2004年8月スペインの孫

2004年8月

8月
08/01
今月は「創作ノート」はお休みである。スペインから孫が来る。仕事どころではない。とはいえ、「犬との別れ」がまだ完成していない。引き続き創作ノートめいたものは書き続けることになるが、主に孫をまじえた日録になる。まだ孫は来ていない。しかし孫が来るというプレッシャーは少しずつ強まっている。昨日、わが母の誕生日の祝いを兼ねて立川の花火を見に行った。毎年、母の誕生日の近くにこの花火の催しがあるので、この日を誕生祝いとしている。母は88歳になった。この日は駐車場が使えないので、電車で行く。満員電車である。これも一年に一度の行事である。帰る頃に、次男から妻のケータイに連絡が入る。泊めてほしいとのこと。大学のクラブの仲間が、結婚を祝うコンパを開いてくれたとのこと。次男は東京で飲み会があると、つくばまでは帰れないので、実家に泊まっていく。今回は奥さんもいっしょである。結婚式はこれからだが、すでに独身寮から夫婦用の社宅に引っ越している。母の部屋でサッカーのヨルダン戦を見ていたが、帰る時間が迫ってきたので、PK戦の途中で帰ってきた。逆転で勝っていた。すごい。次男のスポーツニュースを見る。孫が来るのは来週である。ふだん老夫婦二人の生活に慣れているので、家の中に人がいると疲れるが、次男夫婦が来てくれたのは一種の予行演習になる。長男夫婦に孫、それに次男夫婦が泊まりに来ることもあるだろう。家のキャパシティーが満杯になるが、わたしと妻の神経のキャパシティーも満杯になるのではないかと心配である。

08/02
文化庁著作権分科会。今シーズンの第一回。書籍の貸与権確立という大きな問題を前シーズンにクリアーした後なので今回はとくに大きな問題はない。管理事業法の3年目の見直しという問題があるが、もともとこの法律にはわけのわからないところがあるので、ここをこう直せばいいという提案ができないところに困難がある。とにかく、これでは困るという、頭の悪い人がやりそうな、単なる苦情、愚痴の類を言うしかないようだ。
妻の運転で三ヶ日の仕事場に移動。

08/03
驚くべきことに三ヶ日は涼しい。昨日は夕方から涼しい風が吹き、夜中は寒いほどだった。本日は少し湿気があり、夕方になってもまだ少し暑い感じがしたが、夜の十時くらいには快適になった。「犬」いよいよゴール目前。

08/04
新車を買ってから初めて自分で運転する。都内では運転する気になれない。神経の妙な部分が高ぶると仕事に差し支える。三ヶ日から高速に乗って、軽井沢を目指す。前の車はキャブオーバーワゴンに近い車だったが、今度の車はステーションワゴンに近いので、安定している。ただし景色はわるくなった。老人になりつつあるので、乗り降りが楽で、しかもある程度、室内高の高い車を選んだ。だいたい思ったとおりの車である。カーナビの指示を無視して岡谷から一般道に出る。新しい道でカーナビに表示されていない。車は道のない山中を飛んでいるように見える。軽井沢のあたりは土地勘があるのだが、カーナビは思いがけない裏道を指示した。カーナビの多くは中国人が作っているらしいが、中国人は偉いと思った。パソコンは持って移動している。エンディングの部分がほぼ完成。書くべきことはすべて書いた。あとは、これで終わり、という締めが必要。

08/05
今月、次男が結婚式を挙げるので、会場を一度、確認しておきたかった。そのために軽井沢に来た。必要な確認はできたので、旧軽銀座で鳥とパンを買って帰る。夜中に「犬のとの別れ」の草稿完成。

08/06
祥伝社の担当者と三宿で飲みながら打ち合わせ。キリスト教に関する新書を書くということで合意。短い読み物ふうのものにするので、一ヶ月で書けるはずだが、問題は孫だ。来週はスペインから孫が来る。どういうことになるのか、予測がつかない。「犬」の方は、プリントしたものを読み返してチェック。箱根に行った時に、半分以上のプリントをチェックしたので、残りはわずかだが、かなり重要な部分なので、あせらずにじっくりやりたい。

08/07
つくば市の次男の新居を訪問。これまでの独身寮から、妻帯者用の社宅に引っ越した。結婚式はこれからだが、引っ越しのために、本日、入籍の届けを出した。その祝いというか、若夫婦といっしょに食事をすることになった。次男の行きつけのフランス料理。なかなかいい店だ。こんなところにしばしば通っているのかと思ったが、向こうはダブルインカムなので、わたしより金持ちだ。それにしても、つくばというの、大学と研究所を中心とした都市なので、道路が整備され、緑が多い。帰りは道路がすいていて、1時間ほどで帰ってこれた。プリントのチェックは、出かける前に妻がスーパーで買い物をしている間、行きの渋滞中、次男の部屋でサッカーを見ながら、と作業は進んでいる。

08/08
日曜日。昨日は次男のところに行って、楽しかったが、つくばまでの往復は少し疲れた。明日はいよいよ、スペインの孫が到着する。どういうことになるのか、想像がつかない。とにかく、プリントのチェックを続ける。並行して、本日から、「キリストの謎(仮題)」(祥伝社)をスタート。目標は今月末。1日に10枚以上、こつこつと書いていけば、ゴールに到達できるだろう。

08/09
成田へ長男一家を迎えに行く。車に乗り込む前から、緊張感で胸が苦しくなった。孫に会えることは嬉しいのだが、どう対処したらいいかわからない。成田はお盆休みで旅行に出る人で混んでいることが予想されたので、早めに家を出た。道路の流れは、首都高の内回りが渋滞していただけで、予定どおり到着。昼飯を食べたり、ベンチで用意してきた原稿チェックをしたりして、それから到着ロビーへ。これまで長男が帰ってくる時の出迎えは妻に任せていたので、自分が出迎えるのは初めてだ。出口からさまざまな人が出てくる。そうした見知らぬ人の流れの中に、自分の見知った顔が現れるというのが、不思議な感じがした。ようやく長男一家が現れる。今年の初めに妻がスペインに行った時、会った途端に孫に泣かれたと聞いていたので、こちらは緊張した。あまり強引に接触しないようにして、とくに話しかけることもしなかったが、顔が長男とそっくりであるので、孫も親しみをもってくれたようだ。自宅に帰ると、早速、遊び相手に指名されて、それ以後は、奴隷のように命令を受けることになった。何しろ言葉がわからないか、何だかわからないうちに、次々と命令を受ける感じがする。それで、ぼそぼそとぼやいていると、日本語の聞き取りはできるようで、鋭く糾弾される。こういう状態があと半月も続くのかと思うと、嬉しいけれども、仕事が心配になる。本日は旅の疲れで、早めに寝てくれたので、夜中に仕事ができそうだ。

08/10
わたしの家は、かなり広いリビングルームがある。その東側の部分にはダイニングが接していて、キッチンからリビングまでがつながった感じになっている。リビングの西側は応接スペースでふだんは使っていない。その応接スペースに接して、わたしの仕事場がある。以前、子供や犬がいた頃は、リビングで仕事をしていたのだが、犬がいなくなったので、和室の一畳くらいの空間で仕事をしている。で、リビングで孫の相手をしたあと、こっそり姿を消して仕事を始めたのだが、すぐに孫に見つかってしまった。ワープロを叩いているわたしに、次々とぬいぐるみや積み木を届けてくれる。遊ぼうと誘っているのだ。仕方がないのでワープロを畳んで、リビングで本格的に遊ぶことにした。とにかく相手はスペイン語である。2歳半だから、スペイン語としてもデタラメなことを言っている感じがする。息子に、これは意味のあることを言っているのか、と訊ねたのだが、時々意味のあることを言っている、ということらしい。とにかく、意味不明の言語で命令されるのは理不尽であるが、相手が孫であるから、奴隷のように使役されることは喜びである。孫は写真で見ていたよりも美人になっていた。最近、職が細くなって痩せたとのこと。顔立ちも、赤ん坊の頃は東洋系が強かったのだが、少しずつスペイン美女の感じが混じっていくようだ。ところで、自分の仕事だが、プリントした草稿のチェックは終わった。並行して入力作業も進めてきたので、明日には完成する。ということで、担当編集者に、明後日に渡すと連絡した。

08/11
「犬との別れ」完成。本日は孫は上野の動物園に行ってくれたので、仕事がはかどった。昨夜のうちに草稿チェックは終わっていたし、チェックしたものの入力作業も半分終わっていたので気分は軽い。ただし訂正の量が多いので疲れる。完成しないうちに孫が帰ってきてしまった。リビングでパソコンを打っていると、遊ぼうという。朝の幼児番組をビデオに撮っておいたやつを見せると、テレビを見ながら一人で遊んでくれた。やれやれ。この孫はとても頭がいい。人をよく見ている。どうもわたしは少しなめられているようなので、毅然とした態度をとりたいと思うのだが、まあ、難しいだろう。自分の子供が小さかった頃のことを思い起こす。長男が2歳半の時の時は、こちらは忙しいサラリーマンだったから、子供の相手などできなかったが、丁度その頃、勤めを辞めてフリーライターになった頃なので、まあ、ふつうの父親よりは子供の相手をしたと思う。子供好きというのではなく、子供になめられるタイプだと思う。で、作品はようやく完成した。ずいぶん時間がかかったが、それだけの作品になっている。

08/12
バジリコ出版の中村くんに原稿を渡す。それから三宿へ。246の向こう側の初めての店へ行ってみる。座敷のある上品な店で、料理も酒もよかった。値段も適当であったが、客がわれわれだけであった。お盆のせいか。三宿の気に入りのカフェバーふうおでんやが最近つぶれた。上品ですいている店は、それだけ客の数が少なく、経営が難しいようだ。焼酎とワインを飲んで、中村くんと別れたところまでは憶えているが、それから先の記憶がない。いい気分に酔ったようだ。息子たちは駒沢の百円ショップへ行っていた。5000円も買ったというから、50点買ったということで、日本の物価はスペインよりも安いようだ。

08/13
本日から「キリストの謎」に集中しなければならないのだが、門前仲町のイトーヨーカドーに行くというので、ついていく。乗り物の形をしたカートに孫を乗せて、ぐるぐると押して歩いたり、幼児の遊び場で孫を様子を見守っていると、「おじいさん」をやっているなと感じる。孫は「ジイチャン」と呼んでくれる。嬉しいような、少し表情がひきつるような感じだ。それからお台場を散歩する。やれやれ。孫の相手というのはなかなかに大変なものだ。

08/14
女優の三田和代さんの招待で、六本木の中華料理屋で食事。和代さん、『ウェスカの結婚式』にも登場するキミコさん、それにわれわれの家族。つくばから次男とフィアンセのハナちゃんも加わったので、孫も含めて、われわれは7人家族になった。7人が揃ったのも今日が初めて。先月買った車も、初めてサードシートを起こして使用した。われわれは長く4人家族だった。しかし気が付くと、長男、次男に配偶者がいて、孫までいる。ふだんは妻と二人きりの生活だから、家族が増えたという実感はないのだが、こうして全員が揃うと、長い時間が経過したことを感じる。孫は少食なのだが、人がたくさんいて元気になったせいかよく食べた。さて、『キリストの謎』はようやく1章が完成。全部で10章の予定なので、10パーセントできたことになる。1日に1章くらいのスピードで書かないと間に合わない。

08/15
孫たちは銀座に出かけた。こちらはひたすら仕事。2章はユダヤ教について書く必要があるが、情報を並べる順番をどうするか。時代順に並べるのはかったるい。読者の興味をひきながら必要に応じて情報を提供していきたい。時代が前後するとかえってわかりにくいかもしれないが、そのあたりを調整したベストの状態にしたい。

08/16
横浜へ行く。大桟橋から出るクルーズのタダ券があったのでこれに押し込み、わたしと妻は中華街で飲茶。大桟橋の上で孫は走り回った。例によってスペイン語で何やら命令される。孫が船に乗ったあとも、そらみみのようにスペイン語が聞こえる。

08/17
本日は何ごともなし。ひたすら仕事。2章終わる。ところで、孫はわたしにスペイン語で話しかけるのだが、もちろん、こちらには意味はわからない。長男によると、保育園で友だちの男の子に命令するのと同じ言葉づかいだとのこと。友だちだと思われているのは嬉しいが、祖父としての威厳がわたしにはそなわっていないようだ。

08/18
孫はジブリ美術館へ行った。次男が予約を入れておいてくれた。これで助かった。仕事ができる。で、帰ってきたらトトロのぬいぐるみをもっていたし、ネコバス、という言葉を口にしていたから、かねて用意の「となりのトトロ」(テレビで放送したのを録画しておいたもの)を見せてやった。一人で見るかと思ったら、解説つきでないと楽しくないようで、わたしがずっとつきっきりで相手をしてやった。日本語で説明してもわからない。ただ相手が何か言うのに、相づちを打ってやれば孫は満足する。

08/19
軽井沢へ移動。明日、次男の結婚式がある。軽井沢高原教会の石の教会。披露宴をやるホテルで、新婦側の家族と会食。こちらは孫がいるのでやっかいだが、ビュッフェ式のオードブルをきげんよく食べた。新婦とはすでに何度も会っているし、ご両親とも結納の時に宇部で一度会っている。なごやかに食事をして、教会も見る。夜の教会はなかなかいい。

08/20
結婚式。午後、われわれが泊まっているロッジに次男が来て、ひげ剃りを貸してくれという。新郎がひげ剃りをもっていないのかといぶかる。夜、石の教会で挙式。結婚式のために作られた施設だから、演出が計算されていて、盛り上がる。教会を出るとライトアップされた噴水があり、そこからホテルに一本道のウェディング用の道がある。披露宴はホテルの担当者がアドバイスしたのだろうが、新郎新婦の好みが反映されていて、質素だが明るいものになっていた。余計な挨拶などが一切ないところがよかった。新婦の挨拶が心のこもったもので感動した。次男もちゃんと挨拶をした。無口な人物なので、次男が長くしゃべるところを初めて見た。何だ、ちゃんとしゃべれるじゃないか、と思った。

08/21
結婚式のあと、新婦側の家族とのんびり語り合いたいと思い、清里のあたりのホテルのコテージを予約していたのだが、オープンしたばかりの花のホテルというところで、ここは既存の別荘地の中にあり、道路が迷路のようにフクザツで、何となく古い別荘地を再利用して金儲けをしようという狙いが見え透いていて、いやな感じのところだった。二度と行きたくないところだ。

08/22
三宿に戻る。疲れたが、ほっとした。感動的な結婚式で、次男が家族を愛していることがわかった。当たり前のことではあるが、少し嬉しい。

08/23
何ごともなし。「キリストの謎」(仮題)は少しずつ前進している。孫のいる生活にも慣れたが、やや疲れがたまっている感じ。まあ、公用はないので、仕事は進んでいる。

08/24
孫たちは毎日、どこかへ出かけていく。彼らにとって、ここは外国なので、めずらしいものがいっぱいあるのだろう。孫は元気だが、女王さまのようにいばっている。孫というのはすべてそうなのだろうか。自分の子供ではないので叱るわけにもいかず、つい命令されるままになってしまう。
08/25
昨日、一昨日は、仕事ができた。本日はサービスの日で、孫といっしょに東京ディズニーランドへ行った。2歳半なので記憶には残らないだろうが、「小さいな世界」とか「エレクトリカルパレード」とか「プーさんの蜜壺に入ったポップコーン」などに感動している様子だった。朝から深夜までつきあったので、わたしも妻も疲労困憊した。

08/26
スペイン人は午後にディナーを食べる。ほとんど一日一食といっていい。朝はビスケットとコーヒー。夜も軽いものしか食べない。日本にいると、わが妻が料理を作るので三食食べているみたいだが。本日は妻が疲れたので、近所のメキシコ料理屋へいく。昼前から明け方まで営業している店だが、ランチタイムから夕方にかけては、すいている。午後に訪ねてきた編集者と軽くビールを飲むのに最適な店。この時間帯なら子供づれでも問題はない。客はわれわれだけ。店の人のサービスもよかった。スペイン人が一人、ハーフの子供が一人入っているせいか。

08/27
長男たちはスペイン大使館へ。いつもお世話になっているので挨拶。それからわたしの母のところへ。疲れるといけないので短い時間で引き上げる。夜はわが姉の招待で代官山の焼き肉。姉には先日も中華料理をご馳走になったが、ありがたいことである。帰ると新婚の次男が到着。深夜まで孫と遊ぶ。

08/28
いよいよ孫が帰る日。成田まで送っていく。次男夫婦もいっしょ。孫は自分は日本に残るといっていたらしいが、いよいよとなるとママといっしょに帰っていった。次男たちとも成田で別れ、ようやく妻と二人きりの生活に戻った。

08/29
妻と二人きりになって、ひたすら休みたいところだが、知人のご母堂の通夜があるので妻と出かけていく。今月末締切の書き下ろし新書、まだゴールが見えず。のんびりしてはいられない。

08/30
ひたすら仕事。

08/31
ひたすら仕事。
今月はもう終わりだが、「孫」問題の総括をここに書くつもり。


「スペインの孫」の総括。
孫が来るまでは実感がなかった。自分に孫がいるということは知っているし、写真も見てはいたが、実体と接していないので、「孫」という概念があるだけだった。その実体が、突如としてやってきた。この実体は強烈な主体性をもっていて、手近な人間に次々に命令を発し、女王さまのように君臨した。その命令もスペイン語であることが多く、意味不明である。それでいて、こちらが話す日本語は理解できるようで、時々聞きとがめて、いちゃもんをつける。困った存在であったが、日々の暮らしに緊張感を与えてくれた。孫の父親も幼児の頃、そんな感じであった。遺伝子が受け継がれているのだ。しかしわたしたちはある程度、厳しく長男をしつけた。しかしスペイン人の母親はまったくしつけというものをやっていない。そこで遺伝子が解き放たれて、傲慢不遜なキャラクターになってしまった。それを親が放任しているので、ジジババとしては意見を差し挟む余地はない。台風が去っていく日を指折り数えてただ待つという状態であったが、女王さまがいなくなると、心の中に空洞ができて、じーんと痛む感じがする。孫というのは、いいものであるが、まあ、ちょうどいいくらいの期間の共同生活であった。
孫は去ったが、孫の存在感は確認したので、実体としての認識は残っている。あの女王さまが遠いスペインで今日も君臨しているかと思うと、なかなかに楽しい。
今回の滞在は、次男の結婚式というイベントが中心であった。孫を乗せて軽井沢まで移動するのは大変かと思っていたが、丈夫な子なので何の支障もなかった。石の教会での結婚式の最中もおとなしくしていた。宴会ではよく食べた。成田での見送りにも、次男夫婦が来てくれた。わたしと妻と、最初は二人で暮らしていた。やがて、長男、次男が生まれ、四人家族になった。犬が加わったが、長男が留学し、次男が就職し、犬が亡くなって、また妻と二人きりになった。しかしこうして長男にそれぞれ配偶者がいて、孫もいるということになると、われわれの家族も人数が増えたことを実感する。全員が揃うのは何年に一度ということになるかもしれないが、それでもわれわれは家族なのだということを確認した。
ついでのことに書いておくと、結婚式の前日くらいに、長男の嫁さんがスペインのホームページを見る必要があった。わたしが仕事で使っているノートパソコンはインターネットにつないだことがない。つなぐ必要もないし、ウイルスが入ったら困るということもあって、モバイルということも考えなかった。いまインターネットを使う時は光ファイバーで見ているのだが、三ヶ日の仕事場では電話線を使っている。それにこのホームページのインデックスページや過去のページは電話線で送っているので、その電話番号をノートパソコンに設定すれば電話はかけられるはずだ。それで設定だけはしていったのだが、何とかホテルの公衆電話で接続することができた。軽井沢にいてもスペインのホームページが見られて、スペイン語の情報がダウンロードできるというのは、何だかすごいことだ。わたしのノートパソコンも初めて電話線でインターネットとつながって、初めての体験に驚いたことだろう。幸いウイルスに感染することもなく元気で働いている。
以上が今年の夏の総括である。無事にスケジュールをこなすことができるか心配したのだが、結婚式も上天気で、孫も元気だった。ディズニーランドにも行ったし、大サービスをしたことを、孫は覚えていてくれるのか。「じいちゃん、あそぼ」といって迫ってくる女王さまは、今度会う時には、おしとやかな女の子になっているのか、あいかわらず女王さまのままなのか、怖いような、楽しみな感じがする。とにかく、8月は終わった。次は大作「空海」の創作ノートに移る。

2004年9月のノートへ移る


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