Return to the List



美しき天然
作詞 武島羽衣
作曲 田中穂積
1.空にさえずる 鳥の声
  峯(ミネ)より落つる 滝の音
  大波小波 とうとうと
  響き絶やせぬ 海の音
  聞けや人々 面白き
  この天然の 音楽を
  調べ自在に 弾きたもう
  神の御手(オンテ)の 尊しや

2.春は桜の あや衣(ゴロモ)
  秋はもみじの 唐錦(カラニシキ)
  夏は涼しき 月の絹
  冬は真白き 雪の布
  見よや人々 美しき
  この天然の 織物(オリモノ)を
  手際(テギワ)見事に 織りたもう
  神のたくみの 尊しや
3.うす墨ひける 四方(ヨモ)の山
  くれない匂う 横がすみ
  海辺はるかに うち続く
  青松白砂(セイショウハクサ)の 美しさ
  見よや人々 たぐいなき
  この天然の うつし絵を
  筆も及ばず かきたもう
  神の力の 尊しや

4.朝(アシタ)に起こる 雲の殿(トノ)
  夕べにかかる 虹の橋
  晴れたる空を 見渡せば
  青天井に 似たるかな
  仰(アオ)げ人々 珍(メズ)らしき
  この天然の 建築を
  かく広大に 建てたもう
  神のみ業(ワザ)の 尊しや
1905年(明治38年)


 日本最初のワルツといわれる「美しき天然」は、佐世保女学校の教材として作られた曲である。作曲者は、佐世保海兵団軍楽隊軍楽長であった田中穂積、作詞者は武島羽衣、滝廉太郎の作曲した「花」の作詞者でもある。

 村であった佐世保に一挙に市制が敷かれたのは1902年(明治35年)4月1日のこと、そのわずか12日後に、山北トミ先生らによって海軍将校子女への高等教育を考えて私立佐世保女学校が八幡町の民家に開設された。

 田中穂積は、現在の山口県岩国市の出身、1889年に佐世保海兵団の第3代軍楽長に着任。田中は、佐世保女学校が開設された後は、音楽の嘱託教師を務めるようになり、女学生たちが愛唱するための歌を作ることを考えるようになった。そして、烏帽子岳や弓張岳から望む九十九島の風景をこよなく愛していた田中は、1900年に発表されていた武島の詩を目にしてこれに九十九島の風景に重ね合わせて、1902年に「美しき天然」を作曲したといわれている。

 田中の曲は女学生の間で愛唱されるようになっていったが、田中は1904年の大晦日に49歳で病死。その死後に譜面が出版され、「美しき天然」は全国に広がっていった。
【東京北星会(http://hokuseikai.jp/highschool/tennen.shtml)による】