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 『無責任な評価に左右されない自分でありたい』 1998年12月18日



「貴社の商品はおいしくありませんのでもう二度と買いません」
 職場で何気なく読んでいた消費者からのアンケートのコピーのなかにこう書いてあるのがあった。ちなみに、私の働いているのは米菓子(煎餅など)を作ってる会社である。

 こういう意見も会社にしてみれば、市場の一意見として貴重なものである。しかし私個人の感情からいえば「あんまりだな」と思う。
 自分の勤めてる会社の弁明をする訳ではないが、少なくともはっきりと「まずい」と言われるほど酷い商品ではない。
 「スーパーに並んでる亀○のせんべいよりもまずい」
 うむ〜。と言うことは亀○の商品も旨くはないという事か?
 日本一のあのメーカーの商品を捕まえてまずいと言えるなんてよっぽど素晴らしい味覚をお持ちなのだろうな〜。なんて皮肉を言い返したくなる。

 確かに他にも苦情の内容はあった。しかし、これだけは妙に気になった。具体的にどうとは書いてないのもあるし、文章が非常に攻撃的なのだ。
 こんなの送りつけてくる相手とはどんな人だろうと思った反面、それを知ってもその人とは知り合いにはなりたくないなとも思った。

 特に最近の日本人は他人(物)を批判するのがよっぽど好きと見える。
 求められて言う時や、親切で言ってあげてる時などは別として、無責任に相手を批判し、評価する。
 何か事を起こした人間を捕まえて、適当な予測とお粗末な知識で相手をおとしめて自分を偉く見せようとする。
 失敗したら「そらみたことか」と言い、成功したら「運がよかっただけ」とか「裏でなにかやったんだ」とか言って相手を認めようとはしない。
 でも、そういう人間に限って「じゃぁ、おまえはそれ以上の事をしかのか?」と言われると口ごもってしまう。
 けっきょく、批判とか無責任な評価とかは、それを言ってる時だけ自分が批判してる相手より偉く見えるだけなのである。

 批判する事で自分が成長するということはありえない。
 「人のふりみて我がふり直せ」ということわざもあるじゃないか。他人の悪いところを見つけるのは反面教師になっていいじゃないかと思うかもしれない。

 でも、それを見つけたところで、相手と同じ間違いをしないだけなのだ。成長はしない。相手の欠点を自分にあてはめる事で、現状よりマイナスになる事はないだろう。でもそれではプラスにはならない。成長はできない。

 むしろ相手のいい面を見つけて参考にしたほうがよっぽどプラスになる。
 それが人から学ぶという事ではないだろうか。
 昔、私の友達(もちろん絵を描く人である)に下手な作品を好んで見る人がいた。
 私のような絵描きにとって下手な作品を見る事は、そこからなにかを学ぶというより自分が安心したいという部分が大きいような気がする。

 下手な自分の作品よりさらに下手な作品を見て、比べて「ああ自分は彼らよりマシだ」「こう比べると上手いじゃないか」なんて錯覚してしまう。
 なんとも情けない事じゃなかろうか?
 こういう人はベテランと比べられると見事なまでにつぶれる。
 私にも以前そういう部分は多々あったと思う。その友達と一緒になって批判していたのだからざまぁない。

 下手な作品から学ぶのはデッサン狂いとか着色の酷さとかそんなマイナス部分ばかりだ。ほめる部分もあるが、けっきょく慰めに過ぎないと思う。本気で参考にしようなんて思わない。
 逆に上手い作品からはデッサンとかセンスの良さとか丁寧さとかたくさんのプラスの要因が学べると思う。
 マイナスにならない要因をいくら覚えても、マイナスへ行かないだけでプラスにはならない。プラスなら得れば得るほど成長につながると思う。

 他人を批判する人はこれと同じ事だと思う。
 相手を批判する事でどこか安心したいのだ。それで学べるとしたらさっきも述べたように、せいぜいマイナスにどうすればならないかという事だけである。自分にとってなんのプラスにもならない。

 かく言う自分もなにかと他人を評価してしまっている。気がつけば、偉そうに「あいつは駄目だ」とか「あの作品はつまらん」とかそんな事ばかり言ってるような気がする。
 わたしは他人を批判したり評価したりするエネルギーをもっと別の所へ向けたいと思う。他人を無責任に批判した所で自分に得る物はなんにもないのだ。
 もし得れるとしても慢心とむなしい満足感だけである。

 わたしは下っ端ながら一応、人を使う方の仕事をしている。その中でわたしの事を「あいつは仕事のできない奴だ」とか「ろくに機械も直せないのに偉そうにしやがって」とか陰で言ってる人がいるらしい。
 でもその言ってる相手に限って残業もしないし、失敗しても言い訳ばかりして自分で責任をとらない様な「困った君」だったりする。自分の不注意で積んである商品を倒しても「勝手に倒れたんですよ」なんて言い張るような、機械なんてまともにいじれない人なのである。
 負け犬の遠吠えみたいで逆におかしかった。面と向かって言われたら10倍にして言い返してやろうと意地悪な事を考えたりもした。

 無責任な評価というのはその程度の事だ。
 そんな批評にいちいち丸め込まれていたら何にもできなくなってしまう。
 相手が上司とか、実力のある同僚、部下とかなら話は別だが・・。

 全ての批評や評価を無視するなという事ではない。無責任な批評や評価にいちいち左右されるなという事だ。
 少なくとも自分に対して直接言ってこないような批評は、相手にする必要はない。
 けっきょく、そこにはやっかみや嫉妬や自己満足といったものが含まれてるからだ。だから正々堂々と言うことができない。

 無意味に攻撃的なのもそうだ。相手は行為そのものではなくてあなた自身を攻撃している。そんな連中はあなたがなにをしようとも文句をつけてくるだろう。そんなものに頭を悩ませるのは馬鹿げている気がする。
 それでやる気を失ってあきらめてしまえば、それこそ相手の思うツボだ。

 大切なのはまずその評価が自分にとって重要かどうかを考えることだ。自分にとって「なるほど、そうかもな」という部分があるかどうかだ。
 考慮する必要があると感じたものだけ真剣に考えればいい。
 それ以外は聞き流す事だ。評価に怖じ気づいて固まってしまっていては何にもできなくなるだろう。それにみんながみんな気に入るように行動するなんて非現実的で不可能な事だし、周りの人間が気に入るようにばかり行動していると自分というものを見失ってしまう。

 根本的にあなたはあなた自身が納得いくように行動すればいいわけで、他人の評価は道しるべに過ぎない。
 どっちに行くかはあなた自身のきめる所だ。それも自分自身の責任で。
 他人を評価する事も、他人の評価を気にしすぎる事もけっきょくは、自分の為にならないのだ。