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故郷の空

作詞 大 和 田 建 樹
作曲 スコットランド民謡
1.夕空晴れて	秋風吹き
  月影落ちて	鈴虫鳴く
  思えば遠し	故郷の空
  ああわが父母	いかにおわす

2.澄み行く水に	秋萩たれ
  玉なす露は	ススキにみつ
  思えば似たり	故郷の野辺
  ああわが兄弟(はらから)	誰と遊ぶ
1888年(明治21年)

 この曲は1888(明治21)年に『明治唱歌(第一集)』にて発表されています。原曲はスコットランド民謡ですが、少々手を加えられて、世に出ました。実際は音楽家である奥好義との共編なのですが、表には作詞者・大和田の名前だけが公表され、なぜか奥の名前は出されていません。作詞の大和田は、東京高等師範学校教授の国文学者、ことに彼は謡曲研究においては千ページ以上に亘る大著「謡曲読解」等、国内外の詩翻訳ほかに関する多くの著作を残していることで有名です。生涯に作詞した歌は千三百あまりとされ、あふれるような言葉さばきの『鉄道唱歌』で、一躍注目を浴びることになりました。実は『鉄道唱歌』も、奥との共編作です。
 この曲『故郷の空』が発表された明治期は、日本における洋楽作曲水準が低かったためか、『埴生の宿(ビショップ作曲)』『旅愁(オードウェイ作曲)』『庭の千草(アイルランド民謡)』等、純国産品の歌ではない外国産メロディーによる歌が、多く輩出された時代です。 『故郷の空』の原題名を忠実に和訳すれば、「ライ麦畑を通って」。現在でも耳にする三木惇夫、伊藤武雄による共作詞で有名な、「誰かが誰かと麦畑…」に、繋がります(同じようなメロディーで替え歌のように、戦後に発表)。明治半ばの時代では、明るいリズムに乗るスコットランドの原曲や、「誰かが誰かと麦畑…」の歌詞の続きに出てくるような恋の展開は、世相への配慮として控える風潮があり、落ち着いた面持ちにせざるを得なかったのかもしれません。明治唱歌として相応しいことば、リズム等…苦肉の策の末で、出来上がった曲なのかもしれません。ところ違えど、ひとりひとりの心の故郷、ふるさとの空は、あたたかく優しく様々な色や形で、いまでも、そしていつまでも、私たちを見守ってくれるのだなと感じます。 (http://www.mmjp.or.jp/MIYAJI/mts/nihonnnouta/koyounosora.html)