作詞・作曲:永井 建子 |
一、 雪の進軍氷を踏んで どれが河やら道さえ知れず 馬は斃(たお)れる捨ててもおけず ここは何処(いずく)ぞ皆敵の国 ままよ大胆一服やれば 頼み少なや煙草が二本 二、 焼かぬ乾魚(ひもの)に半煮(はんに)え飯に なまじ生命(いのち)のあるそのうちは こらえ切れない寒さの焚火 煙(けむ)いはずだよ生木が燻(いぶ)る 渋い顔して功名噺(ばなし) 「すい」というのは梅干一つ |
三、 着の身着のまま気楽な臥所(ふしど) 背嚢(はいのう)枕に外套かぶりゃ 背(せな)の温(ぬく)みで雪解けかかる 夜具の黍殻(きびがら)しっぽり濡れて 結びかねたる露営の夢を 月は冷たく顔覗き込む 四、 命捧げて出てきた身ゆえ 死ぬる覚悟で吶喊(とっかん)すれど 武運拙(つたな)く討死にせねば 義理にからめた恤兵真綿(じゅっぺいまわた) そろりそろりと頚(くび)締めかかる どうせ生かして還さぬ積り |
1895年(明治28年 )
|
日C戰爭の折,明治28年1月、大山巌大将の征清第二軍の山東半島での雪中行軍に軍楽隊員として従軍した作者の体験を元に戦後作られた.歌詞の内容に軍隊批判も含まれる為,4番の歌詞の最後の一節は「どうせ生きては還らぬ積もり」と変えて歌われることがしばしばあった.【日中事変時、悲観的な歌詞は士気の低下につながるとして、軍命令により「生きては還らぬ積り」と改訂された。太平洋戦争突入後は歌うことも禁止された。http://www.d1.dion.ne.jp/~j_kihira/band/midi/yukinoshin.html】
此の歌の作者,永井建子は陸軍軍樂隊の樂長であった.軍人がこういった詩を書けたのも矢張り明治という時代だったからに他ならない。與謝野晶子が「君死にたまふことなかれ」を書いても政府は関知しなかった。確かに戦前には不敬罪があり、大逆事件のようなことも起こっている。近頃の教科書では,戦前は思想や言論の弾圧ばっかりしていた様に書かれているが,・・・思想や言論の弾圧は,支那事變ごろから強くなっていったのが本当で、それまでは,天皇批判以外は概ね思想,言論の自由があったようだ。 日露戰爭で総司令官を務めた大山嚴(いわお)元帥は,此の歌を好み,今際の際には枕元で此のレコードを聴いて亡くなったと伝えられている。 http://kouzuke.s11.xrea.com/nippon/kashi/yukino-singun.html |