水師営の会見


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乃木・ステッセル両将水師営会見図 荒井陸男揮亳

なお、「水師営における会見模様」の詳細な解説は、本ページ末尾を参照のこと。



現在の水師営会見場跡
 水師営の会見場は、文化大革命で紅衛兵に取り壊されたが、水師営の村人がお金を出し合って、写真をもとに復元したそうである。(http://www.sankei.co.jp/advertising/furusato/tokuhain/9807/0716nakanisi.htmlによる。)


水師営の会見
尋常小学読本唱歌(6年)
作詞 佐々木信綱
作曲 岡野 貞一
1.旅順開城(りょじゅんかいじょう)約成(やくな)りて 敵の将軍ステッセル
  乃木大将と会見の 所はいずこ、水師営

2.庭に一本(ひともと)棗(なつめ)の木 弾丸あともいちじるく
  くずれ残れる民屋(みんおく)に 今ぞ相(あい)見る二将軍

3.乃木大将はおごそかに 御めぐみ深き大君(おおきみ)の
  大みことのり伝うれば 彼かしこみて謝しまつる

4.昨日の敵は今日の友 語ることばもうちとけて、
  我はたたえつかの防備 かれは称えつ我が武勇

5.かたち正して言い出でぬ 「此の方面の戦闘に
  二子を失い給いつる 閣下の心如何にぞ」と

6.「二人の我が子それぞれに 死所(ししょ)を得たるを喜べり
  これぞ武門の面目」と 大将答力あり

7.両将昼食(ひるげ)共にして なおも尽きせぬ物語
 「我に愛する良馬あり 今日の記念に献ずべし。」

8.「厚意(こうい)謝(しゃ)するに余りあり 軍のおきてに従いて
  他日(たじつ)我が手に受領せば ながくいたわり養わん。」

9.「さらば」と握手ねんごろに 別れて行くや右左
  砲音(つつおと)絶えし砲台に ひらめき立てり、日の御旗(みはた)。
 
1910年(明治43年 )

 旅順攻略戦は、日露戦争史上最大の激戦となった。しかし又、日露両軍共に、戦場での勇敢さを互いに称え合うという、武士道と騎士道との二つが一つとなって「旅順の魂」ともいうべき心の花を歴史に咲かせた戦闘でもあった。
 日本の兵士が旅順から父に宛てた手紙には、一露兵の勇敢さを伝えたものがある。「もう斃れたかと爆煙の隙間よりじっと見守るに、彼は悲壮にも、まだ腕によりをかけて奮闘している。今度はと見れば彼は尚、砲の転把を握りつつあり、その剛胆、その勇敢、ああ、われ何の怨みが彼にある、彼も祖国の為に身命をなげうっていると思うと、不測にも涙は征衣を濡らした」この兵士は敵兵に、涙を流しつつ、サムライ心を寄せている。
 また、旅順・松樹山砲台の奇襲作戦において、世に言う白襷隊の小隊長が露軍砲台に先頭第一に飛び込み、前へ前へと部下を指揮しつつ戦死されたことが確かめられるかのように、その遺体は日本刀を持った右手が長く伸ばされていた。そして、その後方には一群の日本兵の戦死体があった。乃木将軍からの、この日本刀返還の要請に応え、露軍将校は、「我が砲台内で見事な最後を遂げた日本将校に対する、我が騎士道の義務であり礼儀と思います。」と答えた。直接に要請を受けたステッセル将軍も同感だといって喜んだのであった。
 さらに、旅順の戦場にあって、日本軍が敵兵の死体をどうあつかったかについて次のような記録がある。「日本軍の戦場掃除隊は、死体を検して彼我を区別し、その姓名を審記し頭髪及び遺品を収め、火葬に附し遺骨を収集して毛髪と共に郷里に還送するに努めたり。同隊は、敵軍の戦死者に対してもほぼ同様の方法を講ぜり、ただし宗教上の関係を顧慮し、畑地に埋没、火葬を避けしを異なりとす。かくの如くして、その忠魂を慰め、衛生上の危険を予防せり」と。
 明治38年1月5日、旅順近郊の水師営にて、乃木将軍とステッセル将軍が会見した。これに先立つ1月3日、山県参謀総長より次の電報を乃木将軍は受ける「敵将ステッセルより開城の提議を為したる趣、伏奏せし処、陛下には将官ステッセルが祖国の為に尽したる勲功を嘉し賜い、武士の名誉を保持せしむる事を望ませらる。」この勅命のもと、会見は左の如く行われた。

ステッセル将軍
「貴国皇帝陛下よりの優渥なる御思召を伺い、この上もなき感激を催せり。」さらに「我が子は旅順口には居らず、ただ父は戦に斃れ母は籠城中に亡せし、六人の孤児を妻とともに養い居る外には家族とてもなし。承れば、将軍の二児には共に戦死せられしとかや、私が児を思う情より酌みて、親たる将軍の情たるや如何ばかりぞと」と眼に涙を溜めて語った。

乃木将軍
「昨日、将軍が父母なき孤児を愛しみ、あたかも六人の孤児の真の父母の如く居れる趣を聞き、将軍夫妻の慈悲深きを我が心に忍びて居りけり。さて、我が二児のことについては代々サムライの家の事なれば、天皇の為に身を殺すは当然なり。二児の如きは少しだに意に介し居らず」と答える。

ステッセル将軍
 「然りとは、健気(けなげ)なり。国家のために家族的幸福と利益とをことごとく犠牲に致さるとは真に大人(たいじん)の道なり。ああ、貴国の将士の勇敢なる実に因る所あるを悟れり」

乃木将軍
「勇敢なりとは、貴国の将士の事なり。健気(けなげ)とは将軍の言行なり」
(http://www.yasukuni.jp/yusyu/meiji3.htmlによる)