“東郷青児展”なかなかスバラシイ画風でした(^_^)v
  
'02/03/06(水)

 友人に“東郷青児展”の観覧券を貰いましたので、昼食時間を利用しまして「ふくやま美術館」に出かけて来ました(^.-)☆

 当初、“東郷青児”とは何者なんだろぅ?…と思っておりましたが、出かけてみまして東郷青児sanの画風にスッカリ魅せられてしまいましたよ。

 大変スバラシイ作品が展示されておりまして、“もぅ一度出かけて、今度は昼食時間ではなくジックリと時間をかけて拝見したい…”と、こんな気持ちを抱いてしまいました。

 GONsanが、こぅした絵画展に出かけまして感動しますのは珍しい事なんですけど、それほどまでにGONsanと波長が合います画風でありました。

 入館時に頂きましたパンフレットより、“東郷青児展”をご案内させて頂きますネ(^.-)☆
 

東郷青児展  大正・昭和のモダニスト  --- SEIJI TOGO ---
  
 東郷青児は、その初期にイタリア未来派に深くかかわり、大正・昭和の美術をリードして、大衆に親しまれた画家です。

 青山学院在学中からすでに画才を発揮した東郷は、音楽家の山田耕筰、画家の有島生馬らの知遇を得て、ヨーロッパでの前衛絵画の潮流を知り、その後の画業の大きな指針としました。

 1916年、東郷は第3回二科展に《パラソルさせる女》を初出品。二科賞を受賞し、画壇に華々しいデビューを飾った後、1921年にフランスへ渡り、イタリア未来派のマリネッティやピカソなどとも交流しました。

 約7年の滞欧後、帰国して《超現実派の散歩》などシュルレアリスム風の作品を制作しましたが、その後は甘美で幻想的な女性像を描いた画風を確立して大衆の人気を博しました。

 本展では、東郷が17歳の時に描いた《自画像》から、最晩年の《ブラジル移民70周年記念大壁画(下絵)》まで、油彩、水彩、彫刻および初公開の家具デザインなど60点を展示します。

 また、戦前の東郷と交流の深かった画家、竹久夢二、関根正二、古賀春江、今東光などの作品とともに、関連の資料にあわせて100点余りを一堂に展示します。

 東郷青児の画業の足跡と熱き時代の息吹を感じ取って頂ければ幸いです。

    
1897(明治30年)年
 4月28日 鹿児島市に生まれる。本名鉄春。
1902(明治35年)年
 一家で東京へ移住。
1915(大正 4年)年
 日比谷美術館で第一回個展を開催。
1916(大正 5年)年
 第三回二科展に《パラソルさせる女》を初出品し、二科賞受賞。
1921(大正10年)年
 渡欧。イタリア未来派のマリネッテイらと会う。
1928(昭和 3年)年
 帰国。二科展に滞欧作品23点を特別陳列。
1931(昭和 6年)年
 二科会会員となる。
1945(昭和20年)年
 二科会再建に挺身。翌年、第31回二科展を開催。
1957(昭和32年)年
 第13回日本芸術院賞を授与される。第4回日本国際美術展で大衆賞を受賞。
1960(昭和35年)年
 日本芸術院会員となる。
1961(昭和36年)年
 二科会会長・理事長となる。
1976(昭和51年)年
 安田火災東郷青児美術館が開設。
1978(昭和53年)年
 4月25日 第62回二科展(熊本県立美術館)出席のため熊本へ行き、急性心不全のため死去。
 享年80歳。
  

(左)自画像:1914年  (中)パラソルさせる女:1916年  (右)帽子を被った男(歩く女):1922年

  

(左)巴里の女:191年  (中)超現実派の散歩:1929年  (右)村の祭り:1923年

  

  
(左)四重奏:1955年  (中)東郷青児19歳:1916年
  
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