北京
 
13.Nov.1997〜17.Nov.1997
 

 
 北京に行くのは9年ぶりになる。そのあいだに私は学生から社会人になった。あのとき再発行してもらったパスポートはすでにその役目を終え、今では4冊目となっている。 
 一方で北京ではあの忌まわしい事件が起き、その後経済開放改革路線の道を順調にたどっているかのようにみえる。そして香港返還から約半年が経過しようとしている。 

 、、、などとちょっとこむずかしいことを書いてみたが、正直久しぶりにいく北京がどうなっているのか、楽しみだ。今回は短い滞在だし、前回一緒にいた友達が今は仕事で北京に赴任しているので、彼のところに遊びにいくという 目的もある。 

 
 
安室奈美江
 
 
 
 そして今回のもう一つの目的は安室奈美江の歌を聞くということだった、というのはウソ。たまたま日程が近かったので出発を一日前にずらして行くことにし、友達にチケットを取ってもらった。 
 コンサートは、日中国交正常化25周年記念してのイベントで首都体育館を会場として開かれた。ちなみに、「小室ファミリー」は中国語で、「小室家族」という。そのまんまだ。 

  僕らは少し遅れて会場に入り席に着いた。会場では、真っ暗な中でレーザー光線が飛び交い、四隅に設けられた巨大なスクリーン上ではCG映像がぐるぐるん回っている。しばらくすると誰かがステージ上に出てきて知らない歌を歌っている。どうやら「マーク」らしい。まるで自分のコンサートのようにステージを右へ左へと飛び回ってる。 

 だが、小室ファミリーのコンサートと言っても出てきたのは、小室、安室奈美江、マーク、DJくらいで、あとは小室が育てている中国人と台湾人の女性歌手だった。観客にもこれには始終ブーイングだった。たとえば、スクリーンにTRFの映像が流れる。みんな「おお!TRFだ!」と思いきやディスクのミキシングだけで本人たちは出てこない。もちろん北京に来ていないのだから出てこれようがない。globeのときも同じ、ケイコは出てこずに台湾人の歌手がマークと一緒に歌う。せめてもの救いが安室ちゃんだった。このときばかりは観客も大声援。結局彼女は身重の体で寒い北京につれてこられて3曲歌ったことになる。なんだかかわいそう。 

 みんな期待していたコンサートと違い、最後に中国人は足を踏みならしてのブーイング。小室サイドは体育館の照明をつけた。でも、ブーイングは終わらない。安室コールがつづくが出てこない。しばらくすると小室をはじめとして出演者全員が明るい照明の下、舞台上に現れ、手をつないで頭を下げて終わり。このあと中国語のアナウンスが流れて、解散。最後は共産党の力で押し切ったという感じだった。 

日本のテレビや新聞では「コンサートは大成功」だったらしいが、本当はその反対の失敗だったといっていいだろう。マスコミっていいかげんなものだとあらためて感じさせられた。 

 
 
紫禁城
 
 
この日はとても寒かった。11月の北京がこんなに寒いなんて思わなかった。やっぱり大陸は違う。空気が乾燥していており、だんだんと寒さが体の芯へと入り込んで、しばらくすると自分自身が寒さそのものになってしまうような感覚を覚える。でもまだ11月だ、北京の冬はもっともっと寒いんだろう。 
 
 
 紫禁城には天安門広場と反対側の景山公園側からはいった。天安門の入り口のほうには毛先生の写真なんてあって派手だけど、反対側はひっそりとしていい感じ。景山側からはいると最初にあるのはいわゆる後宮っていうやつで、居住エリアですね。平屋の建物が多く、中は当時の暮らしがわかるように生活丁度品とか美術品とかが展示されている。もってかえって飾りたい!なんて思う色彩見事な壺なんてごろごろしていて、指をくわえてしまいます。いいなー。でも、中国皇帝は「中国全土を納める権利や富」と引き替えに、広い(とはいっても中国の広さから比べると狭い)紫禁城で生活するという制約を甘んじなければいけなかったのね。それって、幸せだったのかなー、なんてラストエンペラーの映画を思い出しながら歩いてました。 

 後宮を抜けると、おお!っていう感じでひろーい空間が目にはいってくる。保和殿、太和殿、乾清宮とかいった○×殿、△□宮っていう名前のでかい建物とその前に広がる広い広場(っていうのかな?)。それぞれ、サッカーグランドが横に2面が余裕でとれるくらいある。昔はこういうところで謁見したりして、政治をしてたんだ。えらいひとの考えることはよくわかりません。僕なんか機能美を追求するタイプだからね。 

 
 
台湾式お茶の楽しみ
 
 
 日本でも台湾式お茶の飲み方がはやっているようだけど、北京でもはやっているそうです。紫禁城の西側、西華門近く(*1)にあるお店に連れていってもらいました。 
 知らない人のために少し楽しみ方を解説します。台湾式では、茶器は余計なお茶を捨てられる上げ底式になっているお盆?、急須、そして人数分の内径2センチ、高さ8センチくらいの細長い筒上の器、高さ5センチくらいの小降りのお椀を用意します。まずは茶葉(今回は台湾の凍頂鳥龍茶)を急須にいれてお湯を注ぎます。そして最初のお茶は茶葉と洗うためと茶器を暖めるの役割のために、お盆の上においた器と椀にじゃばじゃばとかけます。お盆には穴があいていて、洗ったお茶は上げ底になっている内側へと入ってきます。 
  
 茶器を暖めたあと、また急須にお湯を注ぎます。そして急須からお茶をまず細長い筒へと注ぎ、細い筒からお椀へとお茶を移します。そして細長い筒を両手の手のひらではさみ、竹とんぼを飛ばすように両手を前後に動かしながら筒を鼻先へと運びます。すると、「ふわっ」とお茶のいい香りがしてきます。ああ、なんか至福のときです。香りを楽しんだ後はお椀に移したお茶をいただきます。こんどは舌に広がるいい渋みを楽しみます。一つのお茶を二つの方法で楽しむなんてなんて贅沢、かつ合理的なんでしょう、関心してしまいます。 
  
 お椀は小さいのですが、お店の人がどんどんお湯を注いでくれるのでつぎつぎと飲んでいるとだんだんとカフェインのせいか酔っぱらったような感覚に襲われます。ああー、お茶っておいしいいなー。 
  
暗くてわかりにくくてごめんなさい
お湯を注いでくれる女の子です
 
 
 
北京の今
  
 9年ぶりに訪れた北京。友達から「北京はすごく変わったぞ」って聞いていたけど本当に変わっていて驚いた。いくつか気がついた範囲で挙げてみる。 

 環状道路 
 これにはびっくりした。北京市内をぐるっと囲むように高架式のハイウエイ、首都高と同じだ。道も結構いいし、片側3車線はあったと思う。環状道路を走っていると目に付くのが巨大なネオン。もちろん日本の企業の名前なんてざら。社会主義は過去のものか。 

 ホテル内のデパート 
 新しくできたホテルにはデパートが併設されていて、そこにはヨーロッパの一流ブランド品を扱っている直営の専門店がごろごろ。昔の中国人が売っているようなイメージを想像してはいけない、店構え、店員の服装、品物と銀座の一流店と変わらない。もちろん値段も一流。食料品もたいていのもは買える。昔は友誼商店に行ってドルを出さないと変えなかったのに。そういえばチェンジマネーがなくなってから久しい。最近(98春)はイトーヨーカドー(*2)ができたそうで、日本のお総菜まで売っているそう。 
 北京飯店の中は昔のまんまだったのでこちらもどうぞ。 

 街の開発 
 とにかくあたらしいビルがたくさん建っている。とくに昔の記憶が鮮明だったためか衝撃を感じたのが北京駅周辺と建国飯店周辺。駅周辺は昔は行き場のない出稼ぎ中国人であふれていた。建国飯店の周りなんて平屋の商店街だけで他にはなーんにもなかった。背の高い国際飯店が遠くからでもわかるくらいだった。今やビルが乱立、車とネオンの洪水。言われるまで同じ場所だとは気づかなかった。 

 きっと他にもたくさんあるだろう。たとえばファーストフードのsubwayがあるとかそんなの今や当たり前(9年前はケンタッキーができたといって騒いでいた)。北京や上海においては物質的には西側諸国と同じレベルまできているのを感じた。ただ、友達も言っていたが精神的にはまだまだ依然として「中国」だそうだ。この意味を知りたいひとは是非中国へ行かれることをお薦めする。 

 これから10年先の北京はどうなっているのだろうか。楽しみだ。 
  

   
 景山公園からの紫禁城
ここからは北京市が一望できる
 
 
注:文章中*1及び*2を98.7に訂正 (謝謝!昭昌先生、美由紀小姐)