クモの同定に関する雑感および私見

谷 川 明 男


同定は職人芸か

これは正しいと思います.そして,誰でもやる気さえあれば“同定職人”になることができると思っています.

慣れないと正確な同定はできません.同定のポイントがわからないのです.どこをどう見ればよいか.これは数をこなして慣れていかなければなりません.たくさんの同定経験をもった“職人”は,少ない労力で正しい同定を行うことができます.同定に慣れていないときには,見分けにくい種をずばりと同定するのは,とても真似のできない職人芸と感じるでしょう.しかし,最初からそんなに難しい同定ができた人はいません.誰だって最初はナガコガネグモの名前さえ知らないところからスタートしたのです.日本のクモ研究の神様である八木沼先生だって最初は何も知らなかったはずです.

ではどうすれば職人芸を身につけることができるのでしょうか.私は次のように思っています.まずは,種名を確定することにこだわることです.ちょっと調べてわからなかっただけで,もうだめだ種名不明だと投げてしまってはいけません.ちょっと調べただけ,あるいは何も調べずに同定依頼をしてはいけません.まずは自力で徹底的に調べることが重要です.そりゃ大変だと思うかもしれませんが,同定は大変な作業なのです.同定を甘く見てはいけません.同定作業をなめてはいけません.最初から簡単にできると思ってはいけません.自力で調べがつかなかったら,自分自身にとっての既知種とどこが違うかをよく研究し,その種を認識する特徴を捉え,最低でも自分にはわかるスケッチを作ってから同定依頼をすることです.見るだけと違って,スケッチするということはかなり正確に観察しないとできません.ですからスケッチをすれば自動的にかなり正確に観察することになります.さらに,同じ種の標本を手元に残すことができればそれに越したことはありません.そうしておけば,次からは,その種については自力で同定することができるはずです.そして,これを繰り返していればすぐに見る目は養われ,どんどんと上達し,10年もかからずに職人の域に達していることでしょう.手元にスケッチも標本も残さずに同定依頼したのでは何の進歩もありません.いつまでたっても同じ種を同定依頼することになります.

 

同定の手順

まずは全体の姿をみたかんじで,科,属,種の“あたり”をつけます.はじめは何のあたりもつけられないでしょう.そのときはしかたありませんから図鑑の全体図をはじから眺めていって似ているやつを探すしかありません.経験をつめばつむほど,この“あたり”で種のレベルまで近づくことができます.あたりがついたらその科,あるいは属内の各種についての既発表の特徴と一つ一つ照らし合わせていきます.この照合は,できる限り原記載やリビジョンなどの分類学的論文によって行うことです.特にパルプやエピジナムなどの部分図との比較が重要です.種まで“あたり”がつくようになっても,最後にはその種について発表されているパルプやエピジナムなどの部分図と照合します.この照合確認を怠ると近似の別種に誤同定をしたり,新種を見逃したりしてしまいます.検索表が発表されていて,その検索表によってある種にたどり着いたとしても,この最後の照合確認は必ず行わなくてないけません.検索表はかなり熟練しないと正しく使えないことが多いですから,正確にたどったつもりでもとんでもない誤同定をすることがあります.それから,図鑑で同定できる種もありますが,図鑑では同定できない種,図鑑には載っていない種もたくさんあることを知っておいてください.ただし,近い将来分類学的論文の集大成的な図鑑が発刊される可能性はあります.

最初はいちいち時間がかかりますが,そこで根を上げてはいけません.我慢強くこの作業を続ければ,いちいち記載と照らし合わせたり考えこまなくても科や属の特徴が見えてきます.そして,はじめて見る種でも科や属のあたりを簡単につけることができるようになります.

 

注意しなければならないこと

同定に慣れないと,変異を見誤ってしまいがちです.色彩変異やちょっとした形態の変異を重大視して別種だと判断してしまったり,よく似た別種を同一視してしまったりします.どのくらいが変異の幅で,どのくらいが種を分つような違いなのかは一口にはいえません.なにしろ“種”を正確に定義することができていないのですから.ただし,われわれが知らず知らずのうちに認知している形態学的“種”の概念(形態の不連続性による認知)では,これも数をこなせばわかってきます.めやすは,ある特定の一ヶ所だけが違う場合は,けっこう大きな違いでも変異の可能性が高く,何ヶ所か複数箇所が同時に違えば小さな違いでもそれは種を分つ特徴である可能性が高いです.とはいえ,このあたりのコンセンサスをつくるのはかなり難しいことでしょう.また,逆に何もいわなくてもわかりあえることも多いのです.

 

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