月の沙漠
作詞 加藤 まさを 作曲 佐々木すぐる |
1 月の沙漠を はるばると 旅のらくだが 行きました 金と銀との くら置いて 二つならんで 行きました 2 金のくらには 銀のかめ 銀のくらには 金のかめ 二つのかめは それぞれに ひもで結んで ありました |
3 先のくらには 王子さま あとのくらには お姫さま 乗った二人は おそろいの 白い上着を 着てました 4 ひろい沙漠を ひとすじに 二人はどこへ いくのでしょう おぼろにけぶる 月の夜を 対のらくだで とぼとぼと 砂丘を越えて 行きました だまって越えて 行きました |
1923年(大正12年)
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「月の沙漠(つきのさばく」)は、日本の画家、詩人である加藤まさをの作品の一つ。作曲家の佐々木すぐるによって(勝手に)曲を付けられ、童謡として有名になった。
大正から昭和初期に叙情的な挿絵画家として人気を博した加藤まさをが、講談社発行の雑誌『少女倶楽部』1923年(大正12年)3月号に発表した、詩と挿画からなる作品である。これに、当時まだ若手の作曲家であった佐々木すぐるが曲を付けたことで、童謡としての「月の沙漠」が生まれた。童謡の普及活動もしていた佐々木すぐるは、自ら主催する普及のための講習会で同曲を用いた。また佐々木は教育現場での音楽指導用の教本として「青い鳥楽譜」と呼ばれる楽譜集を出版しており、童謡としての「月の沙漠」もその中に収められている。上記の経緯から、当初は児童の音楽教育の中で使われていたが、1927年にラジオ放送されたことから評判となり、1932年に柳井はるみの歌唱で録音、レコード化され、より一般に知られるようになった。その後も童謡として長く歌い継がれ、世代を超えて支持される歌の一つとなっている。 この詩は「ラクダ」に乗った「王子様」と「お姫様」が月下の沙漠を往く情景を描いており、異国を連想させる内容からか、また現在では「沙漠」という表記が一般的ではないことからか、しばしば「砂漠」と誤記されるが[2]、題名、詩文中ともに一貫して「沙」の字が用いられている。この字が用いられる理由として「沙」には「すなはま」の意味がある。 学生時代に結核を患った加藤が、保養のために訪れた御宿海岸(千葉県)の風景から発想した。 海岸の風景がモチーフになっており、海岸の砂はみずみずしいことから、「砂漠」ではなく「沙漠」としている。 というものが良く知られている(生前の加藤の述懐による)。また、モチーフとなった海岸は御宿ではなく、加藤の生地である静岡県西益津村(現・藤枝市)近隣の海岸であると「加藤が公言した」とする資料もあるが、定かではない。 千葉県夷隅郡御宿町の御宿海岸には、『月の沙漠』に登場する、2頭のラクダに乗った王子と姫をあしらった像が建てられている。その数メートル脇には、『月の沙漠』の冒頭を刻んだ月形の詩碑が存在する(加藤の直筆による)。また、海岸より道一本を隔てて「月の沙漠記念館」が建てられており、加藤の作品や生前愛用した楽器などが展示されている。 初めて「月の沙漠」のレコードを吹き込んだ「柳井はるみ」は、後に松島詩子として歌謡界で活躍した。 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 |