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背比べ
作詞 海野 厚
作曲 中山晋平
1.柱のきずは おととしの
  五月五日の 背(せい)くらべ
  粽(ちまき)たべたべ 兄さんが
  計ってくれた 背のたけ
  きのうくらべりゃ 何(なん)のこと
  やっと羽織の 紐(ひも)のたけ 
2.柱に凭(もた)れりゃ すぐ見える
  遠いお山も 背くらべ
  雲の上まで 顔だして
  てんでに背伸(せのび) していても
  雪の帽子を ぬいでさえ
  一はやっぱり 富士の山
1923年(大正12年)


厚らが通った西豊田小学校には「せいくらべ」の碑と厚の顔が描かれた大きな絵が掲げられている。
  「柱のきずはおととしの 五月五日のせいくらべ・・・」
どうしてきずは一昨年で、昨年のきずはないのか。そこには、病と闘った兄の悲しい物語があった。

 厚は中学(旧制)卒業後、可愛い弟妹を残して上京し早稲田大学文学部へ入学した。最初は俳人志望であったが、童謡雑誌「赤い鳥」へ童謡詩が掲載されるようになり童謡作詞家へと変貌したのであった。
 厚はたびたび故郷に帰って弟妹の背を測ってやったといわれる。しかし、待っていたのに昨年は測りに帰ってきてくれなかった。厚は東京で肺結核をわずらっていたのだ。
 一番の作詞から4年経って、中山晋平は厚を元気付けるために二番の詩を作らせた。病床で二番の詩を書き終え、富士の見える故郷へ帰ろうと大正14年5月にとうとう静岡へ帰ってきたが、5月20日、天才海野厚は逝った。28才のあまりに短い生涯だった。富士山を見ることも、大好きな弟妹たちのせいくらべもしてあげることも二度とできなかったのである。
《Hatena:Question(http://q.hatena.ne.jp/1140871578)による》