作詞 長田 恒雄 作曲 晏 如 唄 渡辺はま子 |
1 忘れられない あのおもかげよ ともしび揺れる この霧のなか ふたりならんで よりそいながら ささやきも ほほえみも たのしくとけ合い 過ごしたあの日 ああ いとし君 いつまたかえる 何日君再来(ホーリーチンツァイライ) 2 忘れられない あの日のころよ そよ風かおる この並木みち 肩をならべて ふたりっきりで よろこびも 悲しみも うちあけなぐさめ 過ごしたあの日 ああ いとし君 いつまたかえる 何日君再来(ホーリーチンツァイライ) |
3 忘れられない 思い出ばかり わかれていまは この並木みち 胸にうかぶは 君のおもかげ おもいでを だきしめて ひたすら待つ身の わびしいこの日 ああ いとし君 いつまたかえる 何日君再来(ホーリーチンツァイライ) |
1939年(昭和14年)
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『何日君再来(拼音: Hérì jūn zàilái:ホーリィチュンツァイライ:何日君再來)』は、1937年に上海で製作された映画『三星伴月』の挿入歌。当時の人気歌手周璇が歌い、空前のヒットとなった。また1939年に香港で製作された映画『孤島天堂』の挿入歌にもなり、黎莉莉が歌いヒットした。なお、日本語での曲名は『いつの日君帰る』となっている。
『何日君再来』の作詞者及び作曲者については、作詞者/作曲者を(沈華/不明)と記しているもの、(晏如/貝林)と記しているもの、逆に(貝林/晏如)と記しているもの、双方不明としているものなど諸説があり、はっきりしない。同曲の作詞・作曲者が誰なのかについて関係者の証言を綿密に追ったノンフィクションである、『何日君再来物語』(中薗英助著、河出書房新社)では、複数の関係者の証言から、作詞は1930年代に上海で活躍したシナリオライターで、映画『三星伴月』のシナリオも担当した黄嘉謨が、また作曲は当時上海国立音楽専科学校の学生で、後に北京芸術師範学院(中国音楽学院の前身)の教授となった劉雪庵がそれぞれ(貝林/晏如)というペンネームを用いて担当したと結論づけている。ただし、『何日君再来物語』の中では、関係者の間でも作詞者、作曲者を巡って証言に食い違いがあること、また劉雪庵本人が作詞・作曲ともに自分が担当したと証言している(劉雪庵は中薗が同書執筆中に亡くなり、証言の真偽を確かめることはできなかった)点についても言及している。 『何日君再来』は、周璇が歌ったものが有名だが、彼女以外にも、黎莉莉、潘迪華、奚秀蘭、胡美芳、渡辺はま子、松平晃、李香蘭(山口淑子)、ジュディ・オングなど、数多くの歌手に歌われており、CHAGE and ASKAが大規模なアジアツアーを行った際にも歌われた。また近年では鄧麗君(テレサ・テン)が同曲を歌い、中国大陸や台湾など中国語圏でリバイバルブームを引き起こした。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』) |