浜千鳥
作詞 鹿島 鳴秋 作曲 弘田龍太郎 |
1.青い月夜の 浜辺には 親を探して 鳴く鳥が 波の国から 生まれでる 濡れたつばさの 銀の色 |
2.夜鳴く鳥の 悲しさは 親を尋ねて 海こえて 月夜の国へ 消えてゆく 銀のつばさの 浜千鳥 |
1920年(大正 9年)
|
鹿島鳴秋(かしま・めいしゅう) 東京都出身、作詞家。明治24年(1891年)深川区東大工町(現白河二丁目)に生まれた。本名は佐太郎。 苦労して夜間商業学校を卒業し、外国商社に勤めたこともあるが、明治43年、処女作童話「塔の姫」が毎日電報(現在の毎日新聞の前身)に当選し、その選者であった巌谷小波(いわやさざなみ)に師事して児童文学にすすむ。明治45年、竹貫佳水、蘆谷盧村、山内秋生らの少年文学研究会同人となった。大正の末、北原白秋らの童謡詩人の会の会員となり、童話作家協会の創立に参加した。『おうちわすれて』 『おち葉のおどり』 『金魚のひるね』 『山のおさる』 『浜千鳥』など多数の童謡を作詞。昭和29年(1954年)6月7日没。 (d-score http://www.d-score.com/ar/A04061804.htmlおよびhttp://www.sky.sannet.ne.jp/katura/nakanisiya.htmによる。) "浜千鳥"は大正8年(1919年)、鹿島鳴秋が友人の桑山太一を柏崎に訪ねた。2人で裏浜海岸を散歩しているとき、鳴秋が手帳に書き記したのがこの詩といわれている。昭和36年(1961年)7月、ゆかりの柏崎海岸公園(当時)に記念の詩碑が建てられた。詩碑の現在の所在地は柏崎市学校町。 「……それは大正八年六月頃の話であった。桑山さんと文学友達で雑誌『少女号』の編集局長をしていた鹿島鳴秋氏が柏崎の桑山さんのところへフラリと遊びにやってきた。中村葉月さんも一緒であった。若い三人は浦浜から番神海岸をあてどもなく歩いた。貝がらを拾ったり海藻をとったりして遊んだ。きれいに晴れ渡ってはいるが、どこかメランコリックな日本海の色は、若い鹿島氏の詩情をかきたてた。番神海岸で彼はポケットから小さな手帳を取り出しエンピツでしきりに何か書きつけていた。桑山さんは『何か出来たら見せて下さい』とせがんだ。すると書き終わった鹿島さんが笑いながら『こんな童謡ができたよ』と手帳をみせてくれた。それには『青い月夜の浜辺には…』というあの浜千鳥の詩が書かれていた。……」―「浜千鳥のふる里(上)川崎吉近」より― 【「柏崎市立図書館のホームページ」http://lib.city.kashiwazaki.niigata.jp/siraberu/sirabe/hamatidori.htmによる】 |