作詞 清水かつら 作曲 佐々木俊一 唄 藤原 義江 |
1.翼輝く 日の丸に 燃える闘魂 眼にも見よ 今日もさからう 雲切れば 風も静まる 太刀洗 ああ特幹の 太刀洗 2.強く雄々しい 若松に 匂う暁 宇品港 ゆくぞ波風 岩も裂く 船の男児の 心意気 ああ特幹の 心意気 |
3.吹けよ朝風 初陣の 翼さやかな 肌ざわり 胸の火玉に 昇る陽に 命捨て身の 武者ぶるい ああ特幹の 武者ぶるい 4.叩く敵陣 矢が尽きりゃ なんの当て身の 弾吹雪 母もみている きいている 船と翼の 勝ち名乗り ああ特幹の 勝ち名乗り |
1944年(昭和19年)
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清水かつら
本名は清水桂。明治31年(1898年)7月1日、深川に生まれる。 京華商業学校を18歳で中退。大正5年、神田駿河台下にあった書籍と文具の中西屋に勤め、少女雑誌「少女号」の編集に携わる。 「少女号」の編集者には、かつらのほかに「浜千鳥」や「金魚のひるね」を作詞した鹿島鳴秋、後に剣豪作家となる山手樹一郎がいた。 ここでは編集者も原稿を書いていたので、かつらは童謡を次々に発表し、弘田龍太郎や草川信の作曲を得て、大正から昭和そして 平成の時代にまで歌い継がれる名作を残した(「靴が鳴る」「叱られて」「あした」「雀の学校」「特幹の歌」「みどりのそよ風」 など多数)。 大正時代は童謡の最盛期を言われるように、ふと耳にする童謡のほとんどはこの頃に作られており、鈴木三重吉が主宰した雑誌「 赤い鳥」や「金の船」から数々の名作が生まれましたが、かつらの編集した「少女号」も大きな役割を果たした。 なお、戦後、生まれた「みどりのそよ風」は「夕やけこやけ」や「どこかで春が」の草川信の作曲であるが、3番は一寸変って野球の話に なっている。作曲者の草川信は子供の頃から野球好きであったので、草川信のために3番を入れたのではないかと推測されている。 かつらは、昭和26年(1951年)7月「酒が飲めなくなったら終りだ」とつぶやいて永眠。享年53歳。 「清水かつらの生涯」(http://www.sky.sannet.ne.jp/simizu-katura/shougai1.htm)による。 |