夕焼け小焼け


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作詞者 中村雨紅は、1897年(明治30年)、多摩郡恩方村(現・八王子市上恩方町)の宮尾神社の神官の子として生まれる。青山師範学校を卒業。教職のかたわら、野口雨惰に師事し、「ねんねのお里」など多くの童謡・童話を発表した。筆名は雨情の「雨」を貰ったもの。ずっと教員生活を送り、1949年に県立厚木東高校を退職する。1972年、大腸癌で死去。

中村雨紅が青山師範学校に在学中、休日には実家に帰ってきたが、その際、八王子から3時間以上も歩き、そのうちに日が暮れた。これが後に「夕焼け小焼け」の詩を生んだという。雨紅が作詞したのは1919年(大正8年)であるが、1923年に至って漸く草川信作曲でこの曲が文化楽社発刊の「あたらしい童謡その1」に初めて掲載されたが、おりからの関東大震災のため、本も出回らぬままに紙型もろとも殆どが焼失した。しかし、関係者にわたった僅か13部ばかりの楽譜がもとになって「夕焼け小焼け」は広まっていったという。

中村雨紅の故郷(八王子市)には歌碑や梵鐘がある。しかし、日本各地にも十数個の「夕焼け小焼け」の歌碑がある。 ( http://www.asahi-net.or.jp/~jz9t-tnk/c0827/c0827.htmによる)
恩方には「夕焼け小焼け」というバス停があり、ボンネットバスも走っている。(この項、http://www2u.biglobe.ne.jp/~ph-kazu/yuyake-1.htmによる)

【蛇足1】「夕焼け小焼け」で始まる有名な童謡としては、このほかに三木露風作詞の「赤トンボ」がある。「寅さんシリーズ」の第17作「男はつらいよ・寅次郎夕焼け小焼け」(昭和51年)はこちらの方で、従って舞台は三木露風の故郷 兵庫県龍野市である。(http://www.ne.jp/asahi/oda/kaze/torasan/17.htmによる)

【蛇足2】夕日は夕焼けと一般的に言われるが、実は夕日が沈んで暗くなった後にもう一度かすかに赤く光る「夕焼け」が見える。これを「小焼け」というそうだ。なお、これは気象状況によって見え方が異なるそうである。 (http://www002.upp.so-net.ne.jp/kurita/zatudan6.htmによる)

夕焼け小焼け

作詞 中村雨紅
作曲 草川 信
1.夕焼け小焼けで 日が暮れて
  山のお寺の 鐘が鳴る
  お手々つないで みな帰ろう
  からすといっしょに 帰りましょう

2.子供が帰った 後からは
  丸い大きな お月さま
  小鳥が夢を 見るころは
  空にはきらきら 金の星
1923年(大正12年)