作詞 石本美由起 作曲 江口 夜詩 唄 小畑 実 |
1.鐘が鳴る鳴る マリアの鐘が 坂の長崎 ザボン売り 銀の指輪は どなたの形見(かたみ) 髪に結んだ リボンも可愛(かわ)い 可愛い娘 あゝ長崎のザボン売り 2.風がそよそよ 南の風が 港長崎 ザボン売り 呼べば見返る ほほえみかける だれも見とれる えくぼの可愛い 可愛い娘 あゝ長崎のザボン売り |
3.星がキラキラ 夕べの星が 夢の長崎 ザボン売り 黒い瞳に 夢みる笑顔 ゆれるランタン 灯影(ほかげ)に可愛い 可愛い娘 あゝ長崎のザボン売り |
1948年(昭和23年)
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寛文7年(1667年)ジャワから長崎に入港した唐船主の周九娘が、取引相手である唐通事の虜庄左衛門にザボンの種子を贈り、
これを庄左衛門が西山神社の境内で栽培したのがはじまりといわれる。8年目に花が開き実がなると赤ん坊の頭くらいもある
大きな実や香りの良さでたちまち評判になり、島原、鹿児島などあちこちに普及していった。今でも3代目のザボンの木が健在だそうだ。
しかし本家長崎のザボンは大正5年(1916年)に害虫が発生、他の柑橘類への影響を心配した市当局が市内のザボンの木を伐採
してしまった。 なお、ザボンの西洋ナシ形のものが分旦で、平戸藩公が長崎の藩邸にまいたという平戸分旦や、それを移植した
江上分旦などが知られる。
これより先の明治12、3年ごろ長崎から帰った島原の森川三吉ががザボン漬けを発明した。ザボンの果肉が食えないなら、 実は捨てて皮とというわけで、厚皮の砂糖漬けの考案である。やがて鹿児島などでもこの菓子を作り始めた。 さらに時は流れて敗戦後の昭和23年(1948年)、長崎ザボンに思いがけない力強い助っ人が現れる。歌手の小畑実が、 歌って大ヒットした「長崎のザボン売り」である。石本美由起作詩、江口夜詩作曲のこの歌、エキゾチック長崎とザボンを有名にした。 しかし、歌がヒットした当時、上記した理由から長崎にはザボンは見当たらなかったし、「ザボン売り」も実際にはいなかった らしいが、ほどなく駅前広場に、鹿児島県の阿久根から持ち込まれたザボンが並べられ、“ザボン娘”も登場した。 もっとも「髪に結んだリボンもかわいい」娘さんとは大分違い、手ぬぐいをかぶった 年輩のご婦人も目立っていたそうだ。 その後、県内産のザボンも次第に増えて、今ではザボンは長崎の特産品となっている。 なお、この「長崎のザボン売り」は石本美由起(いしもとみゆき)の作詞家デビュー第1作。詩人・北原白秋(きたはらはくしゅう) の詩集「思ひ出」の中の『朱欒(ざぼん)のかげ』と『人形つくり』にヒントを得て“ザボン娘” をイメージして作詞したそうだ。(しかし、石本さんが初めて長崎に来たのは昭和47年(1972年)だそうである。) (「長崎文化百選」 http://www.nansho.nagasaki.nagasaki.jp/100sen/93/93.htm)および (「あっ!と ながさき」 http://www.at-nagasaki.jp/nagazine/uta/021025/)による。 |