吉備津神社ご案内致します

 
 8月に購入しました新車の交通安全祈願も兼ねまして、9月2日(土)には GONchanと“吉備津神社”を散策して来ました。
 で、“GONsanの独り言(日記)”から引用しまして“吉備津神社”をご案内させて頂きますネ(^.-)☆

'00/09/02(土)

 今日・日曜日は、新車の交通安全祈願も兼ねまして、吉備津神社と吉備津彦神社を散策して来ました。

 まだまだ暑い日中ですから、GONchanとの散策は何処に出かけたものか…と思案しておりましたが、先月購入致しました車の交通安全祈願を未だにしていない事に気付きまして、前々から一度出かけてみたいと思っておりました“吉備津神社”を散策してみる事に致しました(^-^)

 道路地図帳を広げてみますと岡山市内から随分近いようですから、我が家から30分も要さず行けるのでは…と、ノンビリと出かけましたが、思った通り30分程度で到着。
 結構、著名な神社ですから、駐車場には県外ナンバーの車も止めてありました。

 まず、手を浄めまして階段を上がろうとしますと“犬を連れての参拝はご遠慮下さい…”との看板が眼に入りましたが、片目をつぶりまして見なかった事にし、GONchanは抱えて参拝。
 この“吉備津神社”の概要を知ろうとパンフレット、観光案内等に急いで眼を通し一通り理解。

--- 吉備津神社の概要 ---

 御祭神 --- 大吉備津彦大神 ほか 八柱の神
 式内社 --- 崇神朝の四道将軍の一人として吉備地方を平定した吉備津彦命をはじめ吉備氏一族の祖神が祀られています。

 吉備津神社は,古代以来の吉備地方の鎮護として名高い。現在の社殿は足利義満の命により応永32年(1425)に再建された。
 本殿の平面は三間社の周囲に庇を二重に廻した形式をとり,内部に向かって次第に床と天井を高めている。屋根は前後二つの入母屋造を連結した比翼入母屋造と呼ばれる特異な外観を見せる。本殿前には妻入りの拝殿が接続し,本殿と同様に大仏様の手法を示す。独特な社殿形式の由来は明かでないが中世を代表する大型の神社建築として価値が高い。

 四道将軍の一人であり、昔話の桃太郎のモデルとも云われる大吉備津彦大神を主神に、御相殿に八柱の神をお祀りする山陽道屈指の神社である。
 本殿・拝殿は現在国宝に指定されており、その大きさ優美さに驚嘆し、長い廻廊に感嘆する。また、釜の鳴る音で吉凶を占う神秘な鳴釜神事も厳かに行われている。

 大吉備津彦大神は、第七代孝霊天皇の皇子であり、第十代崇神天皇の御代に吉備の国に下られ、温羅という悪者を平らげて平和と秩序を築き、この地に宮をいとなまれて吉備の国の人々のために殖産を教え、仁政を行いました。社伝によれば仁徳天皇が吉備の国に行幸されたときご創建になったもので、後、延喜式の定まるや名神大社に列し、やがて一品の位になられましたので一品吉備津宮、※三備(備前、備中、備後)の一の宮と称せられ、昔から産業の守護神としてまた長寿の守り神として全国の人々から深く信仰されています。

 昔話の桃太郎は、吉備津彦命の温羅退治をもとに作られたといわれます。
 鬼のモデルになった温羅は、百済からやって来た王子でした。性格は荒々しく、凶悪で、身の丈1丈4尺(約1m20p)もありました。現在の岡山県総社市にある、朝鮮式山城、鬼の城に住み、吉備の国を荒らし回っていました。そこで大和朝廷は、武勇の誉れ高い吉備津彦命に鬼(温羅)退治を命じたのでした。

 昔話の中で桃太郎のお供をした犬とキジは、吉備津彦命が設けた役職の犬飼と鳥飼を努めていた家臣に当たりますが、もう一人がなぜ猿なのかは、わかっていません。

 捕らえられた温羅は首を切られ、地中深く埋められましたが、13年間も夜な夜な吉備津彦命の夢枕に立ち続けました。「ワシの首を吉備津神社のかまどの下に埋めてくれ。そうすれば釜をならして世の吉凶を占ってしんぜよう」この申し出にはじまったのが、鳴釜神事です。

 御竈殿で行われる釜鳴の神事は、お釜の鳴動の音の大小長短によって吉凶禍福を卜(ボク)するもので、その神秘なことは古く「本朝神社考」・上田秋成の『雨月物語』にも紹介された著名なもので、現在でも行われています。

…と、こんな由緒あります神社で、散策しながら撮りました画像を何枚か添付させて頂きますネ(^.-)☆

  

 

 

 

 

  


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