「桓武天皇」創作ノート1

2003年9月〜

9月 10月11月12月2004年01月02月


09/01
今日からこのノートを始める。まだ「団塊老人」の原稿を編集部に送ったばっかりで、作業は完了していないし、次の「小説の書き方/超基礎篇」を書き始めたばかりなのだが、これから年末にかけては、今年の唯一の小説作品「平安の覇王/桓武天皇(仮題)」の作業が続くことになるので、このノートをスタートさせる。上記2作品の進行状況についても、このノートの中に書き込んでいく。
「桓武天皇」は今年のメインの作品で、かなり以前から構想を練ってきた。女帝3部作の第1作「天翔ける女帝/孝謙天皇」を書き終えた段階で、すでに続篇として、「桓武天皇」のことを考えていた。その証拠に、「孝謙天皇」のラスト近くに、白馬に乗って走っている若者のイメージを書いてある。走っているのは当然、桓武天皇だし、従者としてあとを走っているのは、「孝謙天皇」にも登場した、和気清麻呂である。
その時点で、「桓武天皇」を書きたいと思っていたのだが、女帝3部作の構想が先にあったのと、その後、集英社から「清盛」と「頼朝」を出すことになったので、なかなか実現しなかった。「釈迦と維摩」を作品社から出した時に、次の作品として、「桓武天皇はどうか」とこちらから提案した。昨今の出版状況では、売れるものではないと思うが、文学作品として一定のレベルのものを書く自信はあるし、歴史小説としても、この時代を扱ったものはほとんどないので、これを書く価値はあると思う。
今年に入ってから、おりにふれて構想を練ってきた。すでに冒頭の部分は文体の試作をしている。試作とはいえないほどの量を書いているので、もう作品は始まっているといってもいい。オープニングには父の白壁王(光仁天皇)を登場させる。主人公桓武天皇(山部王)の母、新笠は、この作品のポイントとなる人物だ。すなわち、百済人と出雲系の土師一族とのハーフである。天皇に百済人の血が混じっているということでも、新笠の姿を冒頭に出しておきたいし、また新笠を養女とする百済王家の存在は、この作品の重要な背景である。主人公の永遠の恋人といえる明春も、百済王家の女だ。ということで、河内国交野の百済の里から話は始まることになる。
話の順番としては、次に大枝から、主人公の人生が始まることになる。京都の西にある大枝は、今年の5月に、とりあえず現地に行ってみた。わたしは大阪生まれだから、東京の人が鎌倉に行く程度には、京都の土地勘はある。だが、大枝というのは、苔寺や嵐山のある桂川とは山1つ隔てた場所で、まったく未知のところだった。その場所から京都が見えるのかどうかもわからなかったので、行ってみた。京都は見えない。なだらかな丘陵に竹藪があって、視界を遮っている。その当時に竹藪があったかどうかはわからないが、とにかく京都とはわずかに隔てられた土地だ。そこからむしろ小畑川という川を下って長岡へ行けるので、こちらとのつながりが深い。桓武天皇がはじめに長岡に都を作ろうとした理由もそのことと無縁ではないだろう。
太秦の広隆寺には、百済から渡来したと伝えられる弥勒菩薩がある。聖徳太子から賜ったという微笑を浮かべた弥勒とは別の、「泣き弥勒」と呼ばれる菩薩像だ。それと、桓武天皇の側近となる藤原種継も母親が秦氏なので、太秦のあたりに住んでいたはず。この種継と、それから主人公の従兄の和家麻呂、これだけは最初に登場させておきたい。それからヒロインの明春。これだけの主要登場人物を出しておいてから、ストーリーが始まる。
まず大仏開眼。それから義母の井上内親王とのアブナイ出会い。明春との別れ。そこから時間の流れが速くなる。書くべきこととしては、「孝謙天皇」で書いた藤原仲麻呂の反乱と、道鏡の台頭、という話になる。このあたりはテンポを速くしないと、枚数がやたらと増えてしまう。一度描いたストーリーに、若き山部王をからめていくところが、作品の眼目である。天皇になってからは、あまり面白い話はないので、この青春時代をたっぷりと描きたい。さて、大仏開眼のところまでは草稿があるので、これからチェックをしながら文体を調整し、そこで文体を固めて、その次に進みたい。

09/02
久しぶりに文化庁。今回は久しぶりに教育関係者との協議会。去年は、図書館と教育と、並行して毎月協議をしていた。今年に入って、図書館の方は引き続きやっているのだが(文化庁主催ではなく自主的な協議)、教育の方はストップしていたので、何だか一年ぶりくらいの感じ。同じメンバーなので再会した時は一瞬、懐かしいと思ったのだが、話し始めると相変わらず頭の固い人々である。教育業界は声域で何をしても許されるという無邪気な思いこみがあって、自分は正しいという感じで迫ってくるので困る。ゴールまでには長い道のりが必要だろう。こちらも急ぐ必要はないと思っている。
「団塊老人」は担当編集者に届いたとのことだが、いま忙しくてすぐには読めないというので、書き直しなどの要求が出るとしても少し先になる。「小説の書き方」の担当者も忙しそうだが、こちらはもう一度、コンセプトの確認をしておきたいので、来週会うことにした。ということで、こちらもしばらく作業は中断しておく。文芸著作権センターのホームページを作らないといけない。時間が迫ってきた。しかし、「桓武天皇」のチェックが調子よく進んでいるので、このまましばらく作業を続けたい。従兄の家麻呂、影のフィクサーともいえる藤原種継、母の新笠、と試し書きの草稿ではイメージがうすかった人物のデッサンをやりなおして、存在感をもたせるようにした。文章がもたれてはいけないので、あくまでもテンポよく語る必要があるのだが、少ない行数で的確にイメージが出るように、密度を凝縮させる。少し文章が古い感じがする。しかしジュニア小説のような語り口にするわけにはいかない。ある程度、重厚な雰囲気づくりも必要だろう。若い読者に媚びると年輩の読者が離れていく。
ヒロインの明信をどう描くかが、オープニングのポイントになるだろう。若き日の憧れの女性だが、再会するのは少し先になる。晩年に再び出会うことになるのだが、それでは少し寂しい。明春の妹というのを出しておくべきか。よちよち歩きの幼児でいい。明信の分身という感じで、晩年の主人公の彩りとしたい。それでは男につごうのよすぎるストーリーになりそうだが、英雄物語だから、その程度のカタルシスはあっていいだろう。そうでないと、晩年の桓武天皇にはあまりいいことが起こらないので、エンディングが寂しくなる。

09/03
猛暑。著作権関係で業者と協議。雑用だが、これも世のため人のための仕事である。

09/04
妻と近くの郵便局へ行く。35歳で、まだ八王子めじろ台という郊外の住宅地に住んでいた時、気のよさそうなオジサンが郵便年金の勧誘に来た。妻は外出していて、わたしはたぶんヒマだったのだろう。そのオジサンの話をゆっくり聞いて、郵便年金に入ることにした。しかもわたしと妻の二人ぶんである。自分が老人になって年金を受け取るといったことなど、想像もできなかったが、そのオジサンはわるい人ではないと感じられたし、定期預金などよりは有利なような気がしたので、貯金のつもりだった。あとで帰ってきた妻から、勝手に契約したことを咎められた。単に押し売りに物を買わされたという話ではない。いったん契約してしまうと、毎年、けっして少なくない金額を納付しないといけないのだ。まあ、その頃は本が売れていたので、それほどの負担でもなかったのだが。
しかしそれから、あっという間に、20年が経過したのである。何とわたしも妻も、55歳になって、今年から年金が貰えるのである。それで手続きのために郵便局へ行った。もはや掛け金を払う必要はなく、これからは貰う一方なのである。しかしこれまでの20年間、お金を払い続けてきた。妻の計算によると、68歳まで生きないと、元がとれないそうだ。従って、喜んではいられない。とにかく68歳まで生きなければならないのだ。
それにしても、自分が55歳になるなどということは、20年前には想像もつかなかった。しかも孫までいるのだ。何と年月の経過はすばやく、人生というものははかないのだろう。とはいえ、68歳まで生きるということを考えると、まだまだ先が長いと感じられる。がんばらねば。

09/05
フリー編集者と三宿で飲む。「ヤマトタケル」三部作の担当者。本当はもっと長いシリーズにしたかったのだが、目標の販売部数に到達しなかったので3冊でストップ。敗軍の将は過去を振り返らない。来年は何か仕事をしたい。

09/06
本日は山中湖の知人宅のサロンコンサートに招かれたので、仕事はしない。ものすごく暑い日で、山中湖は少し涼しかった。2週間前に道志村を抜けたので、その時に山中湖の湖畔を走った。去年、孫を乗せて走ったコースで帰る。一年前の孫を懐かしむ。孫が来て、犬が去った。そのことを思い起こす度に胸が痛む。

09/07
本日はやや涼しい。下北沢まで散歩。北沢八幡でお祭りをやっていた。ひところは業者を排して町内会とかPTAのお母さんたちが店を出していたのだが、今日見ると、業者が店を出していた。暴力団を排除して善良な業者だけに頼めるようになったのか。やっぱり専門の業者がいないと祭が盛り上がらないという結論になったのか。雑用2本の原稿を書く。
今日までは「桓武天皇」を書いていたが、明日、「小説の書き方」の担当者と三宿で飲むので、それを機に一気に仕上げるつもりだ。「桓武天皇」はちょうどいま行き詰まっている。義母の井上内親王との関係をどうするかで迷いがある。この場面は美しく書きたいが、きれいごとで終わらせたくない。たぶん内親王は色情狂に近い女性なのだと思う。その娘も孫も色情狂である。伊勢の斎宮に送られて、中年になってから退下すると、そういう感じになってしまうのだと思い。小説のテーマとしては、この問題を避けて通ることはできないが、重ねていうが、美しく書きたい。

09/08
書協での会議。少し疲れ気味。次回の会議の日程、こちらが午前中にしてほしいというと、みんなびっくりしていた。確かにふだんは寝ている時間だが、午後の会議だと執筆時間が減る。午前中の会議だと会議中、頭はまだ寝ているが、会議の発言くらいはできる。そして、一日が長いから、執筆もできる。結局、皆のつごうで午後になってしまったが。急いで帰って、光文社の編集者と三宿で飲む。彼はわたしの教え子。「小説の書き方」の決定版を出す。少し飲み過ぎたか。

09/09
日本点字図書館会長本間一夫氏の葬儀。評議員になってからのわずかばかりのおつきあいであったが、立派な人だということはわかった。ゼロから出発して今日の点字図書館を築き上げたのだからすごい人だ。本日は暑い。平服で、と案内に書いてあったが、平服の人は半分くらいか。ちゃんと黒服を着てくる人もたくさんいる。新潮社から電話が会って、明日、会うことにした。少々手直しが必要なようだ。これで仕事の段取りがまた変更になるが、まあ、よくあること。

09/10
新聞のインタビューを受けた後、書協での会議。結局、2時から5時半までひとりでしゃべり続けた。新潮社に着いた時は疲れ果てていたが、編集者からのチェック事項を聞く。発売を新潮新書の一周年の時に合わせるということなので、入稿は年末でもいい。しばらく放っておいてから読み返してチェックすることにする。ということで、当面は「小説の書き方」と「桓武天皇」の作業を続けることにする。今日も暑かった。

09/11
本日は公用はなし。ということは自分の仕事に集中する日。昨日、「桓武天皇」の第一章が終わった。小さな序章があるので、400字詰にして90枚くらいのところに来ていると思う。全体は500枚くらいにしたいと思っている。それ以上長いと読者に負担をかける。第一章では主人公は十六歳。大仏開眼の日を中心にして展開する。第二章はその5年後から始まる。道鏡の政権が出来るまでの歴史の動きを描く。この頃の山部王については、何もわかっていない。話を作るしかない。女の姿がまったくないので、初恋の明信への思いが断ち切れずに、女嫌いを通しているという設定にしておく。明日は午前中から夜まで公用がある。今月の山場みたいな日だ。何とか自宅に帰り着きたい。

09/12
午前中の会議のあと、文芸家協会でNPOの総会と記者発表。半年間の労苦がようやく実を結んで、保護同盟から文芸家協会著作権管理部への業務の引継が実現する見通しになった。10月1日から業務がスタートする。同時にNPOの仕事も始まる。スタートしてからが大変だが、この記者会見をいちおうの目標としていたので、1つの到達点だと思う。記者会見後、協力してくれた関係者と乾杯する。

09/13
やれやれ。ようやく休みだ。休みというのは公用がないということで、わたしの場合は休みの日に自分の仕事をしなければならない。本日から、「小説の書き方」の仕上げにかかる。全体の3分の1ほどは夏休みに三ヶ日で書いた。これからの半月で草稿を完成したい。

09/14
暑い日が続く。異様な9月だ。ただ歩くだけでは散歩もきつい。目標が必要だ。三ヶ日では、三ヶ日みかんソフトというものにつられて、往復8キロの道のりを歩いた。そこで思いついたのだが、テレビでベルギー産チョコソフトというものを宣伝している。これを目標としたいと思ったが、近所にこれを売っている店がない。地図で調べると、蛇崩にあることが判明。蛇崩川という、いまは遊歩道になっている川筋だが、蛇崩という地名があるのは、東山から下馬に向かう道路の途中。中目黒方面から自宅に帰る時、車ではよく通る。角にお相撲さんが経営するイタメシ屋がある。イタメシ屋というのは看板だけで、中に入るとちゃんこ鍋が出てくるのではと警戒して中に入ったことはない。その向かいに目標のコンビニがある。徒歩だときついかと思ったが、自衛隊三宿駐屯所の裏手を抜けるとマレーシア大使館というのがあり、細い道をぬって、思ったより早く蛇崩に到着した。徒歩20分。下北沢よりも近い。で、チョコソフトを食べたが、どこがベルギー産だというような、ふうつのソフトであった。

09/15
敬老の日。そろそろこちらが敬老されるような感じになってきた。「桓武天皇」が少し行き詰まっているので、これからしばらくは「小説論」に集中したい。が、NPOのホームページは仕上げないといけないなあ。

09/16
「聖教新聞」の編集者に原稿を渡す。「釈迦と維摩」について。このほんを読んだという人に出会ったのは2人目。もちろん担当編集者は除く。1人目は某有名漫画家。読んでくれた人が1人でもいてくれて嬉しいと思ったが、2人目に遭遇して大変に嬉しい。その後、お台場へ行く。いつも行かない有明の方に行ったのだが、ものすごくさびれていた。涼しいかと思ったのだが、涼しくなかった。その後、NPOのホームページの原稿を書く。

09/17
本日から集中的に「小説論」に取り組む。いままで書いたところを最初から読み返す。大きな問題はないがユーモアが不足している。語り口をもっとリラックスさせないといけない。このチェックは大変だが大切な作業だ。

09/18
日本点字図書館で理事長、および担当者と、録音図書のインターネット配信について協議。ネットで作品を流すのは危険ではあるけれども、ファイルではなくサーバーに接続するだけなので、安全性は確保されている。視覚障害者の読書環境を整えるためには、ケチくさいことは言っていられない。著作者にも出版社にも、ばくぜんとした危惧があって、著作権、出版権をたてにとって、何かと文句をつけるケースが少なくないのだが、こういう誤解を解き、著作者の社会的責任といった観点から、福祉事業に全面的協力をすることを、より多くの著作者に訴えかけたいと思う。ただし、問題はかなりあるので、大変な事業だと思う。

09/19
文芸家協会理事会。報告すべきことがどんどん増えていく。新しい著作権管理事業は10月1日からスタートするのだが、いろいろと困難なことがあって、まあ、大変だ。

09/20
めじろ台男性合唱団の練習。練習の途中で見学させてほしいという人が入っていた。しばらく見学して帰っていったが、何となくわれわれメンバーには、当惑したムードがあった。われわれの合唱団はただの合唱団ではない。一種のコミュニティーであり、運命共同体みたいなところがある。この感じは簡単に説明できるものではない。昨日、次男が帰ってきた。単に咳が出るので前からのかかりつけの医者のところに行くためだ。そういうことでもないと帰ってこない。4カ月ぶりだ。まあ、確かに咳は多少出るが、元気そうなので安心した。

09/21
日曜日。台風が接近しているようで、一日中、雨。「小説論」夏に書いた部分を読み返し、ようやくチェックを終えた。言葉が足りないところを書き足したので、3分の1かと思っていたのだが、丁度半分くらいに増えた。あと半分書けばいいということで、月末までに草稿完了ということも不可能ではないが、来週は毎日、何かしら公用があるので、完成は少し延びるだろう。しかし、「桓武天皇」の方は、下書きがかなり準備できているので、10月の半ばくらいからスタートしてもいいので、余裕はある。あせらずに、じっくりと作業を仕上げたい。

09/22
バジリコ出版の中村くんと飲む。編集者の中で中村くんだけ実名で表記するのは、中村くんが次々と職場を変わるので、実名を出さざるをえないからだ。「天気の好い日は小説を書こう」などのシリーズを出してくれた編集者でつきあいは長いが、「天神」を買い上げた途端に担当者が会社をクビになるといったこともあって、長く仕事をしていなかった。来年の最初の仕事に、中村くんと「犬との別れ」という本を計画している。愛犬リュウノスケとの別れを描いた私小説である。思っただけで涙がにじむ。書くのはつらいが、自分の人生の中で、リュウノスケとすごした15年間は、かけがえのないものだった。このことを書かずにはいられないし、人生とは何かを考える上で、こういうことをちゃんと書くというのは必要なことだ。読者にもその思いは伝わると思う。しかしその前に、桓武天皇を仕上げないといけない。とにかく、こつこつと作業を続けたい。

09/23
妻と三軒茶屋まで散歩。「小説論」順調に進む。

09/24
教育関係の協議。いくつもの協議を並行して進めているのだが、この会議がいちはん疲れる。教育者というのは、何だかとても困った存在だと思う。まあ、困った存在といえば、作家がいちばん扱いにくいことは確かだが。

09/25
午前中の法制問題小委員会。レコードの輸出権というよくわからないものを議論。これはレコード業界にとっては切実なものらしい。こちらは発言を控える。著作権の存続期間について。これは延長に賛成。財産権の問題ではなく、人格権を守るためにも存続権は延長されなければならない。経済的利益でセットでないと、出版社の協力が得られない。

09/26
文芸家協会で打ち合わせ。いよいよ10月1日から管理業務が始まる。どうもわたしが責任者みたいな感じだが、わたしはただアイデアを出しただけで責任を負うとはいっていない。まあ、仕方がない。動き始めて問題点が出れば随時修正すればいい。保護同盟からの引継に際して、まだ未解決の問題がいくつかあるが、1つ1つ片づけていくしかない。この半年、少しずつ前進してようやくここまで来たのだから、同じように前進していけば、ずっと先まで行けるはずだ。

09/27
妻と蛇崩まで散歩。帰りに池尻のイタリア料理店に寄る。蛇崩までの散歩はちょうどいい距離だ。蛇崩という地名が不気味だ。それは交差点の名称て、周囲の地名は上目黒だ。しかし蛇崩川というのはずっと先まで延びている。「小説論」2日に1章くらいのペースで進んでいる。これもいつかはゴールに到達できるだろう。

09/28
妻と中目黒まで散歩。ついでに日比谷線に乗って六本木まで行き、六本木ヒルズを通って麻布十番まで行く。かなり歩いた。「小説論」進んではいるがピッチは遅い。10月のアタマから「桓武」をやる予定だったが、少し遅れることになる。でも「桓武」は冒頭部分をかなり書いているので、まだ余裕がある。
本日は、愛犬リュウノスケの命日。もう一年たったかという思いと、リュウとすごした日々がはるかな昔と感じられるという思いが錯綜する。来年のはじめに、リュウとの日々を綴った私小説を書く。これはリュウの鎮魂のためであり、わたし自身の人生を振り返るための契機でもあると思っている。

09/29
去年の今日は、リュウの葬式であった。本日は、図書館問題についての打ち合わせと、来年の仕事の打ち合わせで、あわただしくすぎた。こうやって、未来に向けての作業が続いていることは、ありがたいと思う。しかしリュウの思い出については、心をこめて本を作りたいと思っている。来年の仕事というのは、「犬との別れ」の次に書く、物理学の歴史の本。というと難しそうだが、大発見をした偉大な科学者の生涯を描いて、宇宙の本質と触れあうという幸運な体験をした人間の至福の瞬間を感動的なドラマとして再現したい。中学生くらいを読者の対象とした読みやすい本にしたいと思っている。

09/30
ペンクラブ。11月8日に予定されている図書館についてのシンポジウムの打ち合わせ。昨日、新潮社の担当者から受け取った図書館の貸出に関する実態調査のデータについて説明する。こういうデータで貸出の実態が明らかになったのは前進だが、さてそこからどうするかという点については問題が山積している。例によって、少しずつ前進するしかない。


10月(創作ノート2)に進む

ホームページに戻る