い原稿が2本あるのでとても忙しい。

01月19
金曜日。本日は文藝家協会の新年会。理事会でもあるので必要なことは話さなければならないが、これまでの実績があるのでお任せいただくということでとくに反対意見も出なかった。さて、この週末が今年の山かというくらいに大変な状態になっている。しかし忙しいというのは楽しいもので何とか乗り越えていきたい。
明け方までかかって「ダ・ヴィンチの謎」の再校読了。初校で綿密に見たはずだが、修正すべきことがいくつかあった。読みながらいつも思うことだが、これをもう一度書けと言われても書けない。それくらいレベルが高い内容である。それでいて読みやすい文章になっている。奥深い本になった。タイトルもダ・ヴィンチに戻したので、読者と出会えるのではないか。読み終えた勢いで「まえがき」も書く。いい感じの文章になった。

01/20
母のところに行った帰りに合唱団の練習に参加する段取りだったが、ケータイを持って出るのを忘れたため、練習場所変更の通知が入らず参加できなかった。しかし明後日締切の仕事があったので、早く帰れてよかった。母の元気な顔が見られて何よりであった。出かける前に短い文章を一つ、帰ってからまた一つ。「キリストと釈迦」のゲラもタイムリミットが迫ってきた。学生の最後の宿題もあるし、卒論も読まないといけない。今週が忙しさのピークだと思っていたが来週もピークは続く。「日蓮」。成弁が戻ってきたところで中断しているが、頭の中ではすでに動いているので、すぐに再開できる。

01/21
日曜。下北沢方向に軽く散歩。PHPの「文蔵」の連載完了。「キリストと釈迦」のゲラも完了。ようやく「日蓮」に戻れる。

01/22
月曜。本日は自宅で産経新聞の取材と祥伝社の担当者との打ち合わせ。取材は著作権問題。つねに話していることを話すだけ。祥伝社は「ダ・ヴィンチの謎」の再校チェック。再校だから直すところはほとんどない。これですべての作業が終わった。タイトルは結局「ダ・ヴィンチの謎、ニュートンの奇跡/「神の原理」はいかに解明されてきたか」という長いものになった。とにかく「ダ・ヴィンチの謎」だ。ダ・ヴィンチやニュートンが神秘主義者であり、科学の進歩は神秘主義と不可分であったことを読者に伝えたい。このことで、宗教と科学を対立したものと考え、宗教の時代が終わっていまは科学万能の時代であるという通俗的な世界観をひっくりかえしたい。本当に対立しているのは宗教と科学ではなく、神秘的な神の領域と通俗的で凡庸な領域なのだ。たとえばカミオカンデでニュートリノを検知する装置は、いわば神とのコレスポンダンスなのだ。野辺山の電波望遠鏡は、宇宙に浮かんだジヨットも同様である。ニュートリノやクオークについて語ることは神について語ることに等しい。こういう言い方をすると読者は誤解するかもしれない。この本では、単にダ・ヴィンチからニュートンまでの歴史を語っているだけだ。バトンタッチする人々としてガリレイ、デカルト、パスカルも出てくる。以前に出したPHP文庫の「天才科学者の奇跡」と違うのはただの歴史ではなく、神とのコレスポンダンスの歴史を語っていることだ。映画「ダ・ヴィンチ・コード」をやや意識しているが、この映画の通俗性を打破する本当に深い内容の本が書けたと思う。

01/23
火曜。本日は公用なし。「日蓮」を進めたいところたが、学生の宿題が少し残っていたので片付ける。成績のチェックも終わった。まだ事務室から用紙を送ってこない。これ、教員室のボックスに入っているのかもしれない。まあ、卒論の口頭試験の日でもいい。「日蓮」は執権北条時頼が出てくる段取りになったので、これから勉強。細かいことはそのつど勉強するという泥縄方式である。日蓮の生涯についても概略は頭の中にインプットしているが(たとえば伊豆に流され、故郷の安房で大けがをし、佐渡に流され、身延で晩年を過ごし、池上で入滅するといったこと)、細かいことはあえて調べていない。先がわかっては面白くない。これからどうなるのだろうと書き手自身がスリルを楽しみながら書かないと面白い小説にならない。ところで北条時頼。日蓮の主著「立正安国論」は時頼に読ませるために書いたものだ。だが時頼と日蓮は史実としては対面していない。しかし小説だから、何とか対決させたい。ここをどのようにクリアーしていくかが楽しみ。

01/24
昨日の夜中はフットボールの再放送を見ていた。月曜のリアルタイムの放送は、昼過ぎに起きて、終わりのところだけを見た。もう同点になっていたが、改めて最初から見ると最大18点差をコルツが逆転したのだから、すごい試合だった。わたしはコルツを応援している。スーパーボウルの相手がセインツだとどちらを支援すべきが迷うところだが、ベアーズだったのでよかった。セインツもよく頑張ったし、新人のブッシュ(何度も言うが名前で損をしている)も1回だけだが、80ヤード以上のパスキャッチでタッチダウンして見せ場を作った。それにしても、コルツとペイトリオッツの試合では、タッチダウンのゾーンでファンブルがあってデブのラインが押さえるという場面が2回もあった。結果は1対1だから勝敗には影響なかったが。それからコルツでデブのラインマンをフルバックのところに起用して、クォーターバックをガードするのだろうと思ったら、そのデブにパスをしてタッチダウンというのがあった。全然関係ないがジャイアンツがイーライ・マニングの代わりにデブをクォーターバックに起用するという場面があったが、自分で持って走るということが誰にも予測できる体型をしていた。時にデブが走るというのが、フットボールの醍醐味である。
本日はジャスラックで著作権の会議。いつものように往復歩いたのでいい運動になった。本日の会議はわたしが「議長」ということになっているので疲れた。明日もジャスラックで記者との懇談会がある。ジャスラックの社員になったみたいだ。

01/25
ジャスラックで記者会見。充分に説明できたので、ご理解が深まったと思う。終わってからけやきホールの隣で懇親会。自前でパーティーができるのはいいなあ。文藝家協会も文春に間借りしているので文春の施設で会議や宴会はできるのだが。さて、今週の公用はこれで終わり。週末は自分の仕事に集中できる。短い原稿が2件。卒論はぼつぼつ読み始めた。あとは「日蓮」に集中できる。そろそろ大地震が起こって、立正安国論を執筆することになる。気分が盛り上がっていくところで一つの山場だ。

01/26
金曜日だが公用がないので週末の気分。この週末にしなければならないこと。卒論を20編読む。雑文2件。あとは「日蓮」に集中できる。とりあえず調子が出ているので「日蓮」。ようやく2章が終わった。まだ全体の何パーセントくらい来ているのかはわからない。400字でいうと150枚くらいのところ。まだ序盤だ。

01/27
土曜日。甥が来ている。甥というのは妻の妹の子息。東大の大学院だが天文学なのでふだんは野辺山の電波天文台にいる。もと次男のいた部屋を貸しているので東京で用があると泊まっていく。ネットを見る必要がある時はいま使っているパソコンを使うのだが、彼としては使い勝手がよくなかったようだ。光ファイバーを直結しているだけなので別の場所で作業ができない。ということで、甥は小さなローターを買ってきてとりつけてくれた。これはコンセントみたいなもので、デスクトップをつないだままで別のパソコンを接続できる。甥はケーブルも用意していて隣の部屋で作業を始めた。便利なものだ。直結だとパソコンを終了すると接続も切れてしまい、起動する度に接続する必要があったのだが(かなり時間がかかったし、時として原因不明の接続不能になることがあった)、ルーターを入れるとそういう手間が要らないようだ。

01/28
日曜日。雑文一件。卒論すべて読み終える。「日蓮」は2章の終わり、地震などの災害の描写が少ないので追加。流れがよくなった。

01/29
月曜日だが公用なし。今週は明日の火曜日と木曜日がハードだ。明日は著作権分科会のあとでNHKに回る。木曜は卒論の口答試験。卒論の評価は終わった。同じ日が締切のふだんの授業の採点簿も記入を終えた。忘れ物がないように荷物も作った。明日のNHKの「ブックレビュー」の本もバッグに入れた。本日は「日蓮」をやるだけ。これからは「日蓮」に集中できる。

01/30
本日が今月の山だ。午前中は著作権分科会。今回は今シーズンの最終回なので、シーズンのまとめの報告を承認するのが主な議題だが、自由討議になった時に、保護期間延長の問題のだめ押しをやる必要があった。タイミングよく先に問題提起する委員があったので、それに応える形で先の協議会で決めたことを報告し、こちらの提案も話すことができた。そのあと議論が弾んで何度も発言を求められたが、これだけさまざまな意見が出れば、文化庁も次のシーズンの主要議題にしないわけにはいかない。すでに議題にしていただけそうだという感触は得ていたのだが、これで確実になった。ということで自分の役目は果たせた。
この会はいつも弁当が出ていたのだが、今回からなくなったのは、予算が出なくなったのか。べつに弁当がワイロにあたるというわけでもないだろうが。本日はNHKへ回らなければならないので急いで渋谷に向かう。会議そのものが少し早めに終わってくれたので地下鉄で行き、NHKまで歩いた。何度も出演したことのある「ブックレビュー」。テレビ、ラジオ、講演は、自分の体を指定のポイントまで運んでいくことが主要な業務で、現地に着いてしまえばあとは何とかなる。前回は自分の作品「空海」を特集でとりあげてもらったので緊張したが、今回はいつもの書評なので問題はない。午前中の会議で力をこめてしゃべったので、スタジオでは必要以上にりきまないように心がけた。いい話ができたと思う。放送は2月4日(日)の午前8時と深夜の0時。
あとは明後日の卒論口答試問だけだが、すでに準備は終わっているので、本日から「日蓮」に集中できる。自分の仕事に集中できるというのが何より嬉しい。

01/31
月末。本日は休み。三軒茶屋の安売り雑貨店が閉店するというので行ってみた。ものすごい人の割に、残っている品物が少なくて、結局2本で145円の折り畳み傘を買ったのみ。前から右手が腱鞘炎気味であったが、カイロで温めると気持ちがいいので、向かいの薬屋で10個入り175円というのを5袋買う。ついでにお菓子の太子堂でパンプキン味のキットカット2袋買う。通常のキットカットが298円(定価500円か)なのにパンプキン味だけ198円なのであった。妻に言うとそれは賞味期限の問題だと言われた。そうか。ハロウィンの時期の限定商品であったか。「日蓮」は弟子の日興が出てきたので調子が出る。これは生真面目で原理主義の人物である。日蓮宗が身延と富士宮に分裂する原因となった人物でもある。あまり悪く書くと富士宮派から苦情が出るかもしれないので、凛々しい人物として描きたい。ハードな1月がようやく終わった。2月はまあ、自分の仕事に集中できそうだ。


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