墓場まで何マイル?

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 パリの古本屋で、アンドレ・シャボの撮った「LE peti monde D'outre-tombe」という写真集を買った。
どのページを開いてみても、墓の写真ばかりが載っているというのが、心にかかったのだ。
 金庫のような墓、彫刻のような墓、アルバムの一頁をひらいたような墓、天使が腰かけているような墓、胸像の墓。さまざまな墓は、私にとって、なかなか誘惑的だった。
 私は学生時代にきいたジョン・ルイスとM・J・Qの「葬列」という曲を思い出した。
 それは、ロジェ・バディムの「大運河」という映画の中に用いられたジャズで、少しずつ、次第にたかまってゆく曲であった。
 まだ若かった私は、
「死がこんなに、華麗な訳はないさ」
と、たかをくくっていたものだ。
 だが、今こうして病床に臥し、墓の写真集をひらいていると、幻聴のようにジョン・ルイスの「葬列」がきこえてくる。

 

 寿司屋の松さんは交通事故で死んだ。ホステスの万理さんは自殺で、父の八郎は戦病死だった。従弟の辰夫は刺されて死に、同人誌仲間の中畑さんは無名のまま、癌で死んだ。同級生のカメラマン沢田はベトナムで流れ弾にあたって死に、アパートの隣人の芳江さんは溺死した。
 私は肝硬変で死ぬだろう。そのことだけは、はっきりしている。だが、だからと言って墓は建てて欲しくない。私の墓は、私のことばではあれば、十分。

 

 「あらゆる男は、命をもらった死である。もらった命に名誉を与えること。それだけが、男にとって宿命と名づけられる。」ウイリアム・サローヤン

5月4日午後0時5分死去の後の、83年5月9日発売「週間読売」にて発表。絶筆。