この詩は、三国誌で有名な諸葛孔明が野に下って雌伏していたときに、劉備から「三顧の礼」をもって軍師に迎えられ、漢室の再興を計り、後、丞相(総理大臣)の地位についたが、任半ばで病没するまでの孔明の生涯を詠み上げた、日本の詩壇では類を見ない壮大な歴史叙事詩で、明治32年に刊行された土井晩翠の詩集「天地有情」で発表された。以下に記している7番までが第一部で、全体が七部で構成される長詩である。 土井晩翠は明治4年に仙台で生まれた。第二高等学校を経て東京大学で英文学を専攻し、明治30年に卒業した。明治32年には彼の詩壇における地位を決定づけた詩集「天地有情」が上梓され、島崎藤村や国木田独歩とともに日本近代詩の創設者となったのであるが、「晩翠調」とも言うべき彼の詩の特徴をなす題材、語彙、声調は、その後日本詩壇を襲った欧米詩の流れに後れをとり、彼の名声はたちまち衰え、彼の詩の影響は僅かに旧制高等学校の寮歌に残るのみとなった。 晩翠は、昭和に入ってから相次いで子女を失い、妻女に先立たれ、しかも空襲の戦火で3万冊を超える蔵書を焼失するなどの不幸な晩年を送り、昭和27年、孤独の中に82才で没した。(http://village.infoweb.ne.jp/~fwgf0768/poems_1/poem_12.htmによる) 全文をお知りになりたい方は、次のサイトを訪れられたい。なお、演奏はここでは3番までとしているので念のため。
http://homepage2.nifty.com/itaka84/bansui.htm(語句および歴史的事項に関する注釈も多い) |
作詞 土井晩翠 作曲 不 詳 |
1.祁山(きざん)悲愁の風更けて 陣雲暗し五丈原 零露(れいろ)の文(あや)は繁くして 草枯れ馬は肥ゆれども 蜀軍(しょくぐん)の旗ひかりなく 鼓角(こかく)の音もいましずか 丞相(じょうしょう)病(やまい)あつかりき 丞相病あつかりき 2.清渭(せいい)の流れ水やせて むせぶ非情の秋の声 夜は関山(かんざん)の風泣いて 暗(やみ)に迷うか雁がねは 令(れい)風霜(ふうそう)の威もすごく 守る諸営の垣の外 丞相病あつかりき 丞相病あつかりき 3.帳中眠かすかにて 短檠(たんけい)光うすければ ここにも見ゆる秋の色 銀甲(ぎんこう)堅くよろえども 見よや侍衛(じえい)の面かげに 無限の愁あふるるを 丞相病あつかりき 丞相病あつかりき 4.風塵遠し三尺の つるぎは光くもらねど 秋に傷めば松柏の 色もおのずとうつろうを 漢騎十万いまさらに 見るや故郷の夢いかに 丞相病あつかりき 丞相病あつかりき 5.夢寐(むび)に忘れぬ君王の いまわのみことかしこみて 心をこがし身をつくす 暴露のつとめ幾とせか いま落葉の雨の音 大樹ひとたびたおれなば 漢室の運はたいかに 丞相病あつかりき 6.四海の波瀾おさまらで 民は苦しみ天は泣き いつかは見なん太平の 心のどけき春の夢 群雄たちてことごとく 中原(ちゅうげん)鹿をあらそうも たれか王者の師を学ぶ 丞相病あつかりき 7.末は黄河の水にごる 三代の源遠くして 伊周の跡は今いずこ 道はおとろえ文やぶれ 管仲去りて九百年 楽毅滅びて四百年 たれか王者の治を思う 丞相病あつかりき |
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