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東京行進曲
日活映画「東京行進曲」主題歌
作詞 西条 八十
作曲 中山 晋平
唄  佐藤千代子
1.昔恋しい 銀座の柳
  仇な年増を 誰が知ろ
  ジャズで踊って リキュルで更けて
  明けりゃダンサーの 涙雨

2.恋の丸ビル あの窓あたり
  泣いて文(ふみ)書く 人もある
  ラッシュアワーに 拾った薔薇を
  せめてあの娘の 思い出に
3.ひろい東京 恋ゆえ狭い
  粋な浅草 忍び逢い
  あなた地下鉄 わたしはバスよ
  恋のストップ ままならぬ

4.シネマ見ましょか お茶のみましょか
  いっそ小田急で 逃げましょうか
  かわる新宿 あの武蔵野の
  月もデパートの 屋根に出る
1929年(昭和 4年)

菊池寛の原作で若き日の溝口健二が監督した映画。夏川静江、小杉勇、入江たか子など日活現代劇部の花形俳優が多数出演しており、当時流行した小唄映画、小唄レビューのなかでも最も雄大なスケールの作品と評された。主題歌「東京行進曲」は、西条八十、中山晋平コンビによる名曲。
http://www.athenee.net/culturalcenter/DATABASE/titles/t/tokyokousin.html

 なお、この「東京行進曲」は映画主題歌第1号とも言われており、当時漸く到達した技術レベルもそれを可能にした大きな理由の一つと考えられるので、時代的背景などを含めて若干解説を加えておきたい。
  『昭和に入り「音」は飛躍的に発展した。それは新録音技術すなわち、従来の「ラッパ吹き込み」 から「電気吹き込み」の新レコードの登場により、それまで周波数特性がせいぜい300から 2500ヘルツしかなかったものが一躍50から6000ヘルツに広がり大変良い音となった。 この音の革命は音楽を大衆の生活の中に急速に浸透させ、そして「流行歌」なるジャンルを 生んだ。
 昭和3年2月に「出船の港」(詞:時雨音羽・曲:中山晋平・歌:藤原義江)が、 つづいて5月には「波浮の港」(詞:野口雨情・曲:中山晋平・歌:佐藤千夜子)が発売された。 「波浮の港」は10万枚を売り上げ佐藤千夜子を一躍人気流行歌手とした。 さらに7月には「当世銀座節」(詞:西條八十曲:中山晋平・歌:佐藤千夜子)が発売され、 早稲田大学教授西條八十の流行歌処女作が話題となった。
 流行歌に大衆が関心をもちだし始めたその頃、日活が菊地寛の小説「東京行進曲」を映画化した。 日活はこの映画のために同名の主題歌(詞:西條八十・曲:中山晋平・歌:佐藤千夜子)をつくった。 映画主題歌第一号の「東京行進曲」は、映画との相乗効果をもたらし大ヒットし25万枚を売り上げたという。』
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Cinema/7897/satou.htm