福井県のオオクワガタに関する一考察

by えりー


オオクワに地域差はあるか?
日本は独立した島であり,外来の生物種の移入の可能性は少なく,鎖国状態が続いていれば固有種が優位に生活していたと考えられる.しかし,実際には開国いらい,貿易船,あるいは進駐軍の資材などを媒介として,種々の生物が侵入し勢力範囲を広げていった.クワガタ虫にしても自然界で起こるであろう確率(例えば流木に乗ってとか)をはるかに越える人為的な行為によって外来種が持ち込まれている.オオクワガタ属は特に人気が高いので相当数入ってきているが飼いきれなくなって逃がす,あるいは逃げられるということが続くと局所的に外国産オオクワガタが繁栄したりするかもしれない.シェンクリンがその辺の公園で採れたりしたらそれは嬉しいことに違いないのであるが(^^;;;),私にしてみたら納得できないことでもある.生存に適した環境(ベストでなくても最低限生きてゆける)50年もあれば,もしかしたら都内某所でシェンクリンとか三草山でアンタエウスなんて時代が来るかもしれない.これはあくまで例えであるが,現在日本ではオオクワはcurvidensの亜種として分類されることが多い(hopeiとみなす分類もある).この分類については議論の余地があるのは,これまでのオオクワガタの分類についてこのクワ馬鹿でも議論してきた通りである.これまでは狭義のオオクワガタは基本的に南方系,低地で温暖な地域を好むとされてきた.ホストはブナ科の大木が多いがもっともポピュラーなのはクヌギであろう.つまり,寒い地域にしかいないヒメオオとはある意味で対称的である.したがって,うまいこと済み分けができており,競合することもないと思われてきた.
最近になって(といっても10年程前?)東北地方のブナ帯でオオクワが採集できるという報告が出るに至って少し,考え方を変えなければならなくなった.すなわち,日本におけるオオクワの起源は2つの異なるルートがある,あるいは日本列島形成の異なる時期に少なくとも2回侵入してきた可能性がある,ということである.もし,東北地方を中心としたオオクワと福岡,佐賀,岡山,大阪(山梨はペンディング,北方系も含まれる可能性あり)といった南西日本のオオクワとが別のルートで,あるいは別の時期に侵入してきたとしたら・・・そう考えると日本のオオクワでも亜種として区別できるものがいるのかも知れない.仮に,北方系と南方系の2つの異なる起源を持つオオクワが日本列島に分布を広げてきたとすると,その過程ではどこかでぶつかる地点が出てくるはずである(中部地方である可能性は高い).このような分布,亜種などを調べるときには人為的な撹乱がないのが原則である.しかし,オオクワガタの累代飼育は10年以上も歴史がある.もしかしたら放虫されたオオクワが(本来その場所に由来しない場所に)が根付いてしまった可能性も無視することはできないのである.現実的にサキシマヒラタはこれまでに何頭も本土で採集されているし,サキシマヒラタを本土ヒラタとして売っているペットショップもある.


福井県におけるオオクワガタの分布
もし上記の2起源仮説が正しいとしたらその接点はどこだろうか?南方系のオオクワは沖縄を除く九州〜関西が中心であることは間違いない.琵琶湖以東でも少ないながら採集されているが韮崎まで続いていて同じ起源かどうかは定かでない.東海道沿線は開発がひどいし追跡も難しいであろう.「そういえばオオクワガタって福井県には居てるんやろか?」と思って探してみると案外はっきりしないことが多い.噂では子供の頃○×で採集したとか,知り合いが○村で採集しているとか正確な情報がなにひとつ掴めない.こう云うときは正式な記録というものを頼りにせざるを得ない,しかも上記の理由でとにかく古い記録が信頼できる.そこで,市の博物館で調べてみたらなんと福井県のブナ林において♀の記録があった.これはもしや北方系のブナ帯に住むオオクワが福井にもいるという証拠ではないか?と心躍ったのもつかの間,詳細に調べてみると次のようなことが分かった.

県初記録の♀は1951年に記録されているが,その後採集されたという追加記録はただの1個体も無い.その頃にはオオクワが東北地方のブナ帯にいるなどとは誰も知らなかった(下記の下野谷氏が稲原氏に問い合わせたところ疑わしいというコメントを貰っている)ので,当然データの信憑性が疑われた.これについては,福井市郷土自然史博物館博物館同好会会報第25号,49-52pp (1980年)に下野谷豊一氏がこの標本の信憑性について報告をしている.疑いを抱かざるを得ない理由はオオクワの分布だけではない.先のオオクワ♀を記載した井崎市左ェ門氏(標本商,理科学教材販売業)の標本の中に,このオオクワと同じ日付のしかも異なる場所の採集ラベル標本が多数ある.これはまだ車も走っていないような時代に,山奥の一日に数本のバスが走っているだけの地域を複数採集してまわるなどということは現実的でない.さらに,ヤマキチョウ,ヒョウモンチョウ,フタスジチョウの標本の中にはとんでもなく怪しいものが含まれていた.♂は長野県に分布する亜種,♀は長野県産ならまだしも,信じられないことに北海道道南産の♀であった.このようなことから井崎氏はこれらの標本のラベルを偽った可能性があると判断されるに至ったのである.実際,これらのチョウに関しては地域亜種があるということが知られる以前のことであるから標本交換によって得た個体に対して福井県産とラベルをつけ,博物館に納入した可能性がある.さらに下野谷氏は1980年前後に年回30回を越えるライトトラップによりこのブナ林におけるオオクワの追加記録を狙ったが結局採集できなかった.彼の採集の腕ははっきり言って滅茶苦茶凄いので技術的な問題ではないだろう.20年前に台湾で虫を採集しまくっており,今では滅多にお目にかかれない超弩級シェンクリンや台湾オオクワ,テナガコガネ,チョウ,オサムシなどを保有している.住むためではなく,まるごと標本箱で埋まっている家があるのも凄い(聞いた話では大図鑑の水沼さんは学生時代に下野谷さんの助手として台湾で一緒に採集していたらしい).困ったことに,一度記載された報告は消せないし,しかも博物館にあるとなるとこれは大問題である.先の博物館所蔵の♀標本も一般には公開されて居なかったのである. さらに追跡調査をしたところ,今度は1978年に生きたまま下野谷さん宅に持ち込まれてきた♂のオオクワガタが正式に記録されていた.このポイントはその後の追跡調査で,1979年にも数頭採集されていると同時に,県外の虫屋も採集に訪れたことがあるほど有名で現在も採れ続けているポイントであることが分かった.少ないながらオオクワの分布する地域として認められるポイントである.このポイントは福井市であり,南方系のオオクワの一部が比良山系から琵琶湖北岸へ,さらに日本海に沿って北上してその北の端,福井にたどり着いたと考えられる.

本当に福井のブナ林にはオオクワはいないのだろうか?東北地方のブナ帯に住むオオクワの南西限はどのくらいまできているかまだ定かではないが,少なくとも新潟までは日本海側を降りてきているようである.そうなると,連続分布から想定して富山,石川に記録があるかどうかがキーポイントになる.もし,福井のブナ林にオオクワが存在するとしたら,福井県はまさに比良山系に由来する南方系のオオクワと北方系のオオクワがそれぞれの北限と南限でもって同時に産する特異的な地域ということになり非常に興味深い.このブナ林は私の大のお気に入りであり,かつ今年の6月にクワ馬鹿関西支部のメンバーと灯火採集を行った場所である.登山道開発,砂防ダム工事のためにヒメオオの個体数も減少が著しいこのブナ林で,オオクワを追跡調査をすると同時に,石川,富山,新潟のオオクワの分布を調べる必要がある.

末筆ながら,標本を快く貸してくださった福井市自然史博物館の長田勝氏,下野谷豊一氏には深く御礼申し上げる.


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