鐘の鳴る丘(とんがり帽子)


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 敗戦後の暗い世相に、人間の暖かい愛と明日へのともしびをかかげようとした、菊田一夫原作の「鐘の鳴る丘」は昭和22年7月から25年12月まで790回にわたってNHKから放送された。(放送回数等についてはNHKに確認済 2003.7.14)
 「緑の丘の赤い屋根 トンガリ帽子の時計台 鐘が鳴りますキンコンカン・・・・」 一世を風靡した、そして今もなお多くの人々によって歌い継がれている古関裕而作曲の主題歌「とんがり帽子」の懐かしい一節である。
 この放送劇の舞台となった建物が「鐘の鳴る丘集会所」である。放送終了後、少年の更正施設とした使われていたこの建物を、老朽化により取り壊しの際、長野県南安曇郡穂高町が法務省から譲り受け昭和55年国と県の援助を受けて、この地に移設復元した。現在は青少年育成施設として活用されているとのことである。(http://youyou.avis.ne.jp/go/drive/w-sala/w-sala-z1/kane.htm)
 なお、『鐘の鳴る丘』の舞台となった孤児院は、戦中、岩谷堂に家族を疎開させていた菊田一夫が、疎開先の旅館から見た江刺市南町の岩谷堂町役場(現明治記念館)の建物をモチーフにしたと言われている。現在、明治記念館からは、午前7時と午後5時に「とんがり帽子」のメロディーが流れている。(http://www.esashi.com/kikuta.html)
 「蛇足」も参考にして下さい。


鐘の鳴る丘(とんがり帽子)

作詞 菊田一夫
作曲 古関裕而
唄  川田正子
1.緑の丘の赤い屋根 とんがり帽子の時計台   
  鐘が鳴りますキンコンカン メーメー仔山羊も鳴いてます
  風がそよそよ丘の家 黄色いお窓はおいらの家よ 

2.緑の丘の麦畑 おいらが一人でいる時に 
  鐘が鳴りますキンコンカン 鳴る鳴る鐘は父母の   
  元気でいろよという声よ 口笛吹いておいらは元気

3.とんがり帽子の時計台 夜になったら星が出る  
  鐘が鳴りますキンコンカン おいらはかえる屋根の下 
  父さん母さんいないけど 丘のあの窓おいらの家よ 

4.おやすみなさい空の星 おやすみなさい仲間たち  
  鐘が鳴りますキンコンカン 昨日にまさる今日よりも  
  明日はもっと幸せに みんな仲よくおやすみなさい
 
1947年(昭和22年)

 「蛇足」
 古関、菊田のコンビの業績を語るうえで忘れるわけにはいかないのは ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」そして、主題歌「とんがり帽子」だろう。

 戦争が終って数年を過ぎてもまだ街には親も住む家もない戦争孤児たちが 大勢たむろしていた。そして当然のことながら窃盗、恐喝などの少年犯罪 の急増が問題になっていた。そんな頃GHQによる浮浪児救済キャンペーン として始まったこの番組はなかなか好評でその後、4年間、790回にもおよぶ お化け番組となった。主題歌「とんがり帽子」は童謡歌手の 川田正子と音羽ゆりかご会の合唱で 放送された。

 さて、当時日本中の大勢の孤児を励ました 「とんがり帽子」を作詞した菊田一夫自身もかつて孤児だった。生後すぐに 養子に出され、養家を転々とし辛酸をなめつくした。17歳になると上京して サトウハチロウに弟子入りし、その後、古川ロッパの一座で座付き作者になった。
 戦後初のラジオドラマ「山からきた男」でヒットを飛ばしたことで注目 されていた古関、菊田のコンビのもとに占領軍CIE(民間情報教育局)の依頼 による仕事が舞い込んだ。

 ドラマのストーリーはまず、戦争が終り復員してきた若者、加賀美修平が ガード下で浮浪児にカバンを奪われそうになるところから始まる。その浮浪児の 名前は隆太といった。やがて隆太をはじめ、ガンちゃん、クロ、みどり、などの 浮浪児たちと修平との交流が始まる。
 修平の故郷が信州だったので、孤児たちと力を合わせてその信州の山あいに 「少年の家」を作り、共同生活を始めた。「とんがり帽子」の歌詞に唄われている

緑の丘の 赤い屋根
とんがり帽子の 時計台

とは、この「少年の家」のことをいっているわけである。
(「古関裕而研究 第2回」から引用。http://www.aba.ne.jp/~takaichi/natumero/koseki2.html)