「アトムへの不思議な旅」創作ノート2

2008年10月

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10/01
文化庁著作権分科会。如水会館まで妻の車で行く。3回ほど発言。何か言わないと来た意味がない。終わって外に出ると、ちょうどいい気温。台風が来るという話もあったが、勢力が弱まったようだ。海水温も冷たくなったのだろう。矯正協会の選評を書く。並行して『罪と罰』も読んでいる。次の仕事、ドストエフスキー論のための準備。

10/02
三越劇場でニール・サイモン(原作アントン・チエホフ)の『ザ・グッド・ドクター』を観る。姉の三田和代が出演している。チエホフが愛したと伝えられるドタバタ喜劇。まあ、面白かった。上の階で伝統工芸の展示会をやっていたので帰りに見た。それから妻と日本橋のあたりを散歩。洋食を食べようと思ったが満席だったので京料理の店でジョッキ三杯飲む。今日はオフだな。深夜テレビで『プリズン・ブレイク』の第三シリーズが始まったし。

10/03
金曜日。公用はないので休日のようなものだが、作家としてのわたしには休日はない。ガリレオの話を書いているのだが、迷いがある。説明がくどい。ここを短縮すべきか、ものすごーく迷っている。で、中学生の作文を読む。この時期、わたしは三つのコンクールに関わっている。矯正協会。これは刑務所に入っている人々の創作と随筆のコンクール。それから伝統工芸に関する中学生の作文。これは審査委員長をしている。最後は世田谷文学館の文芸コンクール。これは世田谷区在住か在勤の人々の作品。書く人が違うので楽しく読めるのだが時間をとられる。で、中学生の作文、全部読んだ。さて、ガリレオについて、大幅カットも考えたのだが、それは逃避だ。もっと面白く語れるはずだ。明日から体勢を立て直して、もっといきいきとした文章を書きたい。

10/04
土曜日。ここまでの文章を読み返している。「はじめに」と第一章はいい。第2章の途中から深みにはまりこんでいる。これは簡単に立て直せる。ただ集中力が必要だ。

10/05
日曜日。雨が降るというので早めに散歩。あとはひたすら仕事。作家に日曜日はない。ガリレオが慣性の法則を発見するところ、ようやく困難な箇所を突破した。全体をカットしようかとも思ったのだが、何とかコンパクトに語ることができた。わたしは科学者ではないので、科学に関する読み物を書く場合は、ひたすら文章だけで勝負するしかない。そこがまた面白いということもできる。並行して『罪と罰』も読んでいる。わたしはこれを予審判事ポルフィーリーの視点からとらえることで、まったく新たな問題提起をしようと思っているのだが、ほとんど動かない予審判事の手足として、書記官ザミョートフを活用しなければならないと考えている。これは最初に読んだ中学生の時、ザミョートフという名前が妙に記憶に残っていたからだ。今度、改めて読み返してみると、ザミョートフは最初から大活躍している。この小説の登場人物は、誰もがマニアックで、変な人々なのだが、ザミョートフはちょっと変な人だ。ところで、読み返しているうちに奇妙な点に気づいた。主人公のラスコーリニコフは、予審判事にまだ会っていないはずの時点で、親友のラズミーヒンに、「予審判事のことはきみも知っているね」と問われて、知っているような答え方をしている。これって変!

10/06
月曜日。著作権の講義。まあ、気持よく話せた。『罪と罰』を読み進んでいる。この本を最初に読んだのは中学一年の時だ。夏休み。三日ほど、ほとんど徹夜の連続で読んだ。すごい読者体験だった。その後、シェストフや小林秀雄のドストエフスキー論を読みながら原典を参照したことはあるが、通しで読むことはなかった。大学で一年間、『罪と罰』を講義したことがある。その時に読み返して、ラスコーリニコフが飲んでいる「冷たいビール」が、どの程度冷えているのか気になった。中学生の時は、ビールを飲むといったことにまったく関心がなかったが、ビールの冷え加減は重要だ。今回、久々に読み返してみて、予審判事ポルフィーリーと、スヴィドリガイロフが、全体の半分くらいまで登場しないことにやや驚いた。スヴィドリガイロフはともかく、予審判事はもっと前から出ていた気がしていたのだが。わたしがこれから書く作品は、予審判事とスヴィドリガイロフが中心になる。すると、作品の前半はまったく不要になる。「アトム」も進んでいる。難関を突破したので、文章が動き始めた。
ところで、野球のことは気にしないようにしているのだが、阪神が引き分けのあと今日も負けたことで、また同率首位になった。しかも阪神の引き分けが増えたことで、最終的にまったく同率で並ぶ可能性が出てきたが、並んだ場合は直接対決で巨人の勝ち越しが決まっているので、同率なら巨人の優勝となる。ということは、いま並んでいるということは、巨人優位ということではないか。しかし直接対決が1試合あるので、いずれにしてもこの勝者が優勝に近づくことになる。さて、海の向こうのジャイアンツ(フットボール)は開幕4連勝。イーライ・マニングはいよいよ本物になってきた感じだ。

10/07
母のところへ行く。今日はクルマではなく電車で行ったので、帰りに立川昭和記念公園に寄る。コスモスの丘でのんびりと曇った空を見る。ヘリコプターの音がうるさい。

10/08
国会図書館。議論は白熱したが、意見が対立するというのではなく、よりよき方向に進むために議論をしているという自覚が全員にあるので、充実した話し合いになっていると思う。コピーレフト原理主義者との議論は、その種の目標がないので、永遠に平行線をたどるだけなのだが、この会議は、少し先に一致点が必ずあるという希望がもてる。
さて、本日は世紀の決戦だ。一時は13ゲーム差あった阪神に対し、奇跡の逆転を目指してこつこつとがんばった巨人軍が、ついに勝敗、引き分け数まで同じで、最後の決戦を迎えることになった。両軍ともこの決戦のあとは、他チーム相手に残り3ゲーム。この決戦に勝った方にマジックが出る。阪神が勝てばマジック3。最終的に同率になれば、直接対決ですでに勝ち越している巨人の優勝になるので、この決戦に勝てば、巨人のマジック2(のこり試合は3だから2勝1敗でいいということ)が出る。とにかく、勝つしかないという決戦だ。しかしわたしは、昼間の時間を国会図書館に費やしたので、夜中に自分の仕事をしないといけない。会議中に人々の話を聞きながら、イオン結合について考えをまとめてメモしていたとはいえ、野球中継をずっと見ていると疲れるので、しばらくNHKのニュースを見、クローズアップ現代を見、試してガッテンまで見ながら、時々、隣室のテレビをつけて情報を得ていたのだが、試してガッテンが終わって妻が風呂場へ行ったので、意を決して真剣に野球を見た。内海が押し出しで降板したあとを抑えた山口が続投して、一死三塁になったところをよく抑えて二死になり、豊田がそのあとも抑えて、最終回になった。わたしは豊田を続投させるべきだと考えたが、原監督はクルーンを出した。最近のクルーンはストライクが入らず、バッターは何もせずに立っているだけで満塁になるということが続いていたのだが、阪神の打者は追い詰められていたようで、ボール球を打ちにいって三者凡退だった。いまの阪神よりは、中日の方が強い。2位になると、その中日とプレーオフになる。何とか残り3試合に2勝して、優勝を決めたい。巨人が勝ったのは嬉しいが、嫁さんが阪神ファンの次男のところが家庭不和になっていないかと心配。

10/09
妻の運転でNHKへ。夕方のラジオに生出演。夫婦の問題。『団塊老人』『夫婦って何』などの著書があり、講演でこのテーマで話すことも多いので、いつもしゃべっていることを、限られて時間に、アナウンサーの質問に応じて的確に話す。それだけのことをやれば務めは果たせる。タクシーで帰宅。本日は散歩をしなかったが、NHKの建物の中をかなり歩いた。夜、再会横浜に惨敗。マジックは2のままだが残り試合が2なので全勝するしかない。しかし阪神1つくらい負けるだろうという期待がある。『アトム』は昨日、会議中にメモしたことを慎重に入力している。その続きのことも考えないといけない。どこでドルトンを出すかということだが、そこまでにキャベンディッシュやニボアジェのことを語らないといけない。錬金術の時代との橋渡しのような部分も必要だ。ノーベル物理学賞がクオーク仮説を提出した人々になったので、クオークについても語らねばならないだろう。『アインシュタインの謎』では「神さまは分数を好まれない」という、アインシュタインのもじりで切り抜け、クオークの説明はしなかった。クオークの話にまで踏み込むと、アトム(単一の粒子)という概念が壊れるので、あまり気が進まないのだが、山場を少し早めに設定して、ゆるやかにクオークの話に進めばいいだろう。

11/10
金曜日。公用がないのでこのまま週末へ。わたしには休日はない。公用のない日は自分の仕事に集中できるチャンスだ。いつものように北沢川緑道を散歩。妻に150円以下のダイコンがあれば買えと命じられたので、世田谷代田の駅周辺を歩いてみたが、八百屋はなかった。そのまま下北沢まで行くと、餃子の王将の向かいに八百屋があった。何度も通った道だが、ここに八百屋があるとは知らなかった。小さな八百屋で、置いてある野菜の数も限られている。ダイコンは一本だけ残っていた。ぴったり150円。あとで妻に聞くと、安売りスーパーのオオゼキでダイコンがあまりに高かったので買わなかったとのこと。この小さな八百屋は良心的な店だったのだ。
夜。7時のNHKニュースでは、巨人は同点。阪神は3対0でリード。しかし巨人は2点加え、阪神は逆転された。ということは本日、優勝決定か。衛星の8チャンネルで中継をやっていた。巨人の勝ちが決まり、神宮球場のスコアボードに横浜の試合が映されている。阪神の負けが決定。ところで巨人ファンの次男と阪神ファンの嫁さんは四日市から東京にクルマで向かっていた。スリリングなドライブだったのではないか。夜中、孫が無事に到着。スペイン娘3人はそれなりにかわいいが、次男のところの日本男児もかわいい。夏休みのころは、寝返りしたあと、元に戻れなかったのだが、つい数日前から、寝返りのあと元に戻って、どこまで回転して移動できるようになった。しばらくの間、回転する孫を見ていた。夏休み身のころは、わたしを見ると喜んで笑っていた孫だったが、一ヶ月以上のブランクがあるので忘れていたようだ。しかしすぐに記憶をとりもどしたようで、わたしを見て笑うようになった。無上の喜びである。ジャイアンツが優勝したことよりも、この笑顔が嬉しい。嫁さんが孫と添い寝しているすきに、次男のスポーツニュースのビデオを見ながら祝杯をあげる。『アトム』も順調に進んでいる。

10/11
土曜日。次男夫婦はつくばの友人のところに行ったが、夜には戻ってきた。孫はわたしを認識していてよく笑う。ありがたいことである。

10/12
日曜日。本日は三軒茶屋のお祭りを見に行く。三茶通りのゴリラビルの前から太子堂八幡までの道路に店が出ている。チキンステーキという店が多い。流行りなのだろうか。バナナ不足といわれているが、バナナチョコの業者はちゃんとバナナを確保している。子ども相手のオモチャ屋が少ない。少子化のせいか。食べ物屋が多く、ビールが飲みたくなる。しかし小さなプラスチックのコップ一杯で500円もとる。とんでもない。夜、嫁さんの実家に行っていた孫が帰ってくる。孫はいい。

10/13
月曜日だが祝日。月曜日は大学の出講日なので休みはありがたい。『アトム』はスピードが出てきた。書き始めて一ヶ月近くになるが、現在は3分の1くらいのところか。ここから急速にスピードアップすれば、あと一ヶ月で草稿完成というところまで行けるのではないか。孫とともに夕食。完全母乳だが、そろそろ離乳食の準備ということで、大人といっしょに食卓を囲み、重湯をスプーンで口に運ぶ。昨日までは何のことかわかっていなかったようだが、本日、急に意欲的にスプーンを求め、ちゃんと呑み込むようになった。「食べる」ということがどういうことかわかったのだ。大人たちの口の動きをじっと見つめて、自分でも口を動かしている。こうやって少しずつ学習していくのだ。

10/14
今日からウィークデーが始まる。羽沢ガーデンを守る会。理事に選ばれた。歴史的な建物と庭はなるべく残さねばならない。夕方の貴重な時間をロスしたが、まあいい。孫は今日帰るはずだったが、もう一泊するとのこと。よかった。

10/15
孫の滞在が一泊延びたのは、東名の工事で次男一家が帰るのが大変だということになり、昨日は有給休暇をとって本日から出勤の次男の仕事を優先して、昨夜、次男だけ新幹線で帰ることにしたからだ。本日は妻と嫁さんが交替で運転してのんびり中央高速で帰った。ということで、昼頃、いつも起きる時間に起きると、孫もいないし妻もいない。ひたすら仕事をした。ドルトンの原子論について書いている。北沢川を散歩中も、ひたすら原子のことを考えていた。ふさ、散歩中に原子のことを考えているのは、わたしくらいのものだろうと思い、わたしは「変な人」なのかと思った。講談社から青い鳥文庫のゲラが届いた。同時並行で校正者が読んでいるので、これは予備のゲラだが、校正が終わるころにはこちらも読み終えて、つきあわせをすることになるのだろう。青い鳥文庫は『星の王子さま』で経験があるのだが、今回は翻訳ではなく、わたしのオリジナルの作品だ。ゲラをぱらぱらめくると感動があった。子ども向きの総ルビの版面が楽しい。わたしは児童文学を書くために生まれてきたのではと思うほどだ。小学生のころから宮澤賢治を読んできた。宮澤賢治の作品は読んでもわからない部分がある。大人が読んでもわからない仏教と科学の知識がちりばめられている。仏教と科学の知識に満ちたわたしこそ、宮澤賢治の後継者かと思うのだが、宮澤賢治の作品は難解で、同時代には受け入れられなかった。わたしは宮澤賢治の魅力は、読んでもわからないことだと思う(サン=テグジュペリも同様である)。読んでわからなければ面白くないので、読者には受け入れられないのかもしれない。宮澤賢治の名作だということで、わからなくても読めと子どもに押し付けるのもよくない。しかし「わからない」ところを残したいという意図があって、今回の「海の王子」は少し仕掛けをしてある。全体はわかりやすく書いてあるのだが、ところどころに、わからないところがある。それでいいと思っている。編集者とケンカになるのではと思ったが、とりあえずゲラになったから、この作品は世に出る。ありがたいことである。読者の反応が伝わるころに、第2弾を試みたいと思っている。タイトルはもう決まっている。

10/16
旺文社で伝統工芸作文の選考会。中学生の作文コンクール。今年で3年目か。手慣れた作業だが、賞がたくさんあるのでけっこう時間がかかる。自宅に帰ると妻が四日市から帰っていた。これで孫の滞在というイベントのすべてが終わった。平穏な老夫婦2人だけの日々が戻った。これで落ち着いて仕事ができる。

10/17
夕方まで仕事をしてから表参道の和食の店で堺屋太一氏の最終インタビュー。草稿はすでにできているのだが、やや情報が不足している部分があるので今回は編集部に質問してもらって、こちらは聞き手に回る。面白い話はいろいろ聞けたがオフレコの話もあるので、どれだけ原稿に活かせるか。疑問だった点は伺うことができたので、とにかくテープ起こしが出れば必要な書き加えの作業できるだろう。

10/18
土曜日。三軒茶屋でフェスタをやっているので妻と散歩。クラフトの販売や大道芸をやっている。人が多い。お祭りだからしようがないが。雑踏を離れていつも行く餃子屋へ。ビール2杯飲んで帰る。中日と阪神はやっぱり中日が勝った。阪神とやりたいのだが。「罪と罰」の亀山訳の1巻が出たので買った。気になるのは亀山訳もザメートフだ。わたしが中学生の時に読んだ訳ではザミョートフだった。ラズミーヒンはラズーミヒンだった気がする。記憶は定かではない。
この直前のところまで書いてから、気になってネットで「ザミョートフ」を検索したら、ウィキペディアでは「ザミョートフ」となっていた。江川卓が「ザメートフ」にして亀山新訳も踏襲したと思われる。ところでその検索結果の3番目に、何といま書いたばかりの自分の「創作ノート」が出ていた。創作ノートを書いている途中に疑問が出て検索で調べたのにそのノートが出てくるというのではシャレにならない。ところで、その検索をずっと調べていくと、「ノーリス・ヌケトール氏」に行き当たった。前から気になっていた手塚治虫のキャラクターだ。ランプやハムエッグほどの重用キャラクターではないが、時々、脇役として登場するキャラクターで、その人物が登場する作品のリストのページに、「罪と罰のザミョートフ探偵」というのが出ていた。わたしがこのマンガを読んだのは幼稚園の時で、だからザミョートフとの最初の出会いはこれだったのだ。その時に、確かに「ザミョートフ」という名が脳裏に刻み込まれたのだった。そしてこのマンガでは、ラズミーヒンはラズーミヒンでもなく、「ラズーミン」に短縮されていたし、わたしの記憶では、スビドリガイロフは登場せず、左翼学生のレーベジェフが「スビドリ」という名で出ていたように思う。

10/19
日曜日。「アトム」ちょうど半分くらいか。ここで原子というものの根本的な説明をしてから次に進みたいが、改めて原子とは何かと考えると、宇宙そのものの発生について考えることになる。なぜ宇宙というものがあり、わたしはここに存在しているのか。こういうことを考えるのが人間なのだろうと思う。

10/20
著作権講義。夜中は自分の仕事。調子が出てきた。

10/21
夕方、近所の医者へ。高血圧とアレルギー性鼻炎の薬をもらっている。他には何の問題もない。「アトム」順調に進んではいるが、頭の中が原子や分子でいっぱいになった疲れる。

10/22
中日戦。グライシンガーだから勝てると思ったが、同点のまま中継ぎ勝負。最後、クルーンが打たれて負け。これは力負けだ。中日の中継ぎから1点もとれないのでは、打線が本調子ではない。そのうち調子が出るのだろうか。

10/23
本日は公用ダブル。午前中にジャスラックで創団協の幹事会。創団協のホームページができる。当面は試験運用だが、本格的に作動すると、画期的なデータベースができる。データベースに出ていない著作者については尋ね人の欄に掲載することで、裁定制度の要件をクリアして、とりあえずの使用が可能となる。供託金をどのように運用するか、あるいは供託金不要のシステムにするかということは、今後の課題だが、これで利用者の便宜をはかることができる。といっても、行方不明の著作者の作品を復刻するなどの利用だから、もともと儲かるシステムではない。しかし、文化というものは、利益を度外視したところから生じるものだ。こういう儲からないシステムに、われわれ創作者は情熱を傾けているのである。
午後は点字図書館の理事会。視覚障害者のための録音図書の配信は順調に進んでいる。この8月からはパソコンだけでなく、ケータイでも利用できるようになった。これは視覚障害者にとって朗報だ。このような配信ができるようになったのも、視覚障害者のために著作権の権利制限が拡大したからで、これは文藝家協会の会員のご支持を得て、わたしたちが推進したことなので、日本の文藝家の良心の成果だとわたしは考えている。
公用ダブルの日はさすがに疲れるのだが、巨人軍の大勝で一気に元気になった。小笠原、すごい。

10/24
世田谷文学館で文学賞の選考。青野聰さんと。意見が一致して選考はすぐに終わった。今年はもう1つ、若い人のためのアウォードというのがあって、館長の菅野さんと選考。往路はすごい雨だったが帰る時はやんでいた。夜はプロ野球。引き分け。引き分けは勝ちに等しいというルールになっているが、これはナベツネが決めたのか。とにかく引き分けで、あと一勝で日本シリーズだ。「アトム」はイオンについての説明。頭が痛くなる。

10/25
土曜日。めじろ台男声合唱団の練習の日だが、本日は八王子の郷土芸能を鑑賞する会ということで、ただの飲み会。

10/26
日曜日。やや宿酔。イオンの説明が終わって、いよいよラザフォードの原子核の発見に到る。何でこんなことを書いているのかと時々疑問に思う。児童文学「海の王子」のゲラ読了。最後の、作者は個人的に涙がにじんだ。いい終わり方だ。最小の言葉で長大な歴史を伝えるということに成功している。こういう文章は名人にしかかけないと自画自賛。

10/27
月曜日。いつもの講義。しゃべっていると時間がすぐにたつ。10時間程度の講義ではすべてを語り尽くすことは難しいのかもしれない。終わって教室の外に出ると地面が濡れている。あとで新宿に雹が降ったというニュースを聞いた。そういえば講義中に異様な音を耳にした。エアコンが壊れたような音だったが、エアコンを作動させる時期ではないので何だろうと思っていたのだが。雹といえば、数年前、ザルツブルグのモーツァルトゆかりの大聖堂でオルガンの演奏を聞いていたら、異様な音がしたので、パイプオルガンが壊れたのかと思った。その時も雹だった。雹は怖い。

10/28
自宅にてインタビュー。教職員の文芸サークルだとのこと。自分のついて語るのは、まあ、楽しいことだが、改めて自分のころとを考えると、ずいぶん長くこの仕事を続けてきたものだと思う。だが、まだこれからだ。自分では始まったばかりだという気がしている。これからの道程は長い。

10/29
本日は公用なし。ひたすら原子について考える。量子というものをどのように語るか。これはわたし自身の世界観を語ることになるので、楽しみながら語りたい。

10/30
文藝家協会で教材関係者と協議。夏の前にこちらから提案していたことを受け入れてもらえた。ありがたいことだ。これで問題が1つ解決した。夜は浜松町の世界貿易センタービルの最上階で、東京タワーの会。堺屋太一氏の提案で、作家5人で東京タワーに関するオムニバス小説を書くことにした。この話を聞いた時は、5人が締切を守ってちゃんと書くのかいささか不安だった。わたし自身、孫4人がいた恐怖の夏休みだったので、なかなか仕事に取り組めなかったが、何とか大幅に遅れることになく原稿を提出できた。で、きっちりと本が出ることになった。その祝いの宴。東京タワーの眺めがいちばん良い場所とのことで、確かに真正面に東京タワーが見えた。しかしこちらも高層ビルなので、タワーの展望台よりこちらの方が高いのではという気もした。作家数人でのんびり酒を飲むのはいいものだ。
ところで本日はドラフト。東海大相模の太田という若者がよさそうだ。気にかかっていたのだが、文藝家協会から浜松町に向かう地下鉄の売店で、「太田巨人」という夕刊紙の見だしを見た。よかった。

10/31
ついに10月も月末だ。「アトム」は11月半ばという目標でやっている。これは草稿完成ということだが、できれば誤字のチェックを終えて完全原稿を11月半ばすべてが仕上がっていれば理想的だ。といってもふつうの仕事と違って、毎日のノルマを決めて進行できるものではない。いまは調子が出ているので、この調子が続く限り前進するということしかいえない。ゴールは見えている。いまはパウリの排他律の話をしている。これで電子の説明が終わり、最後に残っているのは湯川秀樹のパイ中間子だけだ。これでとりあえずわたしが書きたかった物語は終わるのだが、南部他3名がノーベル賞をとったので、クォークについても触れないわけにはいかない。挿図の大きさなどで調節できるはずなので、まだ枚数に余裕はあるが、できれば簡潔に説明して、哲学的な感慨を最後につけてこの一種の哲学書をしめくくりたい。誰が読むのか、という疑問は最後まで残るが、中学生くらいの人がこれを読んで理科好きになってくれればと思っている。
さて、これでこのノートも今月のぶんは終わり。あと1カ月、「アトム」とつきあうことになる。


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