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特幹の歌
作詞 清水かつら
作曲 佐々木俊一
唄  藤原 義江
1.翼輝く 日の丸に 
  燃える闘魂 眼にも見よ 
  今日もさからう 雲切れば 
  風も静まる 太刀洗 
  ああ特幹の 太刀洗
 
2.強く雄々しい 若松に 
  匂う暁 宇品港 
  ゆくぞ波風 岩も裂く 
  船の男児の 心意気 
  ああ特幹の 心意気
3.吹けよ朝風 初陣の 
  翼さやかな 肌ざわり 
  胸の火玉に 昇る陽に 
  命捨て身の 武者ぶるい 
  ああ特幹の 武者ぶるい
 
4.叩く敵陣 矢が尽きりゃ 
  なんの当て身の 弾吹雪 
  母もみている きいている 
  船と翼の 勝ち名乗り 
  ああ特幹の 勝ち名乗り
1944年(昭和19年)




 陸軍特別幹部候補生操縦一期生、約三千名が大刀洗陸軍飛行学校甘木生徒隊に入校したのは昭和十九年四月であった。
 平成10年6月、福岡県甘木市の甘木公園に「特幹の碑」が建設された。高さ2mの赤御影石で出来た碑で、裏の碑文の中に、「特幹の歌」の歌詞が刻まれている。
 この碑の建設は、「大刀洗陸軍飛行学校甘木生徒隊」に在籍した元陸軍特別幹部候補生操縦一期生有志によるもので、昭和の歴史と魂を永遠に後世へ伝えたいとの趣旨による。
交通 甘木市大字菩提寺 甘木鉄道甘木駅 徒歩20分


【特幹の碑】(http://www.sky.sannet.ne.jp/simizu-katura/hiamakikouen.htm) および
「大刀洗飛行学校」(http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/riku-tachi.htm)による。
昭和18年12月14日・勅令922号・12月15日官報第5078号により、「陸軍現役下士官補充服務臨時特例法」・『特別幹部候補生・航空及び船舶関係の勤務に従事する兵科及び技術下士官と為すものとする』と告示された 特別幹部候補生は現役下士官の補充特例として設けられた、飛行兵、通信兵等の下士官を養成する制度。 15歳から20歳未満の者を採用し採用後すぐに一等兵となり、6ヶ月後には上等兵、1年後には兵長に、1年6ヶ月後には下士官(伍長、軍曹) に任じ二年まで現役下士官としてその後は予備役に服すのが原則だった模様。
(http://www.warbirds.jp/ansq/7/G2000335.htmlによる)

清水かつら
 本名は清水桂。明治31年(1898年)7月1日、深川に生まれる。
 京華商業学校を18歳で中退。大正5年、神田駿河台下にあった書籍と文具の中西屋に勤め、少女雑誌「少女号」の編集に携わる。 「少女号」の編集者には、かつらのほかに「浜千鳥」や「金魚のひるね」を作詞した鹿島鳴秋、後に剣豪作家となる山手樹一郎がいた。
 ここでは編集者も原稿を書いていたので、かつらは童謡を次々に発表し、弘田龍太郎や草川信の作曲を得て、大正から昭和そして 平成の時代にまで歌い継がれる名作を残した(「靴が鳴る」「叱られて」「あした」「雀の学校」「特幹の歌」「みどりのそよ風」 など多数)。
 大正時代は童謡の最盛期を言われるように、ふと耳にする童謡のほとんどはこの頃に作られており、鈴木三重吉が主宰した雑誌「 赤い鳥」や「金の船」から数々の名作が生まれましたが、かつらの編集した「少女号」も大きな役割を果たした。
 なお、戦後、生まれた「みどりのそよ風」は「夕やけこやけ」や「どこかで春が」の草川信の作曲であるが、3番は一寸変って野球の話に なっている。作曲者の草川信は子供の頃から野球好きであったので、草川信のために3番を入れたのではないかと推測されている。
 かつらは、昭和26年(1951年)7月「酒が飲めなくなったら終りだ」とつぶやいて永眠。享年53歳。
「清水かつらの生涯」(http://www.sky.sannet.ne.jp/simizu-katura/shougai1.htm)による。