「道鏡」創作ノート3

2010年12月

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12/01
師走になった。今年は『新釈白痴』『老後の難問』『平安朝の悪女たち』と3冊書いて、『道鏡』をいま執筆中だが、この3冊、どれもまだ本になっていない。『新釈白痴』は再校が終わっているので手が離れているのだが、あとの2冊はゲラも出てこない。とにかくいまは『道鏡』に集中したいが、そろそろ来年のことを考えないといけない。『道鏡』のあとは『実存から構造へ』というのを考えているのだが、その先は白紙。児童文学をやりたいという気持がある。『新釈悪霊』について考え始めたい。歴史小説は女性を描きたい。その程度のゆるい計画で少しのんびりしたいかな。といっているうちにスケジュールが仕事で埋まってしまうことになるのだが。
今日は歯医者だけだと思っていたら、メンデルスゾーン協会の事務局にも使っているサロン集&Uの再オープンのパーティーだった。このサロンは何十年か前に出資者を募って、出資金がなくなるまで続けるということでスタートしたのだが、メンバーの高齢化とリーダーの病によってついて出資金が尽きて閉店することになった。しかしこの場所がなくなるのは寂しいということで、融資が店をそのまま存続することになった。専従の従業員を置かず、料理は持ち込みか階下の中華料理屋から取り寄せることとし、場所代とビール代だけをいくばくか払うというシステムになった。ということでメンデルスゾーン協会の運営委員会もここで続けることになった。で、その再オープニングの会。少し遅れていくとちょうど集まった人々が自己紹介をしているところだったので、こちらもメンデルスゾーン協会の宣伝をする。夜中、早めに寝た。昨日は午前中の会議だったが、明日も午前中の会議がある。喉が痛い。妻の風が伝染ったのかもしれない。

12/02
午前中の会議。文化庁。おなじみの場所。喉が痛いので黙っていようと思ったが、わたしが発言しないと会議の方向性が定まらないのでかなり長くしゃべった。終わって東京駅に向かう。中央線で武藏境。いつものM大学。2コマしゃべると喉が完全にダウンした。明日は一日中黙ってすごしたい。ところで、腕時計を買った。いままで使っていたソーラー電波時計だが、わたしは自宅にいることが多いので陽に当てることが少なく、電力不足で内蔵電池が劣化したのだろう。最近、よく止まるようになった。電池の劣化で容量そのものが少なくなっているようだった。そしてついに、針が正しい位置を示さなくなった。デジタル表示のところは正しいのだが、針がまちがったところを差しているので使い物にならない。それでアマゾンで注文した。予算1万円、と思って探したのだが、1万円のものはいかにも粗末な感じがしたので、1万2000円のにした。作家は貧乏なのでチープなものが好きだ。届いた腕時計はしばらく光に当たっていなかったはずだが、電池がフルパワーになっていたのようで、箱から出した途端にむくむくっと針が動いて正しい位置になった。これはまことに頼もしいことだ。時計が壊れてから本日までの数日、古い時計をつけていた。古い時計といっても、大人になってからはすべて電池式で、電池を入れなければ動かない。ただ一つ、小学生の時に父が欧州旅行の土産に買ってくれたチソという時計がいまでも動かすことができる。自動巻なのでしばらく揺すってやる必要があるのだが、針を合わせるとちゃんと動いてくれる。それとともに、父の想い出が胸によみがえる。立派な人だった。顔が立派だったし、会社の社長だったから、態度も立派だった。わたしには真似ができない。父が亡くなった年齢に近づきつつある。どんなにがんばっても父のようになれないという思いがある。その思いが自分を支えている気もする。父を追い越したと思ったら人間はそこで成長が止まってしまうのではないか。だから立派だった父に感謝している。なーんか、話が合わない人物で、父の前ではいつも緊張していた気がするのだが、好い人であった。わたしも人から好い人であると思われるような人になりたい。

12/03
旺文社のコンクールの審査。偉い先生ばかりが集まってさまざまなジャンルの作品を審査する。去年から詩を担当しているのだが、今回はやり方がわかっていたので安心して見守れた。去年は何をどうするのかわからずうろうろした。妻とコンサートに行く予定だったが、咳が出るのでリタイア。妻は従妹と行く。切符を一枚もっていたので、妻と待ち合わせて切符を渡す。そのちょっとした間に、鑑真と道鏡の密度の高い会話の導入部が書けた。

12/04
土曜日。昨日はエル・バシャのベートーヴェンばっかりのコンサートだったので、行けなくて残念だった。しかし仕方がない。昨日の夜から深夜にかけて、咳が最悪という状態になった。月に一度の定期検診が近づいていたので、本日はとにかく医者に行ってみた。薬をたくさんくれた。ありがたい。わたしは定期的に医者に行くので健康保険のモトはとっている。

12/05
日曜日。咳、さらに悪化。喉の痛みはおさまった。熱はないので仕事はできる。明日は大学なので、咳が少しでも収まってくれることを期待する。

12/06
咳が止まらない。悪化するわけではないが、最悪の状態で横這い。W大学の講義と文藝家協会理事会。どうなるかと思ったが、アドレナリンが出ると咳が止まった。しかし喉がさらに疲れた。明日の協議会はずっと黙っていよう。体調は最悪だが仕事はしている。白壁王の出番が完了。鑑真が出てくるところはメモがあるのですぐに書けた。実はここがこの作品の山場である。「悪業は仏道の精華なり」というのは鑑真のセリフ。さて、この章の最後に出てくるのは白壁王の子息の山部王。京都に遷都する桓武天皇だ。わたしはすでに『桓武天皇』という本を出しているが、そこに出てくる菅家天皇にとらわれずに自由に書きたい。

12/07
TTS推進協議会。品川の高層ビルの17階。窓の真下に品川駅が見える。ああ、孫に見せてやりたい。まだ声がおかしい。時々咳も出る。明日は検診に行くのだが、声を出す仕事は入っていない。木曜の大学出講日までに何とか回復してほしい。

12/08
病院で検診。人間ドックで胃はオーケーだったが、ひっかかった部分があって再検査。結果がわかるのは2週間後。疲れた。まだ風邪が治りきっていない。咳が出る。とにかく仕事。まだ2章が終わらない。

12/09
M大学。月曜のW大学ではまったく声が出なかったのだが、昨日の夜中に何か急にすうっと病魔が引いていく感じがして、咳き込まなくなった。声はどうかと思ったが、実際にしゃべってみると少し低い声だが問題なくしゃべれる。90分2コマ。しゃべりきることができた。今日からしばらく妻がいない。朝、目覚ましが鳴らなかった。何となく目が覚めてしまったので、まだ早い時間だろうと思って階下に下りていくと正午だった。目覚ましは11時にセットしたはずなのだが。時計が止まっているのかと寝室に引き返したが動いている。不安なので妻の時計もセットすることにした。とにかく本日は午後からの仕事なので支障はなかった。毎日、明け方まで仕事をしていて、11時半くらいに起きる。妻がいないと仕事が進む。

12/10
メンデルスゾーン協会忘年会。事務所にしていたサロンが解散したかと思ったら自主的に存続するということになり、専従の人がいなくなったのですべてセルフサービス、それで忘年会ができるのかと思ったに、ビルの1階で営業している中華料理屋から出前をとるとのこと。料理だけとって酒は自前ということで、なかなか充実した忘年会であった。少し飲み過ぎ。

12/11
土曜日。完全休日。やや宿酔。今週は酒を飲まない日々が続いたので、昨日だけたくさん飲んでしまった。まあ、すぐに回復。悪魔祓いのシーン、いい感じで進んでいる。

12/12
日曜日。悪魔祓いのシーン完了。ここまでは事前に考えていたストーリー。ここから先は、自分でもどうなるかわからない領域。歴史小説だから歴史から逸脱することはできないが、女帝と道鏡がどういう経緯で親密になっていくかは歴史書には書かれていない。しかしとにかく親密になるしかないので、親密になってほしい。

12/13
今週のピークがいきなり月曜日に来た。1日に3件も仕事がある日。まず午前中、東大図書館で図書館との協議会。これは出席するだけでいい会議。次に三田会議所で著作権分科会。これは1回だけ発言。その後、W大で講義。東大→三田会議所→早稲田、南北線で往復することになる。乗り慣れていない路線。しかも東大前から乗るところ、考え事をしながら歩いていると入口に気づかず、本駒込まで歩いてしまった。女帝と道鏡のことを考えていた。会議中もずっと考えていた。どうやってセックスに到るかを考えていたので、会議の内容があまり頭に入っていない。仕方がない。自分の仕事を優先したい。そういうこともある。

12/14
今日は歯医者だけ。歯医者に行く日はいつも気が重いのだが、昨日がハードだったので、今日は歯医者だけかと軽い気分で歯医者に行く。2週間前に歯医者に行ったその翌日から咳が出たしたのだが、ほぼ回復した。治療中に咳き込むことはなくなった。ただまだ少し、咳が残っている。作品社からメール、『新釈白痴』の見本ができたとのこと。今年の正月から7月にかけて書いた作品。自分にとってベストの仕事ができたという思いはあるし、2回の校正のおり、自分が書いたものとも思えない文章に圧倒されるような思いだった。書いている時は確かに自分が書いているのだが、少し時間がたつと書いた時のことを忘れていて、どうやってこれを書いたのかが思い出せない。もちろん、もう1度同じものを書けといわれても書けない。いずれ『新釈悪霊』を書くことになるのだろうが、もう1度同じことができるのかどうか。ところで、原作のドストエフスキーの『白痴』はむだなところが多く、面白さを削いでいるし、女性2人のキャラクターの充分に輝いているとはいえない。わたしの作品の方が面白いと自分では思っている。ただムイシュキン公爵は登場しない。まったく別の話になっている。ドストエフスキーの創作ノートにある別のプランを忠実に再現したものだ。ドストエフスキー原案であるが、全体を書いたのはわたし、のはずだが、書いた記憶がないのは何となく残念。これを書いていた時は三省デジ懇があって、生涯で一番多忙だった。電子書籍の方でも頭を使う必要があったので、頭のキャパシティーがいっぱいになっていて、余分なことを記憶するメモリーが残っていなかったのだろう。とにかく本が1冊できた。自分の人生に一つの目盛りが刻まれた。

12/15
ペンクラブの理事会と忘年会。昨今の電子書籍について、ペンクラブの理事の方にも問題を共有していただきたいと思い、コンパクトに説明したので、ご理解をいただいた。いろいろな方からアドバイスをいただいたのでありがたかった。このところ自宅では飲まないことにしているのだが、酒が目の前にあると飲んでしまうので、少し飲み過ぎたかもしれない。朝、旅行に出ていた妻が帰ってきた。日常が戻る。でもこの一週間、仕事は進んだし、公用もこなしたし、ダイエットも進んだ。この状態を何とかこれからも続けていきたい。

12/16
M大学。何事もなし。

12/17
文化庁で小委員会。図書館と電子書籍について。予想外に充実した議論。しかし解決の方向性は見えない。紙の本は本屋さんで買えるが、電子ジャーナルは発行元と契約を結ばないといけないので、図書館は本をタダで貸せるという従来の概念が通用しない。でもこれは図書館というものを根本から考えるいい機会だろう。文藝家協会に寄って三菱総研と打ち合わせ。それから文藝家協会とも打ち合わせ。それが終わってから少し遅れて作品社との飲み会。『新釈白痴』。年内に発売することができた。世界レベルの文学作品だね、ということで担当編集者と書き手の意見が一致した。しかし次の第三弾は、さらにレベルアップしなければならないという編集者のプレッシャーに、そんなことはわかっているよと言いながら、少しひるむ書き手であった。

12/18
土曜日。何事もなし。今週のハードだったので休日はありがたい。

12/19
日曜日。いつもは土曜日にあるコーラスの練習がなぜか今月は日曜日。しっかり仕事をしてから八王子に出かけていく。本日は先生の家。それからめじろ台駅前の料理屋。少し控えめに飲んで帰ってからも仕事をする。

12/20
先週の月曜日は午前中の会議があった。妻がいなかったので目覚まし時計で起きた。本日は妻がいるがちゃんと目覚まし時計で起きた。午前と午後、連続で国会図書館で会議。両方の会議に出ているのは国会図書館の人を除いてはわたしだけ。文藝家協会にちらっと寄ってから大学。本年最後の授業。このクラスは熱心に話を聞いてくれる。著作権の話なので興味をもって聞いてもらえる。夜中、仕事少し。

12/21
火曜日だがもはや公用はなし。また来週の月曜、午前と午後に会議が入っている。どうして月曜日に会議が集中するのか。とにかく本日は何もなし。『道鏡』3章のゴールが見えてきた。全体は5章なので半分は過ぎている。年内に3章を終えたいと思っていたのだが、少し予定より早い。いい感じになってきた。『新釈白痴』届いたというメールで電話が届く。まだ読んだ人はいない。読むのに一週間以上はかかるだろうし、暮れで忙しいので、読んだという声は来年になってからだろう。

12/22
病院。とくに問題なし。帰って急に年賀状を作らねばと思った。しかしやや気が思い。年賀状のソフトや住所録は、ふだんまったく使わないデスクトップのパソコンに入っている。昔はウイルスが怖くて仕事のパソコンはネットから遮断してあったので、メールのチェックはデスクトップでやっていた。しかしウイルス対策が進んだようだし、ルーターから長い線をつないで仕事で使うラップトップをネットにつなぐと、調べ物が便利だとわかったので、メールもラップトップでチェックするようになった。途端にデスクトップはほとんど使わなくなった。で、今年の夏くらいに久し振りにデスクトップのスイッチを入れたら挙動がおかしかった。それっきり怖くて触っていなかったのだが、年賀状を作るためにはラップトップを動かさないといけない。で、スイッチを入れたら、やっぱりおかしい。何かのファイルがないといって、ウィンドウズが立ち上がらない。起動ディスクを入れろ、などという指示が出たりもした。そんなものどこにあるか知らない。何度か再起動しているうちに、危険な状態は回避されました、という表示が出た。無くしたファイルをどこからか見つけてきたのではないか。コンピュータというのは修復能力があるようだ。で、とにかく動き始めたので、今度はスイッチを切るのが怖くなった。まず住所録の一覧をプリントすると同時に、エクセルのファイルにしてメモリーカードに保存。途中でデスクトップが壊れたらラップトップで作業をするつもりだった。年賀状なんて、フリーソフトでも出来るだろう。とにかく住所録だけは確保した。そのままスイッチを切らずに裏面を作る。フォーマットは毎年同じ。絵と文章を変えるだけ。ウサギの絵はすでにネットで見つけてカードに入れてあった。あっという間に完成。すかさずプリントする。プリンターが作動している間に、プリントしてあった住所録と、今年の正月に届いた年賀状を比べてチェック。喪中の人もチェック。裏面のプリントが終わると住所録の修正を入力。それから宛名のプリント。最初のデスクトップのトラブルで立ち上がるまでに時間がかかったので、全体として9時間くらいかかった。その間、届いたばかりの『平安朝の悪女たち』のゲラを読んだりもしていたので、9時間がまったく無駄だったわけではないが、何だかひどく疲れた。しかし年賀状は完成した。今年も終わったという感じがする。1月から7月まで『新釈白痴』を書いていた。ロシアの話だし、ドストエフスキー原作の哲学小説だし、1200枚の大作だし、これを7ヵ月で書いたというのは奇蹟だ。ドストエフスキーの霊が乗り移ったと担当編集者には言ったのだが、ほんとうにそんな気がする。昔、『デイドリーム・ビリーバー』を書くのに3年くらいかかった。2行しか表示しない専用ワープロで書いていた。コンピュータの性能が上がり、自分の頭の性能も上がったのだろう。単純に言って、小説を書くのがうまくなったということもあるし、頭の回転が早くなった。大勢の人と会い、議論をするようになったせいもあるだろう。その意味で、著作権の仕事は役に立っている。『新釈白痴』を書いていた時期は三省デジ懇の期間と重なっている。生涯で一番忙しかったが、その忙しい時期に1200枚の大作を書いていたのだ。会議で頭の回転に拍車がかかり、そのままに勢いで夜中に仕事をした。頭が回転しっぱなしだった。ちょっといま、息切れしているかもしれない。

12/23
祝日。友人がこの日のことを「年賀状を書く日」と呼んでいたが、わたしは昨日、作業を終えたので、まずポストに投函。これで完了。妻と散歩に出かけた。表参道のあたりを歩いてから地下鉄で六本木へ。ミッドタウンのそばのカフェで軽くビールを飲む。電飾を見に来た大群衆を見て帰る。今日はのんびりした休日。仕事もせず。

12/24
本日は歯医者だけ。その歯医者に出かける前に3章完了。道鏡と吉備真備という大物二人が再会するシーン。うまく書けた。そして吉備由利というもう一人のヒロインが登場する。いい感じで3章が終わった。4章は戦闘シーンがあるのだが、道鏡自身は戦闘に加わっていないので、道鏡の視点では戦闘を描けない。小説の構造上の問題。これをどう処理するかはやってみないとわからない。クリスマスイブだが、老夫婦2人だけの生活。それでも妻がトリ料理を作ってくれる。子どもが小さかった頃は、家族でクリスマスイブを祝ったものだが。いつだったかバルセロナでクリスマスイブを迎えたこともあった。まあ、いろんな想い出がある。想い出をかかえて老後は静かにすごす。こちらは仕事を続けるばかりだ。4章を少し書いてから「クリミナルマインド」を見る。このドラマを見る度にアメリカには住みたくないと思う。変質者や殺人鬼が多いのだ。といってもドラマの中の世界だが。しかしこんなドラマができるくらいだから実際に事件も多いのだろうし、この番組を見た人間が変質者になるということもあるだろう。とにかく、アメリカは怖い。

12/25
土曜日。渋谷まで散歩した大黒屋でソイジョイを買う。人間ドックでかんばしくない結果が出たので夜中に酒を飲むのをやめている。酒を飲むとカロリーの高いものを食べてしまうのでメタボになる。酒がいけないというわけではないので人と会えば飲むのだが、一人で自宅で夜中に飲むのを止めることにした。しかし仕事の合間にコーヒーブレイクの時間がほしいが、夜中だからコーヒーを飲むわけにはいかない。そこでゼロ%ビールにソイジョイ、というブレイクにしている。ということでソイジョイを大量に買う。年末年始もダイエットを貫きたいが、次男がいるから、まあ、多少は飲んでもいいか。4章、進んでいるのだが少し解説っぽくなっている。イメージがうすい。ここをどう描くか。しばらくは試行錯誤が続くだろう。

12/26
日曜日。これほど休日が続くのは久し振りだ。やはり年末だからか。しかし明日は2件公用がある。それで今年も終わりだが。『道鏡』は一気に進んでいる。仲麻呂の反乱が始まろうとしている。歴史的には仲麻呂の反乱ということになっているが、実はこれは道鏡と吉備真備によるクーデターだ。つまり仲麻呂は被害者と見ることもできる。しかし仲麻呂は強大な権力をもった独裁者だから、反乱を起こす側に義があると見てもいいだろう。小説はそういう感じで、反乱を描く。実は作者自身、どちらに義があるか、何も考えていない。歴史とはそういうものだろう。一方に加担する必要はない。吉備真備の図上演習のようなものを設定したので、それで戦の全貌が見えるようになった。そういう効果もあっていいだろう。

12/27
月曜日。このところ月曜日は会議2件に大学というのが2週続いたが、今週も会議が2件。大学はもう休みなので少しはまし。初台の著作権情報センター。妻に車で送ってもらう。午後は文化庁。これで著作権関係の仕事納め。自分の仕事は年始年末も続。『道鏡』の4章。順調に進んでいる。
朝から会議があったのでネットを見るひまがなかった。夜になってフットボールの結果を見る。何とNFCの方は、2位チーム2つのプレーオフ出場が決まってしまった。これでは最終戦の楽しみがない。まだ出場が決まっていないのは南地区の優勝チームだけ。これはコルツが勝てば文句なしで決まり。NFCでわたしが支援しているのはスティーラーズとコルツ。トーナメントの山の割り振りがどうなるかまだ未定の部分もあるが、最終戦にスティーラーズが勝てば、ペイトリオッツとスティーラーズがシードということになる。コルツがペイトリオッツの側の山に入ってほしい。AFCは混戦。地区優勝が決まっているのはベアーズとイーグルスだが、月曜に試合のあるファルコンズの優勝はまちがいない。ファルコンズが第一シード、ベアーズかイーグルスが第二シードだろう。このベアーズかイーグルスの山にセインツが入りそうだ。西地区の優勝はおそらくラムズだが、そことワイルドカードの2チーム目が対戦することになりそうだが、この最後のカードが超混戦。ジャイアンツ、パッカーズ、バッカニアーズにまだチャンスがある。わたしとしてはジャイアンツが残ってファルコンズとカンファレンス準決勝で対戦して(できれば勝って)ほしい。もう一つの山にはわたしが支援しているベアーズ、イーグルス、セインツが入りそうだ。わたしとしてはビックのプレーを見たいのでイーグルスにがんばってほしい。ということで、両カンファレンスの決勝は、ペイトリオッツ(コルツに勝ってほしいが)対スティーラーズ、ファルコンズ(ジャイアンツもがんばれ)対イーグルス(もしかしたらセインツ)になるのではないか。理想をいえばスティーラーズ対イーグルスというスーパーボウルを見たい。しかし今年のペイトリオッツは強い。新人のタイトエンドがよさそうだ。ペイトリオッツ対イーグルスになれば、心おきなくイーグルスを応援できる。

12/28
早稲田の同窓会。毎年、年に一回、この時期にやっているのだが、何か人数が減ったなという気もするが、親しい人ばかり残っているので、まあいいか、という気分。大学というのは二十歳くらいで、全共闘時代で、揺れ動くことの多かった友人たちだが、還暦を過ぎてもつきあっていられるというのは貴重なことだ。

12/29
仕事場に移動。ここは駐車場から住居まで高低差があるので荷物の移動が大変。ネットもADSLなのだが、無事につながった。とにかく無事に仕事ができる状態になった。

12/30
仕事場は木造なのでとても寒い。仕事は順調に進んでいる。一年の総括というほどのこともないのだが、この一年を振り返る。『新釈白痴』に7ヵ月かかった。あとはと『老後の難問(仮題)』と『平安朝の悪女たち』。いずれもまだゲラの段階。それで一年が暮れていく。『道鏡』が半分以上書けているので、まあよくがんばった一年といえるだろう。2000枚ちょうどくらいだが、これには『道鏡』を加えていないので、去年ほどではないにしても、かなりの仕事をしている。若い頃はこれほどは書けなかった。迷いが多かったということか。もはや何の迷いもない。命が限られているので書けるものを書いておこうという気分だ。来年は『道鏡』を仕上げて、新書を一冊、ここまでしか決まっていない。順番だと児童文学、それから『新釈悪霊』ということになるか。それで一年はほぼ終わる。『道鏡』の次の河出の仕事も考えないといけない。薬子をやりたいのだが額田女王もやってみたい。まあ、そんなことで児童文学と『新釈カラマーゾフ』をやればその次の一年も終わる。その先には空白地帯があるのだが、まだやりたいことのプランはいくつか残っているので、命のある限り書き続けたいと思う。

12/31
大晦日。次男一家が到着。スペインの長男からも電話がかかってくる。自分に家族がいるというのは貴重なことだと思う。


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