「犬との別れ/その他」創作ノート1

2004年03月〜

03月 04月 05月 06月 07月


03/01
一昨日から風邪でダウン。土曜、日曜で、公用がなくてよかった。昨日の昼間は寝ていて、深夜になってから急に頭痛がとれた感じがしたので、起きて仕事。本日から「犬との別れ」を本格的に書き始める。並行して「老人団塊」の直しの作業もする。こちらもけっこう手がかかる。一度書いたものを直すのは時間がかかる。「犬との別れ」は白紙に書き込んでいく作業だから、楽ではあるが、文体を失敗すると全部書き直しになるので、出だしは慎重にいく。何度も読み返して、これでいいか確認しながら進む。いちおう1月に文体は確立してあるのだが、時間も経過しているので、この文体で気持ちが乗れるかどうか、しばらくやってみないとわからない。途中までは「吾輩はハスキーである」と重なる部分が多いので、テンポよく語りたい。ただ今回は犬の話が中心ではなく、一種の私小説なので、自分の人生観のことなども語っていきたい。もちろん、犬は話が話の縦糸になる。風邪はほぼ治ったと思うが、夜中から起きているので、時差ボケ状態になっている。「老人団塊」は類書が2冊先に出てしまったので、これを読んで、類書に書いていない新しい論点を盛り込みたい。プランもできているが、どこに挿入し、どういうふうに修正して全体の流れを作るかが難しい。結局、部分的な修正ではなく、最初から最後までを読み通しながら細かく訂正していくしかないと思う。時間はかかるが、コツコツやればできる作業だ。

03/02
渋谷で祥伝社の編集者と打ち合わせ。仏教関係の新書の依頼だったが、わたしの旧著「聖書の謎を解く」と「般若心経の謎を解く」では聖書の方が4倍くらい売れたという話をしたら、キリスト教でもいいということになった。「桓武天皇」を書きながら、最澄や空海のことを考えていたので、いま仏教は少し重い。新書を書くためには軽いスタンスが必要だ。キリスト教についてはいまは客観的になっているので、書けそうな気がする。このノートのタイトルを「犬との別れ/その他」としているのは、犬についての私小説を書いた後、物理学の本、その次のこの仕事をと考えていたからだ。もう始まったので、タイトルはこのままにするが、「犬/重力/12使徒」というような内容になる。しかしこれでは何のことかわからないだろうな。

03/03
本日は公用なし。三軒茶屋まで散歩。花粉が目に来た。思考力が鈍っている。

03/04
パブリッシングリンクという会社はソニーと大手出版社が作った小説などのデータ配信の会社。説明を聞き、対応を検討する。契約は出版契約にリンクさせるのが楽だが、福祉関係のデータ配信について配慮するように求めた。貸与権関連でも、出版契約の雛形を作る必要があるので、その時に一緒に検討したいと思う。

03/05
理事会。発表することが多くいつも疲れる。が、さまざまな問題は少しずつ前向きに進みつつある。

03/06
めじろ台男声合唱団の宴会。本日はバスバリトンのパート練習でこちらは関係ないはずであったが、練習のあとで宴会をするというので呼び出された。電車の中で団員のお嬢さんと会った。子供の頃のイメージしかなかったので、誰かわからなかった。わが次男と同じ年のはず。宴会は盛況であった。団員の夫人たちも集まった。わが妻は欠席だが、電話を入れたみたいで、三田さんに酒を飲ませないようにという指令が出ていたようだ。親しいメンバーと飲んでいると酔いやすいということはある。

03/07
日曜。三軒茶屋に散歩。「団塊老人」の最終チェック。山場は越えたが、冒頭部分の論理を変えたので、残りの部分も少しずつ修正が必要。全体を読み返しながらチェックする必要がある。

03/08
図書館との協議会。今回で今期の協議も終わり。次回からは組織が変わり、参加者も若干変更になるので、協議会の後、打ち上げをする。公貸権問題については、別途に協議をして、図書館協会と共同で声明か請願書を作りたい。飲み会は楽しい。ずっと論争を続けてきた相手だが、飲めば仲間になる。

03/09
「団塊老人」のチェック。かなり進んだが、結論となるべき部分を大幅に書き換える必要がある。2日ほどで仕上がるのではないか。

03/10
文芸家協会で打ち合わせ。NPOとの仕事の分担について多少の意見の相違があり、ペンディングの状態になった。まあ、何とかなるだろう。「団塊論」草稿とは全然違う結論になりそうだ。エンディングの部分にやや理屈っぽい見解を加えることにした。担当編集者からは理屈が多いといわれたのだが、論理を提出しないと個性が出ない。異論はあるだろうが、問題提起としては意義があると思う。

03/11
教え子の芦永奈雄(ペンネーム)くん来訪。『「本当の学力」は作文で劇的に伸びる』という本を出したばかりで、この本はアマゾンでは何週間もベストテンに入っている。通信教育で作文を指導した体験を書いたものだが、書いた文章を誉めてやると子供に意欲が出てきて、それが全体に子供を元気にするということは、確かにあるのではないかと思う。いまの学校教育は、誉めるということが少なすぎる。むしろ競わせることはよくないと考える教師が多いせいだろう。テストの成績だけで順位を決めるのはよくないが、むしろスポーツや技術や芸術など、さまざまな機会で子供を競わせて、誉める機会を増やすべきだ。芦永くんは、学生時代はどことなく無邪気すぎるような感じがしたが、子供の指導を通じて人間も成長したように見える。

03/12
ペンクラブ言論表現委員会。貸与権、公貸権、教育関係と、わたしの報告が続いた。委員長の猪瀬さんはやや疲れ気味。無理もないと思う。このうち公貸権については、図書館協会と直接、協議をすることにして、ペンクラブからは広報部長に出てもらうことにした。ただし本日は広報部長欠席につき、こちらからお願いのメールを送ることとする。
テアトル銀座で「2ピアノ4ハンズ」を観る。これが何なのか、事前に情報がインプットされていなかったので、プレイが始まるとびっくりした。2台ピアノということは事前に知らされていたし、舞台を観ればピアノが2台あるので、2台ピアノの演奏の間に、トークショーのようなものがあるのかと想像していたのだが、そうではなかった。これはギャグコントふうのドラマであった。ピアノを練習させられる子供の楽屋オチ的なギャグが続き、最後に悲しいエンディングになる。ぼくらは世界一のピアニストではない。国一番でも街一番でもない。ご近所で一番のピアニスト……というくだりには、わが家にもピアノを学ぶ少年がいたので、身につまされた。ギャグはものすごくウケていた。子供の頃、ピアノを習わせられた体験をもつ人なら、胸がズキンとするようなギャグの連発であって、わたしも笑ったけれども、あとでものがなしくなる。ということは、まさにエンターテインメントの王道だろう。ギャグは二人のプレイヤーの自作自演で、ギャグにからめて演じられる演奏もなかなかのものであった。字幕も出るのだが、音楽用語が多いので英語でも笑えた。

03/13
母が転んでケガをしたというので見舞いに行く。足の甲にヒビが入ったとのことだが、意外に元気そうだった。その後、男声合唱団の練習。宴会。気持ちよく酔って仕事はできず。

03/14
次男と婚約者が来て夕食。長男の嫁さんはスペイン人で、言葉が通じない。今回は日本の人なので話ができる。よかった。「団塊老人」の書き直し、ようやく終わる。ただちに「犬」にとりかかる。冒頭の犬と出会う章は完成。ここからは古い日記を捜し出して、何があったか思い出したい。

03/15
著作権白書の委員会。足かけ三年に及ぶ作業もようやく今回が最終回。これで著作権研究所とも縁が切れたかと思ったが、母体の著作権情報センターの理事になることになっているので、まだこの初台の事務所とは縁が切れない。自宅に帰って古い日記を捜し出す。意外に簡単に出てきた。1983年から業務日誌をつけている。ホームページに公開しているものとは違う、プライベートなことも書いてある当用日誌である。犬を飼い始めたのはたぶん1987年からなので、まったく問題はない。日記をそのまま書き写すだけでも本一冊できてしまいそうだが、これから書く作品は犬日記ではない。一種の私小説であり文学作品である。日記の材料を用いながら、私とは何かという哲学的な考察に及ばなければならない。犬は一種の鏡である。犬と向き合うことで自分が見えてくる。

03/16
ドリル業者との懇談会。業者との協議は3年以上に及んだことになるが、当初は対立することも多かった。しかし話し合いの過程で、何が必要なのかということが見えてきた。話し合いというものの大切さを実感することができた。このプロセスに立ち合った人が認識していることを、どのように一般の著作者に伝えていくか。業者は悪、と単純に決め込んでしまう著作者が一部にいるということが問題であり、そういう人にとっては、業者と談合しているわれわれも悪の仲間ということになるのだろう。誤解は話せばわかるはずだが、意図的に曲解する人がいないわけではない。著作物の教育目的の使用は、一般の二次利用とは区別されなければならない。一方で、教育関係者の中には、教育目的なら何でもタダで使えると思いこんでいる人もいる。話は単純ではないが、話し合いの過程で、共通のコンセンサスが生まれる。図書館関係者や教育関係者とも、持続的に話し合いを続けたいと思う。
「団塊老人」は昨日プリントして、今日郵送した。昨夜は「犬」のために、古い日記などを読み返していたのだが、するとドーンと気が滅入ってきた。いつも、「いま」と「未来」のことしか見ないようにしているのだが、過去には試行錯誤とか、認識不足による過誤とか、あまり思い出したくないことも少なくない。これを見つめるというのが、今回の試みだから、避けて通ることはできない。

03/17
今週はこれからずっと公用はない。下北沢まで散歩。北沢川は桜の名所である。わたしと妻がアンコ屋公園と呼んでいる、昔アンコ屋があった公園に、一本だけいつもフライングして咲く桜がある。八分咲きになっている。それ以外の桜は、まったく咲いていないが、いまにも咲きそうな気配がある。そういう気配の下を歩くと、じわじわと何かが迫ってくる。西行になったような気分である。「なにとなく春となりぬと聞く日より心にかかるみよしのの山」

03/18
東京も開花宣言したとのことだが、冷たい雨が降っているので散歩はせず。室内で腹筋などして運動する。「桓武天皇」のゲラ届く。気持ちがひきしまる。読み返すには気力の充実が必要なので、週末からとりかかることにする。「犬」、少し調子が出てきたが、これは犬の話ではなく私小説なので、こちらも気持ちの充実が必要だ。犬が来た時期は、わたしが「デイドリーム・ビリーバー」を書いていた頃で、これは自分にとっては大きなステップとなった作品ではあるが、三年も書けて書いたのに反響は少なかった。いまでも時折、おそらくは図書館で読んだと思われる読者からお便りが来る。自分にとっての代表作であるし、未完の「帰郷」を除いては一番長い作品ではあるが、書いている時は、かなり辛かった。その辛さから逃避するために、中学受験をする次男の家庭教師をしていたふしがある。その辛い時期を見つめなければならないというのは、大変な仕事だが、これが私小説を書く醍醐味でもある。来月発売の「小説の書き方」はまだタイトルが決まらないが、一時は「小説を書くと自分が見える」というタイトルを考えていた。実際にはこのタイトルにはしないが、小説を書くというのは、まさにそういう行為なのだ。

03/19
浜名湖の仕事場に移動。いちおうパソコンはもっているが、「桓武天皇」のゲラ直しにとりかかる。冒頭の部分を読んでみる。このあたりは何度も読み返しているので、ほぼ完璧。ワープロをプリントした原稿に比べて、ゲラは文字が小さい。その方が視野が広くなる感じがして、作品との距離がとれる。文体が安定していることを確認してほっとする。

03/20
土曜だが春分の日の休日。この仕事場を建ててくれた大工さん来る。斜面の松を刈ったり、キウィの棚を整備してくれたり、いろいろと世話になった。昼飯を食べにいくことになり、豊橋の郊外のステーキハウスで2000円のランチ。よい店であった。ゲラ、1章終わる。安定している。

03/21
日曜。昨日、大工さんがタケノコをくれたので、タケノコご飯にしようと思ったが、鶏肉がない、と妻がいうので、散歩がてら農協の支店まで行く。30分くらいの距離だが、行ってみると閉店していた。休みということではなく、永遠に閉店である。車で少し行けば本店があるので、利用者が減ったのだろう。しかしこの歩いて行ける距離にある支店には、20年以上にわたってお世話になった。しかし考えてみれば、買い物のほとんどは三ヶ日の中央にある農協か、気賀のヤオハンか、鷲津のイオンに行っていたので、この支店の存在は精神的な安心感になっていただけだ。ほとんど買い物をしなかったので、閉店になっても文句はいえない。2章終わる。問題はまったくない。

03/22
三宿に戻る。今週は公用はないので戻らなくてもいいようなものだが、郵便物が来るので戻ってきた。実際にNPOのゲラが届いていたので戻ってよかった。途中、足柄の手前で吹雪になった。風が強いし、雪もすごかった。都夫良野トンネルをくぐると雨になっていた。ラジオを聞くと、わたしたちが通り過ぎたあとで、東名は事故で通行止めになったようだ。

03/23
妻と秋葉原へ行って、パソコンとプリンターを買う。この前、買ったのは、6年前くらいだ。さすがに対応しきれないことが多くなって、買い換えることにした。しかし、最近のパソコンはテレビが映るのにフロッピーは外付けになっている。選択の余地がほとんどないが、とにかくテレビがなくとフロッピーが使えるものを選んだ、というか、そういうものは1機種しかなかった。毎日、ゲラを見ている。はっきり言って、よくこんなものを書いたなという驚きがある。「桓武天皇」って、どういう人なのか、誰も知らない。これは桓武天皇を描いた最初の作品ではないかと思うが、もちろんそこには、作者のヴイジョンが投影されている。しかし無理な解釈はないと思う。史的事実を見ているうちに、自然に作者のイメージの中に浮かび上がった人物像だ。わたしはこの桓武天皇が、わりあいに好きだ。ピュアで、いい人だと思う。こういう人になりたいとも思う。

03/24
3月だというのに寒い日が続く。雨が降ってきたので散歩には出ず。「桓武」の校正、順調に進む。「犬」も少しずつだが書いている。

03/25
姉の芝居を観る。天王洲アートスフィアという、ふだん行かない場所。お台場へ車でいく時に通るところなので場所は知っていた。別役実の『千年の三姉妹』。別役さんとは昔、対談したことがあるような気がするが、実は、芝居を観るのは初めて。三田和代さんが出演するのももちろん初めて。不条理劇はあまり好きではない。覚悟していたが、それなりに面白かった。天王洲というところも初めてだが、わざわざ行くほどのことはない。劇場はよかった。

03/26
三軒茶屋まで散歩。帰りに北沢川緑道に回ってみたが、桜はまだ二分咲き。「桓武」のゲラ。一定の速度で読んでいる。この週末で完了するだろう。

03/27
妻と下北沢まで散歩。北沢川の桜はまだ二分咲き程度。開花から一週間、寒い日が続いたので、そのままフリーズしてしまったようだ。テレビで見ると都心の桜は満開に近い。このあたりは都心よりは寒いのだろう。

03/28
妻と目黒川を散歩。こちらの桜もまだまだ。自衛隊の三宿駐屯地、世田谷公園なども見る。三分咲き程度か。「桓武天皇」の校正完了。充実した作品だと思う。八十人以上の登場人物が、生き、死んでいく姿が見えてくる。時代の動きも見える。書きたかった世界が読者に伝わると思う。さて、次の小説について考えなければならない。

03/29
「桓武」のゲラが終わり、「犬」に集中したいところだが、雑文が少しある。桜が八分咲き。いい季節だ。

03/30
著作権情報センターの総会兼理事会。いままで著作権白書の会議で通っていた初台オペラシティーの情報センターだが、白書がようやく終わったと思ったら、ここの理事になったので、これからもこの場所に縁ができた。いつも行きは妻に送ってもらい、帰りは京王線で明大前乗り換えになる。今日は井の頭線の急行が来たので、下北沢で降りて散歩した。いつもの北沢川緑道。桜はほぼ満開である。

03/31
先日、秋葉原へ買いに行ったパソコンがようやく届いた。一昨日、光ケーブルが入って端末のランプが点灯しているのだが、古いパソコンの性能では対応できないので、新しいパソコンの到着を待っていたのだ。信濃毎日の記者来訪。月に二回ほどエッセーを書く。その後、散歩。パソコンの設定は気が重い。夕食のあと、ようやく配線をしてスイッチを入れてみる。するとマウスがまったく動かない。サポートに電話をすると、ジャッグを抜いたり差したりして、再起動してみる。結局それで動いた。最初の接触がわるく、パソコンが認識しなかったのだろう。それでえらい時間をとり、疲れ果ててしまった。インターネットにつなげることを確認し、プリンターのドライバーソフトを入れただけで本日は終了。


次のノート(4月)に進む。


ホームページに戻る